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大柄な叔父たち用の床机は、勝千代には大きすぎた。
大きな椅子に座る分には問題ないと思うだろう? それが違うのだ。
深く座れば尻が沈み勝千代を巻き込んで床机が閉じようとするし、手前の棒の部分に座るとひっくり返りそうになる。
子供用の床机は無理にしても、普通のスツールはないの?
こういうモダモダに突っ込みがはいらず、ずっと凝視されているというのは、なかなか精神的に刺さるものがある。
できるだけ早急に座るもの! ということで、三浦が持ってきたのは乗馬用の踏み台だった。背が低い人が使うやつ。
……ま、まあ叔父のお膝の上よりはかなりマシなので、その上に予備の羽織を敷いてなんちゃって椅子にして腰掛けた。
いつのまにか周囲には、目隠しになるようでならないような幕が張られ、かろうじて平ら部分に本陣? と言えなくもない簡易な区画が出来上がった。
わざわざそんなものを作る必要性があるのか、とひそかに思っていたのだが、出来上がって納得した。
篝火が焚かれ、その光源が周囲に拡散するのを防ぐことによって、陣内はかなり明るくなった。
何より、奥平の軍勢との間に仕切りができたことが大きい。
こちらも同様に、逢坂ら福島勢とも隔絶されてしまったが、叔父たちがいれば問題ないだろう。
その叔父たちは二人とも拘束を解かれ、今は勝千代の背後に仁王のごとく直立している。
殺伐としたその目が怖い。圧もすごい。
特に誠九郎叔父。地面に押さえつけられたことがよほど腹立たしかったらしく、ずっとフウフウと鼻息が荒い。
やがてちらほらと見知らぬ大人たちが集まってきて、それぞれが天幕の入り口で名を名乗る。
初耳の名前も多いが、予習で聞いたことのある者もあった。
その数、総勢十七名。
最も大きな勢力は井伊殿で、小さいところだとおそらく村をいくつか所領にしているだけなのだろうが、彼らの力を集結することによってこの混合軍は成り立っている。
「揃われましたね」
入口の垂れ幕が下ろされたところで、おそらく定員に達したのだろう。
司会進行は、掛川城から遣わされた興津の配下。
この時代の武家の男は大抵が髭を生やしているのだが、その男は顎廻りだけという、現代にも通じる整え方をしていて、身なりにもそれなりに気を使っている伊達男風だ。
この男が福島本陣に来てくれたことによって、場の空気が変わったと言ってもいい。
奥平の軍の到着は知っていたが、真っ先に福島に難癖をつけに行くとは思っておらず、朝比奈の指揮官と一緒に奥平が顔を見せに来るのをずっと待っていたらしい。
彼の名前は伊達男だけに伊達藤三郎。朝比奈の大将は柿本といういかにも武辺者、といった顔立ちの男だ。
この二人の率いる兵の数を合わせると六百を越え、奥平と張る。いやなんなら、福島の兵も合わせると千近い。
単独では奥平の軍が最も多いのは確かなのだが……なんというか、アウェイ感が酷かった。
おそらくそれは、勝千代のこぼした言葉が伝播して、皆に伝わったからなのだろう。
「では軍議に入りましょう。えー、先に申し上げておきますが、福島家の方々はこの後離脱して掛川に向かいます。ここでは、掛川で軍勢が整えられた後に、もう一度戻って来られるまでの防備について話し合います」
なんだかすごく現代人っぽい喋り方をする男だ。
「基本方針としては、曳馬には攻め込まない、という決まりを厳守してください。総大将となる興津殿が、兵を率い戻ってきてからの事になります。我らがするべきなのは、遠江を荒そうとする三河者を、これ以上この国に入れない事」
伊達はちらりと不満そうな表情の奥平を横目で見て、更には真正面の、お誕生日席? 違うな、大将席? うーん、とにかく一番の上座に置かれた「足踏み台」に鎮座した、小柄な勝千代に視線を向けた。
え? 何? 口を挟む気はないよ。
奥平の件についても、本人が曳馬城の件を知っていたか否かは、今となってはさほど大きな問題ではない。
今一番気にするべきなのは、五百もの兵を何に使うべく命令を受けているのか、ということだ。
興津が来る前に曳馬を押さえる為?
いやいや、すでにもう千近いであろう曳馬城の敵兵の数を考えると、五百では無謀だ。
だとすれば最もあり得そうなのは……寸前に彼が福島家にやろうとしたようなことを、他の国人領主たちに仕掛けようとしている?
要するに、対井伊家だ。
勝千代の目が奥平に向いた事に気づいたのだろう、伊達もまたちらりとそちらの方を見て、さっと逸らした。
「よいだろうか」
次に声を発したのはその井伊殿だった。
「井伊殿、どうぞ」
「天候の云々を言うても仕方がないと分っているが、ずっと野宿では兵たちが疲弊する。今川軍が戻ってくるのはいつごろになるだろう。場合によっては、このあたりに雨風をしのげるようなものを建てたいのだが」
「それは砦ということですか?」
奥平の目がきらりと光った。
「今川はそれを受け入れません」
「奥平殿、ではここにいる兵たちすべてに、十日も二十日も、場合によってはひと月以上も野宿せよというのか?!」
「ご領地に戻られ、人員を入れ替えるなど工夫なさればよろしいのでは。そもそもこの辺りは曳馬領主飯尾殿のご領地、井伊殿が勝手に建築物を建てるなど許されることではありませぬ」
「飯尾殿は生死もわからぬではないか!」
「だとしても、かつてとは違い井伊家のご領地ではない。勝手は許されぬ」
うーん。
勝千代は首をひねった。
奥平が国人領主の動きを封じようとしているのは、おそらく間違いない。
だがここを押さえなければ、遠江が強奪されてしまうというのは、火を見るよりも明らかなのだ。
砦などと大げさなものではなく、雨風をしのげる程度、すぐに壊せる簡易なものにすればよい。
奥平がここまで否を言う理由が見つからない。
「よろしいでしょうか」
「江坂殿、どうぞ」
次に手を上げたのは志郎衛門叔父だ。
「奥平殿の兵は、この先どうされるのでしょう。ここに配備されるのでしょうか」
そうだよな、福島が領民を見捨ててでも掛川に兵を集めるように命じられているのだから、常識的に考えれば奥平も同様のはずだ。
本音を言えば、掛川で兵を合流させる理由も、すでにそれほどないのだ。既にこの本陣にいる数だけでも、十分に曳馬に攻め入ることはできると思う。
それをわざわざ、兵をあっちこっちと往復させる……三河勢に有利なように動かされているようにしか見えない。
勝千代は、手でもてあそんでいた扇子をパチリと閉じた。
それは奇妙なほど大人たちの注意を引いた。
全員がざっと音が出そうな勢いで勝千代の方に顔を向ける。
な、なに? 怖いんだけど。
 





 
  
 