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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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204/308

34-2

 足元の血だまりは、雨でまったくわからない。

 血臭よりも、湿った土や草の匂いの方が強い。

 五十と言われた侵入者だが、実際に片を付けてみると二十を少し超えるぐらいの数だった。いくらかは逃亡しただろうが、せいぜい三十人前後だろう。

 一か所に集められた侵入者たちの死体を見つめ、やはりこの城を落とすことが目的ではないな、とため息をついた。

 しばらく来なかった「お客さん」だ。

 忍びではなく、明らかに武士だった。

 喋り方から推察するに、三河方面の出だろうとのことだ。

 だがしかし、今の逼迫した状況下で、三河武士たちがわざわざ四歳のちびっ子を狙う余裕などあるだろうか。

 その時はまだ、十中八九駿府の方から仕掛けられたものだろうと確信していた。

 怒りと同時に、脱力したいほどの呆れも込み上げてくる。

 

 ぶん、と銀色の鈍い光が振り下ろされ、立っていた最後のひとりが水たまりに倒れ落ちた。

 ばしゃりと派手に飛び散ったのは、水しぶき。

 血もあったのかもしれないが、距離があるのでまったく見えない。

「終わりましたな」

 逢坂老も土井や三浦も、すでにもう刀も抜いていない。

 周囲を警戒している谷ら護衛たちですら、柄に軽く触れている程度だ。

 侵入者に対応したのは高天神城に残っていた兵たちで、勝千代の側に控える者たちが直接刃を交える事すらなかった。


 雨に濡れた刀を振り下ろしたのは、勝千代の目にはまだ少年と映る若い武士だった。

 身に着けているものから、それほど高い身分ではないとわかる。

「お身体が冷えますので中へ」

「……いや」

 軒下にいるので、それほど濡れていない。

 吹き込む雨風も、少し収まってきているようだ。

 勝千代は、こちらの凝視に気づかず、抜き身の刀をぶら下げたまま周囲を見回している少年を見つめた。

 彼の全身を濡らす雨と、身の丈に合っていない長さの刀。

 走り寄ってきて止めをさした長槍のギラリとした穂先。

「あの者が何か?」

 まだ子供じゃないか、と言いかけてやめた。

 この時代、元服を済ませたらすでに成人だ。中学生ぐらいに見えるあの少年も、おそらくはすでにもう大人扱いなのだろう。


 やがて、最後に死んだ者も引きずられ、死体が集められている場所に運ばれてくる。

 冷静にそれらを見ていて、たいした忌避感もないことにようやく気付いた。

 慣れか? この状況に対する怒りか?

 惨殺された死体よりも、それを見てもさほど心が動かない事のほうに衝撃を受ける。

「三河者だとは思いますが、やはり身元が分かるものは所持しておりません」

 死体を調べていた弥太郎が、ずぶ濡れの顔を上げて言った。

 刺客ならばそうだろうな。

 勝千代は頷き、きれいに並べられた二十幾つかの遺骸を順に目で追った。

 こういう時代だ、四歳児の殺害を好き好んで受けたというよりも、命令されてここに来たのだろう。

 死ぬと分っていたのだろうか。

 覚悟をしていたのだろうか。

 ここで濡れた屍を晒すために生きてきた訳ではないはずだと、憎しみより先に憐憫の思いが湧き上がってくる。


「こちらの被害は?」

 逢坂老の問いかけに答えたのは見知らぬ男だ。

「巡回中の者が数名手傷を負いましたが、重傷ではありません」

「侵入経路はわかっているのか?」

「破られたところは判明しています。……他にもあるやもしれませぬので、調べさせております」

「まだ潜んでおるやもしれぬ。巡回を念入りにせよ」

 目に見えて雨が小降りになってくる。

 風に潮の匂いが混じっているのは気のせいだろうか。

 風向きが変わり、雲の色が若干薄くなり、同時に、これまで感じなかった血の匂いが漂ってくる。


 ふと、弥太郎が広げている男たちの手荷物が気になった。

 目に付いたのは、つるりと照りのあるひょうたん徳利だ。口の部分に木製の栓があり、首の部分に紐が結ばれている。

 酒か? まさか曳馬で使ったような毒ではないだろうな。

 弥太郎も同じことを考えたのか、栓を抜いて鼻を近づけている。

「……油ですね」

 油? 何故そのようなものを?

「城に火を放とうとしたのかもしれません」

 弥太郎の言葉に、逢坂老が首をかしげる。

「あいにくの雨だが」

「少し前まで風だけでしたよ」

「城に火をつけようとしたのか?!」

「わかりませんが、調べたほうがいいですね」 

 雨が降る前は風が強かった。多少時間が前後していれば、小さな城なので燃え落ちていた可能性はある。

 だが、雨が降り始めた段階で襲撃自体を中止する道もあったはずだ。

 そうしなかったのは何故だ? すでに城内に侵入していたからか?

 嫌な想像が脳裏に過る。


「逢坂」

 勝千代は、徳利の栓を抜いている逢坂老に声をかけた。

 「はい」と返事をしながら振り返った老に、内心の怯えを押し隠しながら言ってみる。

「……時を合わせて火を点ける手筈になっていたのではないか」

 逢坂は首を傾げ、勝千代を見下ろし、その視線が据えられている徳利に目を向けた。

「近くにある城や町に、用心するように呼び掛けたほうが良いかもしれない」


 想像してみる。

 火の手が上がる高天神城。殺された勝千代。

 パニック状態の城内。鳴り響く半鐘。

 知らせを受けた叔父たちは、急いで帰城しようとするだろう。

 ……もしそれが、複数の場所で同時に起こったら?

 例えば井伊谷で、例えばそれぞれの村や町で、襲撃を受け火の手が上がっていると次々に知らせが届けば、曳馬を取り囲む軍勢は一斉に浮足立つのではないか。


 周囲の大人たちがはっと息を飲む。

 それが可能かどうかはさておき、結果を想像するのは容易だった。

「……各所に知らせを」

 勝千代はそう指示してから、ぶるりと身震いした。

 もし他の城や町で同じような事が起こっているなら、この者たちは勝千代個人に向けられた刺客ではなく、こちらが打った手に対する対抗手段に違いなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いったい何か所に送っているのかわからないけど勝千代の想像通りなら1.2か所ということは考えられないので数百人と言える規模の人間をこの決死行ともいえる行動に費やしたことになりますね。 流石に徴…
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