30-5
勝千代が通りかかると、ぴたりとお喋りがやむ。
びしっと背中に定規を入れたように直立不動になり、どこを見ればいいのかわからない風に視線が泳ぐ。
……これって、どういう反応?
少なくとも、慕われているとか、気に入られているとか、可愛い童子だと思われているのではないのは確かだ。
人からの憎しみ、憎悪の目を察知する能力はそこそこあると思う。
これはそういう類のものでもなく……そう、転校してきた肌の色が違う女子を遠巻きにする思春期男子? たとえが変だがそんな感じだ。
「……噛みついたりしないのに」
思わずこぼれたその独白に、こらえきれず噴き出したのは三浦だ。
振り返ると、三浦だけではなく、土井の口元もひくひくと動いている。
「いや、あの者たちは若に興味津々ですよ」
遠慮のえの字もなくそう言ったのは谷だ。
「じっくり見たいのに、どこ見たらいいのかわからないんです」
どういう意味?
「若を見下ろすわけにいかないじゃないですか」
「どうして?」
勝千代は低身長な子供だ。その顔を見ようと思えば、どうしても下方向に視線は向く。
そんなものを気にしていたら、たいていの相手に平伏させなければならない。
「うーん、なんといいますか……若はち」
「谷っ」
直立不動の姿勢になっていたひとり、ひときわ目をひく体格の市村が飛び出してきて、脇から谷の口を塞いだ。
いや、気を使ってくれなくてもわかったぞ。
谷は「ちいさい」と言おうとしたのだ。
事実だ。年端も行かぬ童子だし、発育は明らかに遅れているし。
だがしかし……お前に言われたくないよ。
「別に構わないのに」
「そういうわけには参りません」
三浦が真顔で首を振った。
そうやって表情を改めると、優男風のかなりの好青年だが……噴き出したのを誤魔化そうとしているだろう。取り繕っても無駄だからな。
じっと目をすがめて見上げると、三浦は咳払いをして口元を隠した。
……もういいよ、笑いたければ笑えよ。
「す、すいません」
呆れたように溜息をつくと、三浦だけでなく他の連中まで顔を背けて肩を揺らした。
「皆そのうち慣れますから」
土井が宥めるように言ってくる。……お前も笑っていたくせに。
「お、お可愛らしくて大変よろしいかと存じます!」
市村、それはちょっと慰める方向性が違う。
今日は、夜討ちで壊された門の修繕具合を見に来ていた。
寒月様は近いうちにここを引き払うというが、だからといって壊れた個所を放置していいわけがない。
出入りする職人たちは堺商人日向屋の肝いりで、わざわざ京から呼び寄せているらしかった。
修繕箇所は多岐にわたり、もっとも早急にと言われたのが大門だ。
今朝がた、長らく開け放たれたままだった大門の新しい扉が届き、日もあけぬうちから職人たちの威勢のいい声が聞こえていた。
「……抜かりはないな?」
遠くからでもわかる、大勢の人足たちが掛け声をかけ、重い門扉を立たせようとしている。
大きく重い木製の扉は、掛川城の大手門のものほどのサイズではもちろんないが、それでも倒れたら人の足ぐらい簡単に折るだろう。
ここまで運んでくるのは大変だろうし、人手も必要なのはわかるが、それはつまり、不特定多数が屋敷を出入りするという事を意味する。
「はい。職人頭も気を使って、人足の数と名を名簿にして出してきております」
今の時刻、正門の警備担当は渋沢家らしい。
こういうことは得意そうだから、素人の勝千代が口を出すまでもないだろう。
「把握しているならよい」
勝千代は頷いて、大勢が右往左往する方向へふらりと近づいていった。
「あまり近づかれては作業の邪魔になります」
遠慮がちに言う三浦に、それもそうかと頷くが、何台もの台車で運ばれてきた複数のパーツに別れた門扉が、少しづつ組上がっていく様子をもっとよく見てみたい。
この屋敷に到着した時、前からあった門の基礎石を上からドンドンと叩いて平らにしていたから、おそらくは大槌の当たった衝撃でそこから歪んでしまっているのだろう。
何か道具のようなもので水平を取るのだろうか。
日本人はそういうところは細かいから、この時代でもいろいろと見たこともない大工道具があるに違いない。
勝千代は仕事の邪魔にならない距離まで近づいて、その様子をじっと見つめた。
男ならみんな好きだよな。こういうの。
「おうい与一! 墨持ってこいっ墨!」
「はい親方!!」
棟梁らしい男の声と、それにこたえる子供の声。
視線をそちらに向けると、何かを両手に抱えて走っている少年の後ろ姿が見えた。
まだ若い、というか幼い。
この時代の子供は、義務教育などというものがないから、本当に若くして働きに出る。
幼いうちから親元を離れ、技術を学び、その子供がいつしか熟練の職人になって伝統を後世に伝えていくのだ。
頑張れ、少年。
そう思いながら見送って、視線を他所へ向けようとした寸前。
……ん?
何に引っかかったのかは定かではない。
ただ、逸らした視線の先の、豪華な彫り物がなされた門扉よりも、あの少年の事を考えていた。
いや……まさかな。
その晩、考えれば考えるほど気になって、寝る前の薬湯を持ってきた弥太郎に小声で尋ねてみた。
「何かあるのか?」
弥太郎はその意味を推し量るようにこちらを見て、首を傾ける。
「何がでございますか」
「職人の中に知っている顔を見かけた」
確信があるわけではない。
だが、間違ってはいない気がする。
弥太郎はにこりと笑い、「気のせいでは」と返してくる。
つまりは、勝千代が知らない方がいい、ということか?
明確に否定せず、誰を見たのか聞いても来なかったので、あながちこの考えは間違っていないだろう。
「そうか」
勝千代は薬湯を受け取り、相変わらずすごい色味のやたらと苦い一杯に渋々と口をつけた。
「お気を付けください」
囁くようにそう言われて、目線だけを上げる。
「方々からの間者が侵入しようとしています」
まだ寒月様を狙う輩がいるのか?
勝千代が顔を顰めたのは、薬湯の苦みのせいだけではない。
首謀者と思われる者どもは既に片を付けたはず。
それなのに、まだ狙われるという事は、勝千代が知らない何か他の要因があるのかもしれない。
寒月様が今のこの厳重な警備をも「きな臭い」と感じているのはそのせいか?
「違います」
弥太郎は勝千代の心の動きを察したようにそう言って、首を振った。
「狙いはあのお方ではありません」
では誰だ……とは聞き返さなかった。




