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「お勝、疲れたのではないか?」
大きな身体を折りたたむようにして見下ろしてくるのは、父、福島上総介正成だ。
やっとフルネームがわかったが、案の定、ピンとはこない。
福島だなんて馴染みのない、まったく聞いた事もない苗字なのだ。
いまだに父の、ひいては自身の立ち位置ははっきりしない。
しかし、ぎゅっと握り返してくれる大きな手と、短い歩幅に合わせてくれる屈強なその体躯を見上げているうちに、そんなものは些細なことだと思えてくる。
「ほれ、抱き上げてやろう。寒うはないか?」
勝千代は、父にとって、目に入れても痛くないほど大切な息子なのだろう。
それは、ついぞ我が子を持つことのなかった中の人にとっても、十二分に理解できる感情だった。
父のごつごつとした大きな手に比べて、小さく、細く、真っ白い手。
すぐにもポキリと折れてしまいそうな危うさを、改めて自覚する。
まだ親の庇護下にあるべき幼い子どもなのだ。
虐待するなどもってのほか、権力のための道具にしたり、追いかけまわして傷つけたりしていいはずはない。
改めて、全力で火の粉を払うと心に言い聞かせて、勝千代はにこりと父に笑いかけた。
「もう少し父上と歩きたいのです」
「おお、そうかそうか」
父がへにょりと眉を下げ、目尻を垂れさせる。とどめ、とばかりにギュッと手を握ると、その唇がだらしなく……もとい、嬉しそうにほころんだ。
あざといと言ってくれるな。
子供が大人の目に可愛らしく映るのは、生きていくための戦略だ。
勝千代は父と二人並んで、城内の散策をしている。
探索ではなく、散策である。
医者は床上げにはまだ早いのでは、と心配そうだったが、部屋にずっといると気鬱だと悲しい顔をして見せると、城内のみという約束で、寝床への半軟禁状態は解除された。
とはいえ、自由にどこにでも、というわけにはいかない。この曲輪の内側の、大きな廊下がつながっているところ、つまりは表だけである。
しかも複数の付き添いつき。ほぼ毎回、父が勝千代の右手を握っている。
そしてそこには必ず、例の不審な男……視線がどうも嫌な感じの、父の配下が含まれていた。
一番見晴らしのいい、眼前になにもない廊下の端で足を止め、連なる屋根を見下ろす。
この先には切り立った斜面があって、下のほうまで見渡せるのだ。
勝千代が足を止めると、父も、お付きの連中も立ち止まる。
そして、冷たい風が吹きつける中、じっとその景色を眺めた。
中の人はそれほど城に興味を持ったことがないが、学生のころ何度か校外学習で行ったことはある。
そのほとんどが平原にある城で、巨大な天守閣や美しい石垣、ぐるりと城を取り囲む櫓や掘りがあった。
その印象から言うと、ここは城とはいえない。どちらかというと城塞とか、砦とか、そう呼ばれるほうがあっていると思う。
山の中腹にあるので、ほとんどが平屋で、曲輪ごとに頑丈そうな壁で囲まれている。
勝千代が滞在しているのはそのもっとも奥まった、もっとも高い位置にある曲輪。
厳重に守られた、安全な場所ではあるのだが……眼下に続く曲輪の壁が、まるで脱出を阻む障壁のように見えた。
ぶるり、と身震いする。
いったん感じた閉塞感は、この厳しい雪景色とも相まって、厳重な監獄を連想させる。
勝千代をとらえる檻? いや墓場だろうか。
「ここは寒い」
父がそっと手を引く。
その武人らしい大きな手を見上げて、ふと思い出した。
父は、四十代も半ばに近かった中の人よりも、おそらくは十歳近く若い。
「お勝?」
もさもさしたヒゲがあるので気にしなかったが、目元のしわもそれほど深くないし、何よりぱっちりと大きな二重が印象的だ。鼻筋も通っているし、なかなかの男前ではないか?
まじまじと見上げた先は、もさもさしたヒゲ同様に、ふさふさとした頭髪。
口に出すのもはばかられるが……そこの部分は優性遺伝なのだ。
「……お、お勝?」
「そろそろ戻りましょう」
急ににっこりと微笑んだ勝千代に、父は首をかしげながらも同意した。
親子二人で仲良く手をつないだまま、元来た道を戻り始める。
城主が丁寧にもてなす親子に、家中の者たちもまた最上級の礼儀をもって対する。
廊下で女中や使用人とすれ違うことが少ないのは、彼らがそう気を使っているからだ。
むしろ目に付くのは父の麾下の武人たち、この曲輪の警護にあたる者たちだ。
そんな中、ふと、廊下の角で額ずく女中に目が行った。
小柄で、まだ年若い。
傍らに盆を置き、その上には白湯の入った茶碗がいくつかと……鮮やかに赤い、一枝のツバキ。
無意識のうちにそれを見て、意図的にすぐ目をそらせた。
お互い顔は見ていない。
視線も合っていない。
近い距離をすれ違う。
女中の目の前で、一瞬、左手の人差し指と中指をクロスさせる。
それは、与平に教えてもらった、仲間同士のハンドサインだ。
「父上」
「なんだ、お勝」
「少しのどが渇きました」
「おお、そうか。父も乾いたな」
「すぐに白湯をお持ちいたします」
父が誰かに用をいいつけようと周囲を見回したところで、例の細目の男がすかさず言った。
「うむ、頼んだ」
心得たように頭を下げる男に、父は満足そうな目を向ける。
勝千代は「余計なことを」と内心思いつつも、父に倣ってニコリと微笑んだ。




