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風が気持ちいいからと少し強引に促し、ぐいぐいと袖を引くと、そのひげ面が嬉しそうにほころんだ。
二人で並んで縁側に座ると、びゅうと冷たい風が頬に当たる。
「……やはり部屋に戻ろう」
「見てください! 今日は日が照っていて空が高いです」
いや実際、寒いのだ。
本音を言えば、ぬくぬくと火鉢に当たりたかったのだが、どうしても父の反応を見たかった。
あれから何度となく、櫓の上からの合図らしい照り返しを見た。
やはりあそこには誰かがいて、城の方に向かって信号を発しているのだろう。
それは通常のことなのか、誰も知らない秘密の合図なのか。
頭の片隅で、段蔵たちがいるのでは、と想像したこともあるが、おそらく違う。
こんな、子供の目にもわかるほどの合図を、忍びが使うはずはない。
はっきり言おう。好奇心だ。
日中何もすることがない暇な時間を持て余していると、いろいろと考えてしまうのだ。
物見櫓は、この角度から見えるのは三つ。先ほど曲輪の連なりを一望できたところからももう一つ見えた。
物見櫓が? こんな城の近くに四つもある?
実際、物見櫓がどういう場所に建てられて、どのように使われていたのかなど、中の人は知らない。
しかし、もともと研究職気質な彼は、自身の専門分野でないにせよ、じっくり考えてみることが好きだった。
頭の中で、山の形と城の形を想像してみる。
ほぼ等間隔にある櫓が、やはり城をぐるりと囲むように作られているのだろうと想像はつく。
この調子だと、全部で五つ以上あるのではないか?
城を敵襲から守るためなら、もう少し離れた位置、あるいは高い位置に建てるのが普通だろう。
吹雪いて敵が見えない可能性を考えた?
いやそもそも、吹雪の時は敵の行軍もないはずだ。
「……ん?」
並んで白湯をすすっていた父が、ふと何かに反応した。
勝千代はわざと手元に気を取られている風を装い、注意深く耳だけを澄ませる。
父が例の照り返しに気づいた。
しかし何も言わないところを見ると、大したことではないのかもしれない。
岡部の「段蔵らが盗賊団の一味だと思っていた」という言い訳を素直に受け入れるぐらいだから、そういう些細なことには興味を引かれないのか?
いや……
「小五郎、あれが見えるか?」
父は、よりにもよって目つきの悪い例の男に話を振った。
「……はて、何でございましょう」
「うーむ、もう見えなくなったな。瞬きのようなものが櫓の上に……おお、あれだ」
「確かに、きらりと光りましたな。鳥でしょうか」
そんなわけあるか。
「……父上?」
勝千代は、しきりに顎髭を撫でている父親を見上げた。
「鳥ですか? どこに?」
「いや、鳥ではないな。ほれ、あそこだ」
照り返しの合図は、いつものように数回で終わり、見えなくなった。
勝千代はわからなかった態で首を傾げ、「どこです?」と繰り返し問う。
父も、急に見えなくなったことが不思議なようで、細目とああでもないこうでもないと喋っていたが、勝千代がくしゅん、と可愛らしくくしゃみをすると、はっとしたように息子を見下ろした。
「おお、いかん。部屋に戻ろう。……こんなに冷え切って」
ひょい、と腋に手を入れ、持ち上げられた。
勝千代は、そうやって運ばれるのが実は嫌いだ。力加減がなっていないと痛いし、ぶらんと足が宙に浮く感じが嫌なのだ。
父は慎重に扱っているつもりなのだろうが、そもそもの力加減を間違えている。
しかし痛いと苦情を言う前に、あっという間に部屋の中まで運ばれて、少々勢いが良すぎるまま降ろされた。
その点、弥太郎は上手だった。抱き上げ方も、不安定にならないように支えるのも、そっと丁寧に降ろすのも……
「顔色が悪いな」
弥太郎の事を考えると、同時に、生臭い血の臭いを思い出してしまった。
父の大きな手が、確かめるように頬を撫で、心配そうに見下ろしてくる。
「横になったほうがいいのではないか?」
「いいえ、父上……まだ日も高いので」
ちなみにこの時代、部屋の作りはほぼ板張りである。
いや、父の持ち城で、寝所が全部畳張りだったこともあるから、畳を敷く文化がないわけではないのだ。
しかしたいていの部屋は板張りで、上座の部分のみ畳が置かれていたりする。
臥せりがちの勝千代の居室では、その畳の上には常に寝間が用意されていた。
要するに、ベッドのようなものだ。
「それよりも、鳥の話をしてください」
「鳥?」
「先ほど仰っていたではありませんか」
「ああいや、あれは鳥ではなく……」
火鉢の横の、敷物の上に並んで座る。
畳ほどの厚みはないが、夏用の薄い座布団のような形状で、板間に直接座ると尻が痛くなるので助かっている。
「違うのですか?」
「雪が解けて日の光を照り返したのだろう」
なるほど。
あながち違うとも断言できないが、毎日同じ時間、一定のリズムでチカチカするのは自然現象ではないだろう。
細目の男がいるので、不審に思われるような言動は避けたかったが、もう一言だけ、と言葉を続けようとした。
「失礼いたします」
室温を上げるため、締め切っていた襖の向こうから声がかかる。
細目の男が取り次いで招き入れたのは、いつもの医師だった。
その背後に、助手らしい男が控えている。
「父上、私は鳥が好きなのです」
「ほう」
「自由に空を駆けていく姿を、いつもうらやましいと思います」
「そうか」
「渡り鳥の季節が近づくと、今年も来てくれるか気がかりで……」
父親の袖を握り締め、無邪気な子供のように喋りながら、頭ではまったく別のことを考えていた。
この部屋には常に人が多く、出入りもそれなりにあるので、そのすべてに勝千代が挨拶をする必要はない。
入室してきた医師へは、にこりと気安く笑顔を向けた。
しかし、その後ろに付き従い、静かに襖を閉めた男のことはスルーした。
目が合ったのは一瞬だ。
勝千代はまっすぐに父を見上げ、それ以降は絶対に彼の方を見なかった。
「怪我をしていないだろうか、無事なのだろうか、そればかり考えてしまうのです」
……泣きそうだった。




