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軍勢と同じ速さで行くとなると、本当にゆっくりだ。
ぱっかぱっかとリズムよく歩く馬の背で、父も同じようにのんびり行軍したのだろうかと考えてみる。
父と「ゆっくり」という言葉があまり結びつかないのだが、勲功をあげているということは、手足のごとく自身の軍を動かすのだろう。
つまりは、こうやって「ゆっくり」考え事もしているんだろうな。
軍隊を動かすには、とかく根気と忍耐と労力がかかる。
若干四歳にして、勝千代もそれを学びつつあった。
問題があるとするなら、この筋肉痛と、内ももの擦れと、ひどい乗り物酔いだ。逢坂老に習った乗馬の形など、遠く彼方へ消えてしまった。
周りの誰もそんなものに悩まされている様子はないから、しっかり訓練すれば同じようになれると将来に期待する。
時間だけはたっぷりあるし、ここにはスマホもゲームも本もないから、できることがあるとするなら思考だ。
考えるべきことはいろいろあるが、やはり一番密に詰めておくべきなのは、今のこの状況だろう。
叔父の前で馬に揺られながら、先ほどの奥平の事を考える。
どうして、責められてもおかしくない行動をとろうとしたのだろう。
兵の半数を帰らせるというのは彼自身が言い出したことであり、それでも、残るのは曳馬の兵たちに劣る兵数ではない。
興津ら本隊が到着するまでであれば、たいした問題もなく持ちこたえられるだろう。
同行はすげなく断ってしまったが、あの落胆した表情が作りものだとは思えない。
何かがあるのだ。
それに思い当たることがないのが、なんとも気がかりで、気持ちが悪かった。
敵と内通していて、実は攻めてくるのを知っている? ……いや、残存兵の数が迎え撃つに不足だとは思えない。
わざと負けるように命じられている? ……いや、奥平の兵は、本人が言うように方々から集められた者たちだ。見た所まだ完全に統率できているとまでは言い難く、おかしな命令をすれば否やを唱えられ、ほかの国人領主の指揮下に逃げ込まれかねない。
「ずいぶんとお悩みですね」
考え込んでいる勝千代に、志郎衛門叔父が声をかけてくる。
「お聞かせ願えますか」
この時代特有のことなのだろうが、叔父は初対面から非常に丁寧に勝千代に接してきた。それは、自らは臣下であり、勝千代こそが嫡男であるという態度の表れだ。
ありがたい事だが、やりすぎだとも思う。
だって叔父と甥じゃないか。……そう思ってしまう感覚が、現代人の甘さなのだろう。
その感覚を抜きにするのは難しいが、だからこそできることも、見えてくることもある。
「……叔父上」
勝千代は知っている。
志郎衛門叔父は人に頼られるのが好きだ。
手綱を握る叔父をちらりと上目遣いに見上げると、小さく苦笑された。
「奥平のことですか」
「はい。どう思われますか」
「あまり得意な男ではありません」
それは勝千代だってそうだ。だが聞いているのはそういうことではない。
「落ち度もないのに、いつもあと一息のところで同輩に先を越され、ついぞ今まで所領はなし。ツキに見放された男と言われています」
嫌なあだ名だな。
「三岳城の城番に抜擢されたのは、あの男にとって大きな機会です。失敗したくはないでしょう」
ふと、先ほどのすがるような目を思い出す。
「……用心しすぎて石橋を叩き割ったとか」
「壊れないか不安で、思いっきり叩いて回っているのでしょう」
ちらりと、必死に石の橋を叩いている奥平の姿を思い浮かべてみた。
妙にしっくりくる妄想だった。
ちょっと見方を変えてみよう。
奥平にとって、もっとも守るべきなのは三岳城だ。
曳馬が落ちたと知った時、彼ならどうする?
今川館から兵は引っ張ってきている。それでも不安は消えない。三河勢が三岳城まで攻めてくるかもしれない。
「……交渉したとか?」
三岳城は攻めないようにと、密約を交わしたのだろうか。
可能かどうかはさておき、推察のとっかかりとしては面白いかもしれない。
「何と言いましたか、陣代の……」
弥太郎に調べさせている「優秀な陣代」。叔父も聞いたこともない男だという。
すぐに名前が出て来ずに言い淀むと、「榊原小五郎です」とさらりと叔父が正解を告げる。
そうそう、いろんなところで有名な名探偵の名前と同じだ。ちなみに二木も小五郎というそうだが、それはまた別の話。
榊原なぁ、榊原……どこかで聞いた気がするんだよな。
勝千代の「記憶」とは、今は既に遠い現代日本の知識だ。
そもそも、日本の歴史に不案内なので、勝千代が知っているということは、相当に有名な人物のはずなのだ。
だが、そもそも振っても何も出て来ない知識の中から、ピンポイントで絞り出せるはずはない。
有名どころの偉人は、まだ生まれてもいないはずだし。
同姓のひとだって、山ほどいると思うし。
あっさり諦めて、再び石橋をたたいている奥平の姿を想像する。
どうしても号泣姿を思い浮かべてしまい、小さく失笑すると、叔父は不思議そうに勝千代を見て首を曲げた。
「そろそろ休憩するようですね」
なおも諸々考えこんでいると、志郎衛門叔父の声に思考を妨げられた。
はっとして顔を上げると、先頭を進んでいた誠九郎叔父が馬を止め、配下の者たちに何やら言っている。
「この先に水場があります。馬を休ませましょう」
まず叔父が馬を降り、両手を伸ばして勝千代を降ろしてくれる。
何がきっかけだったのか、よくわからない。
だが、地面に足がつくのと同時に、ポン! と唐突に思考のかけらが転がり落ちてきた。
榊原、榊原って……家康四天王のひとりじゃないか!
そこまで思い出せても、榊原なんだっけ? と下の名前は出て来ない。
出てくるのは、某タレントの「夏のお嬢さん」のワンフレーズだけだ。
……なんでだよ! 水着は絶対似合わないよ! 会ったことないけど。




