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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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33-4

 ドゴン!

 うとうとしていた矢先、大きな物音がした。

 瞼が意識せぬうちにパッと開き、真っ暗な天井を見上げる。

「……!!」

 誠九郎叔父の怒鳴り声だというのはわかった。

 だがしかし、それに応えるぼそぼそとした反応は誰のものかわからない。

「何事もございませぬ。お休みください」

 宿直の南が低い声で言う。

 その声に含まれる緊張は隠しようがなく、見開いた目を再び閉じる気にはなれなかった。

「何か」

 何かあったのか、と問いかけようとした矢先、「あり得ぬ!」と割れた声がはっきりと聞こえた。

 

 平和な時代に生まれ育った。

 戦争というのがどういう風に始まり、どういう経過をたどるかなど知るわけもない。

 だが漠然と、「宣戦布告」のようなものをして、それから殴り合うような状況を想像していたのかもしれない。

 よく考えれば、夜間に奇襲を掛けたり、井戸に毒を投げ込むなど、何でもありなのだ。

 例えば現代のように、一般市民への虐殺がネットニュースなどに流れ、世界中から非難されるような状況は起こりえない。

 どういう手段を取ろうと、勝利した方が正義。

 卑怯だなどと言うのは負け犬の遠吠えだと、そう蔑まれてしまう時代なのだ。


 「あり得ぬ」と叔父が叫んだ理由はともかくとして、良い状況ではない事だけははっきりしていた。

 勝千代は身体に掛けられていた着物を脇によけ、起き上がった。

 相変わらず室内は寒い。襖が閉め切られているので真っ暗だ。

 体感的に、明け方が近いというわけでもなく、まだ夜中と言ってよい刻限のようだった。

「興津殿は……」

 叔父たちの論議する声が聞こえてくる。

 勝千代はそういう事から遠ざけられているが、近い部屋で軍議をしているのでほとんどの事情が筒抜けだ。

 しばらく耳を傾け、詰めていた息を長く吐いた。


 求めていた援軍は来ない。

 今川館は、今回の三河侵攻を、遠江にいる者たちだけで片を付けるように、と言ってきたのだ。

 しかも、掛川城から高天神城への兵の移動、つまり分散配備は却下された。

 むしろ福島家には、なんとしてでも掛川城を守れという指示が出された。

 掛川にいる興津の兵の数は千。城の規模的に多いとまでは言えないが、三河の兵数を考えれば少なすぎるというわけでもない。

 それなのに、高天神城への指示は、掛川城防衛のために五百の兵を向かわせるように、というものだった。

 そもそもこの城にそれだけの兵数はいない。領地内のありったけの農民をかき集めて、ようやくの数だ。

 その命令に従えば、この城どころか、福島家の領内全体が無防備になってしまう。

 主城を捨てろ、領地を放棄しろと言われたようなものだった。


 勝千代は臥所から出て、寝崩れた前合わせを整えた。

 こういう状況なのに、きちんとした白地の夜着で、個人的にはまるで病院着のようだと思っているのは内緒だ。

「……白湯を」

 気持ちを落ち着けたくてそう頼んだが、南は感心できないという表情で眉間にしわを寄せた。

 ここ数日、あまり眠れていない事を知っているからだろう。

 かつてはこんなに寝つきが悪いという事はなかった気がする。神経が過敏になっているのだ。


「叔父上たちはずっと起きておられるのか?」

「交代でお休みです」

 ここ数日、次第に顔色が悪くなっているのは勝千代だけだ。

 体力があるからか、大人だからか、叔父たちの表情に疲れの色はみられない。

 この程度の難事、たいしたことではないと感じているようにも見えるが、おそらくはそれは虚勢だろう。

 実際問題として、状況は非常に厳しいと言わざるを得ない。

 部下の士気を保つためだろうが、平然と振舞うその精神力は見習いたいものだ。


 再び聞き取りにくくなった叔父たちの声に耳を澄ませる。

 とにかく、曳馬城の三河者たちが日一日と兵を増やしていることに関して、危機感を募らせている。

 今川館に報告をする前に、早い段階で攻めるべきだった、というのは誠九郎叔父だ。

 そういうわけにはいかないと、偵察に徹するよう命じたのは志郎衛門叔父だ。

 どちらが間違っていたというわけではない。

 ただ、誠九郎叔父が言うように、敵兵が増えていくのがわかっていて放置するには、曳馬城はあまりにもここから近い。


「御屋形様のお考えはわかった」

 源九郎叔父の腹に響くような低い声が聞こえる。

「この城は捨てても良いから掛川は守れという御下知だがな」

 双子で、あれだけよく似た容姿なのに、誠九郎叔父の声は若干高く苛立たし気だ。

「城よりも人だ。掛川に勢力を集めるのもあながち悪い案ではない」

「兄上のご不在時に、城を失うわけにはいかぬ!」

 再びドゴン! と大きな音。

 誠九郎叔父がまた床を殴るか蹴るかしたのだろう。


「せめて勝千代殿だけでも」

 低い声でそう言ったのは源九郎叔父だ。

 勝千代の名前が出た瞬間に兄弟は黙り込み、何かを考えている風だったが、しばらくして志郎衛門叔父がぼそりと呟いた。

「……いや、あの子は頷かぬよ」

「しかし」

「手だてを考えよう。まだ連中がこちらへ向かってくるとは限らぬ」


 勝千代は受け取った湯呑みを両手で持ちながら、幼い甥を気にかけてくれる叔父たちと、寡兵すぎて不安しかない現状に耳を傾ける。

 曳馬に集まった兵が、ここ高天神城に攻めてくる可能性について、誰もがあり得ると考えている。

 いやむしろ、防備の厚い掛川城ではなく海沿いの領地拡大を狙うのではないか。

 素人の勝千代ですらそう思うのに、今川館の判断は違うようだ。

 まずは掛川城を専守し、戦況を整え、その後に一丸となって三河勢を押し返せ……そう命じてきたのだ。

 右か左かの判断で、そちらを選択するという道が正しくないとは言わない。

 だが、実際にこの地を領地とし、領民や町を守るべき立場の者としては、自身の身体を捨てていけと言われたようなものだった。

 いずれ押し返せば取り戻せる?

 荒らされた田畑や町が、元の状態で戻ってくると言い切れるか?



 目を閉じる。

 曳馬城の裏手に、山積みにされているという死体を想像する。

 漠然と、大きな波のようなものが押し寄せてくる感覚。

 その波が高天神城にまで届き、真っ黒な色で塗りつぶしていく。

 想像の中では、大勢の無辜の民たちが虚ろな眼窩を宙に晒して横たわっている。

 勝千代や叔父たちも同じように、冷えた風に屍を晒され、闇色の時代、禍々しい歴史の一片として埋もれて消える。


 十分にあり得る事だった。

 十分どころか、明日にでも押し寄せてくる運命のように思えた。

 黒い波が側まで来ている。

 すでに飛沫が足元を濡らしている。


 勝千代は湯呑みを脇に置いた。

 ずっと考えていたことを実行に移すのなら、早い方がいい。

 おそらくそれが許されるのは勝千代だけだった。いや許されないのだとしても、やってみる価値はある。

 今川館からの命令? 知ったことか。

 ただの紙切れ一枚で、福島家をすり潰せるなどと思わない事だ。

 指示書など見ていない。届いていない。

 ……こういうのは、そちらの十八番おはこだろう?

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
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― 新着の感想 ―
[一言] 派閥争いは人の常だけどさ、敵と味方の区別もつかないのはどうかと思うよ。 そんなんじゃあ、弱った途端にそっぽ向かれるよ。武田と徳川に挟み撃ちされた時とかね。
[一言] 200話おめでとうございます!(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチ どんどん面白くなっていきますね! 毎朝の楽しみが続いてる事に感謝です。 これからも楽しみにしてます!
[一言] どっちにつくかは、明白、だけど あれだよね、 今川館「助けてー」「いざお館」ってときに 国人「聞こえんな」「いまいそがしいぞっと」 は当分あるよね
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