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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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201/308

33-5

 まだ夜も明けきらぬ早朝、いやもっと早い刻限。

 唐突に表れた勝千代の姿に叔父たちは驚き、勝千代も、その場にいるのが叔父たちだけではなく、城の主だった者たちも集まっていることに躊躇した。

 気を取り直して歩を進めると、初対面ではないがあまりよく知らない男たちが一斉に頭を下げて、道をあける。

 それほど広い部屋でもないから、袴の裾が触れるほど近くに男たちの顔があって、乏しい明かりに浮かび上がるその表情はどれも疲弊しているように見えた。


 勝千代は下座に座ろうとしたが、車座になっていた三人の叔父たちは無意識だろうが隙間をあけて、それは最も上座だった。

 何度も言うが、大勢の大人がきちんと序列で並べるほど広い部屋ではない。

 勝千代は仕方がないので志郎衛門叔父の隣にあいた隙間に座ったが、「たまたま」それが最上座だっただけだ。


「起こしてしまいましたか」

 志郎衛門叔父が申し訳なさそうに言う。

「うるさくして申し訳ありません」

「いいえ」

 勝千代は座った位置に今気づいて居心地が悪いと感じながら、もぞりと尻の位置を正した。

 果たして、勝千代の事をあまりよく知らない大人たちが、きちんと話を聞いてくれるだろうか。

 不安はあったが、提案のひとつとして話しておくべきだろうと意を決する。


 まず、曳馬に手は付けない。

 おもむろにそう言った勝千代に向かって、ぽかんと口をあけたのは誠九郎叔父だ。

 源九郎叔父もまた、顔の火傷のあとも恐ろし気に顔を顰めた。

 子供が口出しをするなと窘められるかと怯んだが、誰も口を開くことはなかった。

 静まり返った広間に、妙に重圧のある沈黙が落ちる。


「奪われた兵糧の行き先は、牧野家です」

 東西三河の境に布陣している朝比奈軍に、それを取り戻すための作戦行動の指示を出そうと考えていた。

 目標は牧野家。

 彼らの主城は砦からそれほど遠く離れているわけではなく、現状領地境の兵力配備は薄い。

 もちろんそれは、朝比奈軍を警戒していると悟らせないためなのだろうが、おそらくは曳馬へも兵を割いた事と、ここ数年の凶作で多くの兵を動員することができなかった、という理由もあるのだと思う。

 弥太郎からの調査結果では、牧野は奪った米を凶作だった村々に配布するのではなく、そのまま兵糧として備蓄しているのだそうだ。

 まだ飢饉が起こるほどではないからできる事だろうし、これから対今川戦を想定しているのなら必要不可欠だろうが、こちらにしても、目標のものがまとまった場所に保管されていると奪回もしやすい。


 危惧していた通り、前線の今川砦の兵糧は尽きかけているそうだ。

 遠征の指揮官である朝比奈殿の叔父ですら、一日に小さな握り飯ひとつのみ。未だ補給が完全に途絶えたとは思っておらず、いつもの遅延だろうと耐えているのだそうだ。

 それほど頻繁に起こる遅れなのだとすれば、以前から兵糧の強奪あるいは横流しのようなものがあったのかもしれない。

 なんにせよ、朝比奈軍は曳馬が落城したことすら知らなかった。

 東三河が味方だと信じ込んでいるからこそできる、見事なまでの情報遮断。

 孤立させ、あとは飢えるのを待つだけでいい。

 曳馬に毒を使ったことと言い、じわじわと真綿で首をしめるような、かなりいやらしいやり口だ。

 なにより、自勢力を温存したままだというのが強い。


「しかし……三河国内です」

 勝手な事をすれば、今川館から叱責される。

 誰しもの頭にそのことがあるようで、筆頭家老の米田が困惑した口調で言った。

「ああ、東三河の者が我らの兵糧をかすめ取ったのだ」

 勝千代は何という事もない口調でそう言って、小首をかしげた。


 そういえば、この時代の人々は、勝千代の中のただの「県境」を「国境」と呼ぶ。

 国境をまたいでの手出しは大きな意味を持つのかもしれない。

 だがそれを言うなら、三河の国から遠江へ進軍してきて城を取られたのだ。

 こちらの兵糧を奪い、補給路を断っているのも彼らだ。

 それを奪回するための動きを、責められる謂れはない。

 三河勢にとっては、侵略者はむしろ今川の方と考えているのだろうが……。


「高天神城を放置し、掛川へ合流するようにと命じられたのだろう?」

 勝千代は無邪気ににこりと微笑み、硬い表情の大人たちを見回した。

「御屋形様の御下知には従わざるを得ないな。……いつ届くかわからぬ指示だが」

 笑ってそう言い切ると、双子の叔父を含め大人たちは信じがたいものを見るような目を向けてきた。


 要するに、書簡はまだ届いていない。届いていないのだから、従う謂れもない。

 砦に残された朝比奈軍への働きかけは、自己判断の範疇内だろう。

 だってまだ何も言われていないのだし。友軍の危機を放置もできないし。


 勝千代の言いたいことを察して、しばらく何とも言えない沈黙が続く。

「確かに、御指示が届いていないのならば、我らは我らでできる限りのことをせねばなりません」

 ただ一人、志郎衛門叔父だけは勝千代の言葉に深く考え込み、眉間の皺に更なる影を落としながら言った。

「ただ……うまくいきますか?」

「兵糧を横から奪われ、今日明日の米もない状態で、砦が長く持つとは思えません。朝比奈軍も必死で働くはず」

 勝千代が示唆しているのは、ただ兵糧を奪い返すという事だけではない。

 牧野に攻め込めば、曳馬に出ている者たちも慌てるだろう。

 庭先で暴れだした今川軍を放置はできず、うまくすれば三河国内まで兵を引いてくれるかもしれない。

 いや、そこまではいかなくとも、これ以上の遠江への進出は、現在三河に進軍中の今川軍を壊滅させてからだと思うのではないか。

 少なくとも、やみくもに遠江の深くまで兵を進めることはできなくなるはずだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 西三河の牧野氏の拠点というと牛久保城ですかね? 朝比奈軍も、取り返さなければ飢えるしか無いし、下手に撤退すれば待ってましたとばかりに追い討ちをかけられるのが目に見えているから乗ってくれるで…
[一言] これは・・・つまり電撃戦ですね、突撃ですね! 福島家の大好物なのでは?
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