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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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30-3

「……話がある」

 上座に座った寒月様が、端的に見えて優雅な所作で袖を後方に払い、下座に落ち着いた勝千代を見下ろして言った。

 そのどっしりと低い声色に、ひやりと鳩尾のあたりが冷たくなるのを感じる。

 また何か厄介事だろうか。

 とっさに見上げた寒月様の表情は、いつも通り読み取りがたかった。

「……そなたらは下がれ。市村、すぐに先ほどの件をまとめよ」

 勝千代がそういうと、一拍置いて、背後で平伏していた男たちがごそごそと退出していく気配を感じる。

 いいなぁ。できれば一緒に出ていきたい。

 そんなことを考えてはいたが、おくびにも出さず、最後の者が立ち去るのを待って、改めて居住まいを正し頭を下げた。

「この者たちも下がらせますか?」

 残った二人の側付きと、逢坂老と谷を示してそう言うと、寒月様は緩く首を振って脇息に肘を置いた。


「東雲が動かせるようになったら、ここを引き払おうと思うておる」

 なんだ、その話かと、勝千代はいくらか気を緩めながら返答した。

「回復が少し遅いようにお見受けしました」

「そうやな。かなり高い熱が出て、気を揉んだ」

「しっかり回復なさってからのほうがよろしいかと存じます」

「いや、この辺りはきな臭い」

 寒月様がちらり、と意味あり気に見たのは、去って行った者たちの方だ。

 ……やっぱり嫌な予感がするぞ。

 改めて気を引き締め、何を言われるかと身構えたが、それは十分な防御ではなかった。 

「福島の主城が、掛川とそう変わらん距離にあるやろう」


 ぞわり、と背筋に悪寒が走った。

 かつての幼い日々の記憶が、心の奥に熾火のようにずっとあって、時折当の本人にも制御できない勢いで気持ちを攫っていく。

 初めての事ではない。兵庫介叔父や桂殿と再会した時にも感じた。

 だがしかし、今ここで出てくる話題だとは思っておらず、フラッシュバックはより強烈だった。


 父福島正成の主城は、高天神城。ここから掛川に向かう途中に見える、南の山の向こう側にある。

 駿府へ向かう山街道とは別ルートになるが、海沿いの遠回りをしたとしても距離的に三分の一もないだろう。

 しかも平地での移動が多いので、馬で行けばもっと早い。

 ……そう、一日どころか半日、早駆けで早朝に出立すれば昼過ぎには到着できてしまう近距離なのだ。


「お勝?」

 呼ばれて、はっと我に返った。

「どないした」

「いえ」

 無意識のうちに生え際をこすっていて、さすがに無作法だったと手を降ろした。

 寒月様は知らないのだ。勝千代があの城でどのような扱いを受けてきたのか。

 ふと、部屋の隅に控えていた土井が何か言おうとしているのに気づいた。

 この中で、確実に事情を知っていると言える者はいない。父と行動を共にしていた土井と、福島屋敷で桂殿母子がわめきたてていた内容を耳にした谷になら、かろうじて察するものがあるかもしれないが……それでも推測の域を出ないだろう。


「ご要望であれば調整しておきます。ですがまずはもっと体調を戻していただかなければ」

「そうよな。東雲の体調もそうやが、駿府のほうにも話を通しといたほうがええやろう」

「何もない鄙びた小さな山城ですよ」

「景色はええと聞いとるよ」

 勝千代は、細かく刻む胸の鼓動を呼吸で落ち着かせながら、にこりと笑った。

「それでは、お迎えできるよう準備をしておきます」


 父の主城ということは、いずれ勝千代が受け継ぐことになる。

 これまで考えないようにしてきたが、避けては通れない場所だ。

 たった数か月前、勝千代はあの城で辛酸を舐めていた。

 全身に怪我を負い、福島家嫡男であるにもかかわらず、餓死寸前の有様だったのだ。

「……勝千代様」

 寒月様が去って、なおしばらく座ったままでいると、土井が気づかわし気に声をかけてきた。

 やはり、気づいているのだろう。

 谷もまた、この男にしてはもの言いたげな表情でこちらを見ている。

「あの後、城のことはどうなっている?」

 あの後とはつまり、桂殿と異母兄千代丸が処罰された後の事だ。

 他にもあそこには、兵庫介叔父に従う者たちが大勢いた。

 父の城代だったのだから、従うのは当たり前なのだが、それでも、勝千代の状況に気づかないわけがないのだ。

 父にまで話が伝わらなかったという事は、口止めされて見ぬふりをしたのだろう。

 主君の嫡男を、死にかねない虐待の状況に置き続けた。

 多くは保身故の行動なのだろうが、叛意があったと言われてもおかしくはない。

「殿はすべての者を捕え、取り調べし、必要であれば処罰せよと命じられました。女中や端に至るまで総員です」

 土井の表情は険しい。

 その怒りを堪えた眼差しに、ふっと肩から力を抜く。

「そうか」

「当時の者は誰一人として残っておらず、人員は入れ替えられております」

「わかった」

 なおも言いつのろうとする土井を制し、この話はそれで打ち切った。

 怪我人の療養先としては、山城なので少々不向きだが、安全面としては確かにここよりは守りやすい。

 城についての記憶は、自身の身体についての事に終始していて、その縄張りや立地について考えたこともなかったが、父が主城にしているのだから、それなりに堅牢なのだろう。

 

「お迎えする準備については、叔父上にお任せしよう」

 高位の公家を迎えるのに何が必要かなど、勝千代にわかるわけもない。

 だが志郎衛門叔父であれば、過不足なく整えてくれるだろう。

「まあ、直ぐというわけではない。とりあえずは、この屋敷の警備が十分に機能しているか……逢坂、それとなく見てやってくれ」

 何かを察したらしい逢坂老は、土井と谷とを交互に見ていたが、勝千代が名指しで頼むと「はっ」とかしこまって頭を下げた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 権大納言様もついてくる(笑) 勝千代君の平穏な日々は来るのだろうか?
[一言] あれ?唯一主人公を庇ってくれたお婆さんはどうなったっけ…
[一言] 高天神城、後世の激戦の地という認識が大きい城ですね。 そして屈指の堅城。とはいえ最盛期であってもその想像復元図などを見ると山城の典型にもれずかなり小さいうえに移動も不便だからふもとなどの日常…
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