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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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36-2

 その夜はもう移動はやめておこうという事になった。

 野営するのははじめてではない。

 あまりいい記憶がないのは、そのあと高熱を出して倒れる羽目になったからだろう。

 そう言えばあの時は父がいたなと、燃え上がる焚火を見ながらしんみりと思う。

 岡部の城からの下山途中、ずっと抱きかかえられての移動、抱きかかえられての就寝だった。

 雪山だからという理由はあったにせよ、あれで随分心強かったし、父は体温が高いひとなので、雪エリアを抜けてからはそれなりに暖もとれた。

 そんな父は今どうしているだろう。こことは違い、雪が多い地域だという。寒さに震えていないだろうか。

 しばらく父の髭面を思い出していたが、あの人は頑丈そうだから病気より怪我だな、と思い直した。

 むしろ風邪をひく心配をするべきなのは、自分自身のほうだろう。

 

 食事は前回と全く同じで、少量の野菜を煮込んだ味噌汁に玄米ご飯を入れたものだった。

 ほぼ味噌汁の汁だけに玄米と言う感じだったが、皆で同じものを食べるのはなかなか美味しい。

 そもそもこの時代には、現代で言うところの和食などというものはなく、こういう場所だと尚の事、身分の上下なく同じものを食べる。


 寝る前には厠だ。古人の知恵からか、誰もがそのあたりで用を足すことはない。

 ずいぶん遠くまで連れていかれたが、強烈な匂いですぐにそれとわかった。

 地面にただ穴があけられ、細い板を二枚渡しただけの簡易トイレだ。深めに穴を掘って用を足し、たまったら埋めるのだそうだ。

 エコだ。……そう思わなければやっていられないほど臭いが。

 実際に、二千人もの排泄物は土にかえり、そのうちこの地を豊かにするだろう。

 何もない丘陵、もっさりと木々に覆われた場所だが、来年ぐらいには山菜が豊作かもしれない。

 用を足す間、ずっと数人に見られているのがアレだったが、勝千代は小柄なので、罷り間違って穴に滑り落ちてしまう事を思えば……まあ。

 それ以上のコメントは差し控えたい。

 それにしても臭かった。



 福島家の本陣には、軍議をしたときのまま幕がかかり、勝千代はその一番奥まったところで休むようにと言われた。

 寒い事は寒いが、真っ暗闇の木立の中で眠るよりはずっといい。

 そもそも布団がないので、寒いときは誰かとくっついて眠るものだが、勝千代の身分がそれに邪魔をする。

 仕方がないので、雪だるまのように着ぶくれした上から、更にありあわせの着物をたっぷりかけられて、その日は野外での就寝だ。

 なんだか圧死する夢を見そうだ。


 硬い地面の寝床ということで、背中が痛くなりそうだと思うだろう?

 何度も言うが、綿の布団などないこの時代、屋内で寝たとしても板間の上だ。

 畳があればマットレスになるが、たいていは板間の上に直接寝床を作る。

 着物を敷いたとしても硬さは伝わってくる。

 柔らかな草の上に横になる方が、背骨に優しいとはじめて知った。


 確かに、夜の屋外は闇が深い。

 ただそれも、灯明を消した屋内の暗さとは雲泥の差だ。

 長雨が上がり、雲の晴れ間に星空が見える。

 残念ながら月はないが、それでも、暗い室内よりは明るかった。

 丁度木々の切れ間になっているので、広く夜の空が見える。

 じっくりと見上げて、見覚えのある星座を幾つも発見して、改めてここが地球であり、北半球であり、おそらく日本なのだろうと得心した。

 

 オリオン座の三ツ星が並んでいる。

 子供の頃に親に教えてもらって以来、折に触れて探してしまう星座だ。

 唐突に、己が今ひとりなのだという孤独感にさいなまれた。

 福島勝千代の叔父や、面倒を見てくれる者たちは側にいるが、かつての己、高校教師をしていた懐かしい中年男を知るものは誰もいない。

 ぽつんと取り残されたような、迷子にでもなったかのような気がした。

 迷子か。そうだな、確かに時代の迷子だ。

 

 こういう眠れない夜は、温かいものでも飲み、厠に行けば気分も変わる。

 いつもはそうしているのだが……あそこにはできるだけ行きたくない。

 かといって、夜の散歩としゃれこむ自由さもなかった。

「勝千代様」

 弥太郎に名前を呼ばれる。

「十名です」


 二千もの味方に囲まれた本陣は安全だと思うだろう?

 いや、不特定多数の多数の部分が増えたら、不特定も増えるんだよ。

 間者は潜り込み放題、防ぐ方も大忙し。

 敵か敵じゃないかを判別するより、敵も味方もまとめて遠ざけたほうが安全らしい。

 勝千代が一人寝なのはそういう理由でもある。

 いいなぁ雑魚寝。あったかいんだろうなぁ……あこがれるなぁ。


 そんな事を考えながら上半身を起こし、弥太郎の姿を探す。

 いないわけがないのに姿が見えず、きょろきょろしていると、がさりと茂みが揺れる音がした。

 意図的に出したのでない限り、弥太郎はそういう物音を立てない。

 素早く寝床を這い出して、四つん這いのまま陣幕の下に潜り込んだ。

 こういう時はまず退避。そう言い聞かせられている。

 やばい、着ぶくれしすぎていて思うように動けない。

 転がり出た先には、叔父たちがいた。

 寝支度を始めた所だったらしく、陣幕の下から転がってきた勝千代に驚いた顔をして、すぐにその引きつった表情に気づいてくれた。

 志郎衛門叔父の手がさっと伸びてきて、着ぶくれてもなお小さな童子をすくい上げる。

 源九郎叔父と誠九郎叔父は、近くに置いていたらしい刀を握っていた。

 

 ガサガサと茂みが揺れる音、枝が折れる音、更には、足音にしては小さいが、何者かが動き回る音。

「……忍びか」

「三人逃しました。警戒を続けてください」

 弥太郎の声がまたどこからかする。


 その者が飛び出していたのは、幕の上からだった。アクロバットが過ぎる身体能力で頭上を舞い、覆面をした顔が確かにこちらを向くのを見た。

 源九郎叔父が刀を抜き、誠九郎叔父が志郎衛門叔父と巨大な肉壁となって勝千代を挟む。

 まるで蝙蝠のようなその忍びは、同じような軌道で飛んできた別の忍びと交差して移動していった。


 こういう、いかにも「忍者」な姿をみて、テンションを上げる時期は過ぎた。

 勝千代を見た視線の切り付けるような冷たさ。どうやっても殺すのだという執念が見て取れて、肝が冷える。

 命を狙われていることに、慣れる日が来るとは思えない。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
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2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[良い点] ありがとうございます。 [一言] 時期は定かではありませんが10年以上前ある山のさびれた公園に設置されたトイレがまだいわゆるボットン便所であまりの匂いと回収されていない現物も見えて何度もえ…
[一言] 面白くて、ここまで一気に読みました 36-2 誤字報告です じっくりと見上げて、見覚えのある正座を幾つも発見 正座→星座 その者が飛び出していたのは、幕の上からだった。アグロバットが過ぎ…
[良い点] まだまだ続きそうな曳馬城陥落編、ただ長いだけではなく情報量も多くて、様々な想像を掻き立てる仕込みがあり毎日楽しみです。 [気になる点] 奥平さんの態度や刺客の存在から見るに、まだ勝千代くん…
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