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最近どうも心がぎすぎすして、かつギュウと鳩尾が痛む状況が増えた。
勝千代は腹をさすりながらため息を飲み込んだ。
庶子兄の話を持ち出されたら、聞かざるを得ない。
難しい顔をしている叔父たちが何かを言うより先に、勝千代自らが「わかった」と頷き、奥平に言い分を喋らせることにした。
今離れたばかりの足踏み台に戻り、再び陣羽織が敷かれる前にさっさと座る。
両膝をついて頭を下げた奥平に視線を向けて、「申せ」と端的に言うと、真正面から視線が合って、その目がウルっと……えええぇ
「申し訳ございませんっ!」
ゴツン、と若干湿った土の上に勢いよく額を振り下ろした。
ひゅっと嗚咽を漏らすような音と、ぐずぐずと湿った声。
……お前幾つだよ。いい年をした男が、何故にこのタイミングで泣くんだ。
「申し訳っ……」
勝千代は、延々と号泣する奥平の姿に言葉もなく……ありていに言えば「ぽかん」と、いや「ぱかり」と口をあけた。
この状態の奥平を喋らせるまでに、またたっぷり時間がかかった。
理性ではウソ泣きだろう、よくやる。と思っていたが、三十分も号泣し続けられたら、もういい加減泣き止んでくれ……となる。
泣けば許してもらえるのは、可愛い女の子だけだと思っていた。
侮れない。
―――福島家ご当主謀反の兆しあり。
亀千代と名乗る者からこういう内容の結び文を受け取った時、どうしてこんなものが自分に、と首をかしげたという。
「まさか福島殿が……と思いながらも、周りの者を抑えきれず、そうなってしまった可能性はあると考えてしまいました。彦丸君の一件がありましてから、常にも増してますます表情も険しく、幾度となくお怒りの所を見かけましたので」
しかも悩んでいるうちに父が今川館に拘束され、福島軍の動きも怪し気になっていて、まさかこの文は真実だったのではと不安になったらしい。
「そこには、三河の松平と手を結んでいるとあります。福島殿は三河方面へは出ておられませんので、東三河の松平と結託など妙だとは思いましたが、武勇の誉れ高き福島殿が立たれるとなると、周辺の方々の中にも追従される方がいらっしゃりそうで」
最近東三河の治安が悪く、兵を増強した方がいいかもしれないと今川館の軍事方をその気にさせ、もともといた二百の兵とあわせ、五百人を三岳城に留め置いたそうだ。
断じてこそこそと増兵したわけではなく、色々な所から下級武士をかき集める形で招集したからそう見えたのだ……と。
「父の不忠を制し正しい道に導かんがため、近々帰還する予定……とあります。寡聞にして福島家の御長男が外の国へ出ておられるとは知りませなんだが、彦丸君があのような事になり、御嫡男も病弱と聞いておりましたので、よもやまことに呼び戻されたのでは……と」
内容の厳しい調子と、それが正式な書簡ではなく貧相な結び文だったということが、よりリアリティあるもののように感じたらしい。
「それでもまだ、悪戯かもしれぬという疑いはありました。そんな折に、福島殿は三河とは逆方向の甲斐に出兵なさることとなり、駿府との仲はやはりうまくいっておらぬのだろうと感じ申した」
要するに、福島対今川の構図がまだまだ続くと思ったわけだな。
「増員したままの兵を返せと言うてこないうちに、今度は曳馬城の落城です」
更には、掛川城に向かうよう指示されていた福島軍が、曳馬城の近くに布陣しはじめた。
「とうとう辛抱しきれぬようになったのか、と」
しかも、井伊殿を始めそうそうたる面々が集い、その兵数も二千越え。
うっすらとこうなることを予想していた奥平は、慌てて兵をまとめ陣まで駆けつけたのだそうだ。
「それで叔父上たちを押さえて、福島家が動けないようにしたかった……か」
「大変ご無礼な真似を致しましたが、本心から詰め腹を切らせようとしたわけではございません!」
いや、こういう状況で本当に謀反を起こす気でいたらなら、殺されていてもおかしくはなかった。
そもそも、そういう危機感があったにもかかわらず、よく陣まで出向いてきたな。
「まことに申し訳ございません!」
再び目を潤ませながら深く頭を下げる姿は、顔立ちが整っている分真摯で神妙に見える。
軍議を聞いているうちに勘違いだと悟り、こうやって謝罪しているのだというが……
本当だろうか。
一応話の筋としては通っている気もするが、やはりまだ信用できない。
特に違和感を覚えるのは、やけに声が大きなことだ。
不愉快云々は脇に置いておこう。微妙な話の内容なのに、公衆の面前。国人領主たちという超ド級に重要人物に見せつけるように号泣し。土下座し、事情を話す間の取り方も、声の大きさも、どこか舞台俳優の芝居のように見えてくる。
……芝居か。
涙も謝罪も意図的なものなら、かなり手馴れていると言わざるを得ない。
「話はそれだけですか」
話が途切れるのを待って、志郎衛門叔父が淡々とした口調で言った。
あれだけの大号泣を披露されたのに、まったく心に響いている様子はない。
ちらりと見上げた叔父の顔は、奇妙な事に無表情だった。
敵意も嫌悪も何もなく、もちろん憐憫や哀れみも感じている風もない。
「数え六つの童子を付き合わせるほどの内容ではありませんでしたね、井伊殿」
「さようですな」
それを聞いた奥平の目がふたたび潤み、頬に涙が滴り落ちた。
泣き奥平と呼ばれている、彼の通過儀礼のようなものらしいです(創作




