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冬嵐記  作者: 槐
第七章
188/273

31-5

 轟介よりよっぽど危険な相手だということはわかっていたし、話の内容が周囲の者に聞かれていいものかも不明だった。

 直接会って判断したいところだが、そういうわけにもいかない。

 側付き及び護衛たちが、命がけでその任を果そうとしてくれているのに、わざわざ彼らの目の届かないところに出向く事などできなかった。

 副番頭は佐吉と名乗っているが、おそらく偽名だろう。

 訛りは関西だが、忍びならばいくらでも装えるそうだ。

 他の者たちから聞き込んだところによると、十年以上前から日向屋にいて、手代から副番頭まで手堅く勤め上げてきた男らしい。

 一見、何も問題のないまっさらな経歴に見える。

 だがそれでも、十年二十年善良な平民を装い潜伏するなど、忍びにとって珍しくもないそうだ。

 ふと思い出したのが、棟梁の言いつけに走り回っていた少年の後ろ姿だ。

 彼もまた同じように、長く他人を装い生きていくのだろうか。


「それでは、刻限ですので行ってまいります」

 勝千代は我に返り、頭を下げる弥太郎に目を向けた。

 いつも通りの、ひと目で武家ではないとわかる身なりだ。

 だが勝千代は知っている。どこに隠しているのかは知らないが、この男は常に刃物を身に潜め持ち、必要であれば見えないぐらいに素早くそれを抜くことができる。

 諜報向きの外面に見えて、実戦においても手練れなのだ。


 弥太郎の、まるで近所にお使いに行くかのような気軽な口調に、勝千代は無意識に詰めていた息を吐いた。

「任せた」

「もちろんですとも」

 時刻はまだ明るい昼間だ。

 弥太郎は、薬草の買い付けの相談という態で、正々堂々、佐吉を再び勝手方に呼び出している。

 前と同じ部屋なので、覗きに行ってもよさそうなものだが、護衛たちだけではなく弥太郎にも反対されたので諦めた。

 勝千代の居る位置が分かれば、たとえ護衛がいようと、掻い潜って襲い掛かってくるかもしれない。

 それほど警戒すべき相手だという事だ。



 弥太郎が戻ってくるまでに四半刻ほどもかからなかった。たった三十分で何を話したのだろうといぶかる勝千代に、差し出されたのは一通の書簡だ。

 忍び二人の話は薬草の話で終始し、帰りがけに忍ばされた書簡も、余人にはわからぬよう掌に隠れる程度に折りたたまれていたらしい。

 なるほど、目前に置かれた書簡にはいくつもの折り目があって。一応伸ばされてはいるものの、儀礼的な書簡というよりも密書という感じだ。

「中は読んだか?」

「毒が仕込まれている可能性もありますので、念のため調べてあります」

 つまりは、読んだんだな。

 そしてそれで、急ぎ勝千代に見せるべく戻ってきたわけだ。


 目の前のくたびれた紙が、まるで爆発物のように見えた。

 あるいは、そんなわけもないのに、ぱくりと口を開いて噛みついてくるとか。

 それほどまでに、何やらぷんぷんと危うい匂いが漂ってくる代物だった。

「佐吉は伊賀の出だとのことです」

 読む以前に、触れることにすら躊躇っていると、弥太郎が世間話のついでのように言った。

「伊賀?」

「すでに家門は衰退したそうですが、元は武家だとか」

 それってつまり、伊賀忍びだと自白したと言ってもいいのでは。

「ゆえに薬草には詳しいと申しておりました」

 いやいや、毒物に詳しいと言っているのと同じじゃないか。

 勝千代はますます胡乱な目をして書簡を見据え、ずっと眺めていても仕方がないので、おずおずと拾い上げた。


 広げた書簡の紙質はひどいものだった。薄いが、小学生が夏の自由研究で自作できそうな出来栄えだ。

 だがそこにびっしりと書かれた文字はすべて漢字で、しかも印刷のようにきれいに並んだ楷書だった。どんな筆で書いたのか気になるぐらいに、ミニマムで画一的な文字列だ。

 ……これ、老眼だと絶対に読めないぞ。

 内容よりも先にそんな事を考えて顔を顰め、目をすがめながら読み進める。

 老眼じゃなくとも遠視気味なんだよ。お子様だから。


 最初、何が書かれているのかよくわからなかった。

 すべて漢字の文章は、慣れていても読むのにワンクッション必要になる。

 文字を小さくするために崩しをできるだけ排除し、そのぶんぎゅっと多くの文字を1枚の紙に詰め込んでいる。読みにくい。

「……朝倉?」

 何とか意味は理解できる。

 だが肝心の、固有名詞がよくわからない。

 朝倉家といえば確か越前、福井県あたりの戦国大名だった気がするが、まさかそことは関係ないだろう。

 しかし、勝千代が首をかしげながら漏らした小声に、幾人かが反応した。


「何か知っているのか?」

 そう尋ねると、逢坂老がためらいがちに膝を進めてきた。

「拝見してもよろしいでしょうか」

 いや、お年寄りにはちょっと厳しいのではないだろうか。

 ためらった理由はその点だったのだが、逢坂老は別の意味にとったらしい。

「差し出がましいことを申しました」

 そう言って、丁寧に頭を下げてから。

「殿の御正室であらせられました養勝院様が、朝倉家の方でございました」

「越前の?」

「父母の代ではそうだったようですが、現在は兄君が北条家にお仕えです」

 いやまだ何かあるだろう。ものすごく言いづらそうにしている。

 仕方がないので、手にしていた書簡を差し出した。

 逢坂老はちょっと大げさなほど恭しく受け取り、読もうとして顔を顰めた。

 だろう、読めないよな。……わかるよ。


 咳払いを一つして、逢坂老は言葉を続ける。

「幸松君の上に、庶子の兄君が幾人かいらしたことはご存知でしょうか」

「ああ、母上が御屋形様の元へ上がられる頃に、大きなことが起こったのは聞いている」

 何が起こったのかは、教えてもらえていないけど。

「殿がご不在時に、ご側室どうしがお互いのお子様を嫡男に擁立しようと……危うく内訌となるところでございました」

 相変わらず内輪揉めの多い家だ。

 すべては父が連戦続きで家にほとんど戻れない事が原因な気がする。

「父上は継室を設けなかったのか?」

「戦続きで、そういう気にならなかったようです」

 それにしては、何人も側室がいたようだけど。

 そのうちの一人を正室にしておけば、問題は起こらなかったのではないか?

 

 勝千代が首をかしげたのをどうとらえたのか、逢坂老はもう一度咳払いした。

「殿は、危うく福島家を割りそうになった庶子らをお赦しにはなりませんでした。三名すべてを遠方の御親戚の元へ放逐しました。そのうちのひとつが、越前の朝倉家です」 

 問題を起こしたのは母親たちだろうに、庶子とはいえ実子である息子たちを手放した父のことがよくわからない。

 きっとまだ聞かせてもらえていない事情が何かあるのだろうが、今はその話を掘り下げている場合ではない。


 勝千代は、逢坂老が手にしている紙に視線を向けた。

「……どう思う?」

 あ、すまん。読めないのを忘れていた。

「その兄のうちの一人が曳馬城にいるらしい」

 しかも父の落胤を自称しているとか。

 いや、自称ではないな。放逐されはしたが実子だ。

「殿がお知りになられたら、激怒されますぞ」

 逢坂老も顔を顰め、声を潜めて懸念を口にした。

「問題は、どうして曳馬城にいるのか、ということだ」

 勝千代はそう言いながら、最近よく脳裏に過る例の薬篭の事を考えていた。

 ……いやいや、まさかな。

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