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「曳馬の者たちは今どうしているでしょう」
しばらくして、勝千代がこぼしたひと言に、大人たちは苦渋に満ちた顔をした。
毒にやられず生き延びた者が、地下牢にとらわれていることはわかっている。
しかしそれがどれぐらいの数で、そもそも城主がその中にいるのかも判明していない。
飯尾が落ち延びたのは落城直後らしく、大勢がゴロゴロと息絶え、三河ものたちが城を占拠するのは見ているが、その後の事は知らないようだった。
城にいた者たちのどれだけが生き残っているのだろう。
曳馬城の城下町にいた者たちは?
全員が殺されてしまったのだろうか。
逃れようのない運命が彼らをつかまえてしまったのだ……と、言い訳のように自身に言い聞かせる。
生きているのなら助けてやりたい、すぐにでも救出するべきだなどと、人道的な台詞はどうしても吐けない。
救助の兵を曳馬に向けるのは良いとしても、それは高天神城にいる福島家のみが負うべき負担だろうか。
例えば曳馬の哀れな囚われ人を救い出すために、叔父や他の誰かが死ぬのだとすれば、「何のために」と思ってしまうに違いなかった。
ただ手をこまねいてみているだけ、という選択もありえない。
そうするには、曳馬までの距離があまりにも近いのだ。
三河はここ数年凶作だという。
米などの物資を目的に、近隣を荒らしまわる可能性は十分にある。
であるならば、もうひとつ、取れる手段はある。
「井伊谷へ協力を要請するがよいかと思います」
曳馬から近いのは掛川城や高天神城だけではなく、その手前には町もあるし村もある。当然だが、その中には他の国人領主たちが守る土地も含まれている。
「いや、しかし」
ためらいの言葉を発しようとしたのは、かなり高齢の男だ。
彼の言いたいことはわかる。
井伊家が協力するとは思えない、というのだろう。
遠江を今川家が支配し、国人領主たちが従順するようになったのはそれほど昔の事ではない。
曳馬城での最後の攻防が起こってから、たったの五、六年にしかならない。
それだけに、地方の国人たちの勢力はまだまだ強く、表立って今川家に反発はしていないものの、内心では思う事もあるはずで、現に井伊家は今川の三河攻略からは外されているそうだ。
勝千代は大人たちの躊躇いに大きく首を上下させ、一定の理解はしてみせるものの、「ですが」と言葉を続ける。
「三河が攻め込んできたことに、危機感はあるはずです」
今川館が、福島家に掛川まで引くように、と言ったのは、一応は従っている国人領主たちの動向に不安を感じたというのもあるのだろう。
そう、東西三河が手を結ぶなどあり得ない、と考えられていたように、彼らと遠江の国人領主たちが利害の一致を計らないとも限らない。
「掛川の興津殿がにらみを利かせているうちは、敵対行動はとらないと思います。ならば、こちらに協力してもらいましょう」
寒月様の夜討ちの件が僥倖だとは言いたくないが、結果論として、掛川に千もの兵が配備されたのは大きい。
どの国人領主も、それだけの兵とまともにぶつかろうとはしないだろう。
むしろ、疑惑の目を向けられてはかなわない、と思うはずだ。
勝千代の発言に、驚愕の表情を浮かべていないのは志郎衛門叔父だけだった。
残りの大人たちは皆、あっけにとられたような顔をして、ちんまりとした四歳児を凝視している。
勝千代は小首をかしげ、大柄な親族に挟まれるとますます小さく見えるのだろうな、と客観的に思いはするけれど、それに今の言動が合わさったときにどれほどインパクトがあるのかについては、意図的に考えないようにしていた。
「近隣の国人領主たちが協力すれば、少なく見積もっても三百から五百の兵力はあると聞きます。彼らに戦えとは言いません。曳馬にいる三河者たちが気づくあたりに布陣して、派手に騒いでもらいましょう」
もちろん福島もそれに加わる。
後々、掛川へ行かなかったことを咎められるだろうが、書簡が届かなかったと言い張るついでに、国人領主たちの動きを報告してやればいいのだ。
見張っていないとだめだよね? 三河と迎合されたらこまるものね?
長い沈黙の末、どこからか「ぶふっ」と妙な音が聞こえた。
誰が噴き出したのだと見回すと、意外な事にそれは源九郎叔父だった。
火傷の痕も痛々しい顔を、抑えきれない笑みで更にゆがめている。
ちょっと子供には恐ろしすぎる面相だ。
「最初からそのおつもりでしたか」
ぐふっと更に妙な音をこぼし、涎を拭う風に口元を押さえる。
「攻め込むに難しと思わせ、更には朝比奈との挟撃を危惧させるわけですな。幸いにもこちらには日向屋が用意した兵糧がたんまりある。腰兵糧として使うても良し、国人衆らに差し入れても良し……いやはや、なかなかのお考えかと」
顔はものすごく武骨で、恐ろしげだが、心根の優しい叔父なのだろうと思っていた。
いや、違うとは言わない。
ただ、こらえきれぬと笑う様はちょっとアレだ。どう贔屓目に見ても……危ない人だ。
「それではそれがしが使者として井伊谷へ出向きましょう。何、知らぬ仲ではございませぬ」
ふっふっふとまだ笑いが収まらず、妙に饒舌にそう言って、隣にいる勝千代の頭にぶ厚い掌を乗せた。
乱暴にしているつもりはないのだろうが、軽く撫でられただけで頭がぐらんぐらんと揺れる。
ちょっと! せっかく三浦に結いなおしてもらった髪が崩れるから!!
源九郎叔父の無遠慮な仕草と、勝千代がむっつりと「辛抱しています」と眉間にしわを寄せるさまを見て、深刻だったその場の空気が緩む。
「そうですな。では、砦の者たちが飢え始める前に動かねば……」
「時を合わせる必要もありますぞ」
「いくらか船で兵糧を運ぶというのは?」
「南遠だけではのうて、中北遠の方々にも御助力いただければ……」
重く静まり返っていた広間に、活発な議論が飛び交い始める。
道筋が見えてきた。
状況は何も変わらないが、悲観的な空気は既にそこにはなかった。
 





 
  
 