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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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194/308

32-5

 血に浸り、三分の二以上の文字が判別しにくい状態だった。

 だが残りの三分の一だけでも、内容の推察は十分に可能で、ずしりと鳩尾に重いものを感じる。

 血で濡れて破れそうなので、手に持つことはできない。

 故に上がり框の上に置いたまま、もっとわかることがあるのではと顔を近づけて文字列を目で追う。

「勝千代どの」

 どっしりとした声だが志郎衛門叔父のものではない。

 名を呼ばれて顔を上げると、源九郎叔父が真後ろまで来ていた。

 火傷の痕も恐ろしげだが、その目の奥にはこちらを気遣う色合いがある。幼い勝千代がこの騒ぎで恐ろしい思いをしていただろうと、急いで戻ってきてくれたようだ。

 これだけの数に守られていて、怪我などあるはずもないのに、さっと上から下まで無事を確認するように目線が動き、血まみれの書簡に気づいたのはその後だった。

「大手門にたどり着いた者が隠し持っていたそうです」

 源九郎叔父の目が、子供にそんなものを見せるなと咎めるように側付きたちを見る。

「お読みください、急いだほうがよさそうです。三浦」

「はい」

「他の叔父上たちにも大至急」

「……はいっ!」

 三浦に言ったはずなのに、戻ってきたのは幾らか息が上がった若い声だった。

 先程急使で叔父たちのところまで往復していた少年のひとりだ。

「急げ、圭次郎」

 三浦にそう命じられて、弾丸のように走り出す少年を、あっけに取られて見送る。

 三浦が若干はにかむような表情になって、小さく頭を下げた。

「……弟です」

 ああ、なるほど。あの子も三浦なのね。


 しばらくして誠九郎叔父が、志郎衛門叔父が戻ってきたのは一番最後だった。

 三浦の弟にどう説明を受けたのか、二人とも難しい顔をしている。

 叔父たちは額をくっつけるようにして書簡に目を通し、それからなおも険しい表情になった。

「……とりあえず奥へ」

 志郎衛門叔父が、少し離れた位置で考え込んでいた勝千代に目を向ける。

「ここは冷えます」

 叔父の頭には、勝千代の虚弱さへの気がかりがあるのだろう。実際に寝込んだところも見られているし、頑強そうな福島兄弟に混じればいかにも弱々しい。

 この件から遠ざけようと意図したわけではないと思う。

 幼い童子に何ができるわけでもないのも事実だ。

 だが、そんな気づかいを振り払い、勝千代はしっかりと叔父の目を見返して言った。

「……例の件とは無関係でしょうか」

 例の件とはつまり、曳馬城にいるという庶子兄の事だ。

 叔父たちは息をのみ、そうつぶやいた勝千代を見る。

「そうは思えないのですが」


―――曳馬城、三河勢の手により落城。


 たとえ他の部分が読めなくとも、その一文が残っていただけで、密書の内容の察しはついた。

「いや、これが真のものかどうか」

 誠九郎叔父は否定要素をみつけようとしたのだろうが、失敗した。

 自分でもそう思ったのだろう、喉の奥で低く唸る。

 そう、この書簡の真偽をここで議論する意味はない。

 嘘か真かなどと、書簡ひとつで判断できることではないからだ。

 急ぎ事実確認をしなくてはならない。


 いやその前に、考えなければならないことがある。

「……逢坂が曳馬城に向かっています」

 庶子兄を見極めに行けと送り出したのは勝千代だ。

 逢坂家の三十名ほどが曳馬城に向かい、そろそろ到着していることだと思う。

 何事もなければいいのだが、城が本当に三河勢の手に渡っていたら、ただでは済むまい。

 老らは入城前に異変に気付くだろうか。

 ふと、勝千代が直接曳馬に出向こうかと考えたことを思い出した。

 相手も四歳児がそんな動きをすると想定していたわけではないだろう。

 だがしかし、もしかしたら勝千代が今の逢坂老と同じ立場になり、伏兵が待ち構えている曳馬城にのこのこと乗り込むことになっていたかもしれない。

 想像しただけで、ぞわりと鳥肌が立った。

「すぐに手勢を出そう」

「百は連れていけ」

 立ち上がった源九郎叔父に、志郎衛門叔父が声を掛ける。

 無事逃れていたとしても、負傷した伝令のように追手に苦しめられているかもしれない。

 少なくとも、現在城の周辺にいる正体不明の騎馬隊を蹴散らすことができる戦力は必要だ。


「源九郎叔父上」

 行動が早くさっさと動こうとした源九郎叔父が、勝千代の呼びかけにぴたりと動きを止めた。

 何故か双子の誠九郎叔父まで背筋を伸ばして固まっている。

「逢坂老と合流できたら、あえて敵と交戦しようとせずに引いてください」

 逢坂騎馬隊が追われている時点で、曳馬城が落ちたという知らせの信憑性が高まる。

 どれだけの兵が曳馬に入ったかの判断はできないが、今川と事をかまえようとしている以上、寡兵ではないだろう。

 気になるのが、掛川からたんまり兵糧を送ったばかりだということだ。

 もしかすると、その時にはすでに城が落ちていたのかもしれない。

 だとすれば、敵は用意周到に準備しているはずだ。


「掛川に興津殿の兵が千います。土方の城にはどれぐらいの兵力があるでしょう」

 ちなみに、勝千代が寒月様の屋敷から連れてきた兵はおおよそ三十。

 数日で戻るつもりだったので、全員は連れてきていない。

「まずは御屋形様にお知らせしなくては」

 常識人らしい志郎衛門叔父の言葉に、勝千代は頷く。

「もちろんです。ですが曳馬城が落ちたのだとすれば、距離の近いここと掛川はすぐにも防備を固めるべきです。曳馬城を取り戻すのとは別の話です」

 ふと脳裏に浮かんだのは、寒月様や東雲の顔だ。

 あの町は掛川と土方のほぼ中央あたりにあり、曳馬との距離も若干遠い程度。

 つまり、三方の真ん中の要所になる。

「……寒月様にも移っていただかなければ」

 職人たちの陽気な掛け声と、修復された門や庭園の様子を思い出す。

 人々が行きかう活気ある街の情景や、美しい夕焼けの事も。

 戦乱の世、非力な平民たちは武器すら持たず、ただ日々の生活が壊されていくのを見ているしかない。天災のように、過ぎ去るのを待つしかすべはないのだ。

「東雲殿は移動に耐えることができるでしょうか」

 勝千代たち武家の騒動に巻き込んでしまったという点では、平民と彼らとは同じだ。

 しかし、真っ先に寒月様たちの避難を考えていることに、後ろめたさを感じずにはいられない。

 命は等しく尊いと教えられて育った。

 だがこの時代では、その価値観はむしろ異端なのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 落城ですか、まさに緊急事態ですね。 敵が遠江まで押し入って来た(中入的に)のか? 前線が崩壊して浜松付近まで押し込まれたのか? とびきり優秀な指揮官による浸透襲撃なのか? 斯波家との戦いの…
[良い点] 戦国時代の平民は非力な非武装どころか、下手するとスキがあれば武士でも叩きのめして金品を奪い去るヒャッハー野郎どもばっかりだったと聞きますが……
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