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「これはどういうことですか!」
イントネーションは京風だが、唾を飛ばして激怒する表情は武家寄りだ。
「押し売りの商人ごときをやすやすと奥まで通すとは!」
男は、先だって寒月様に書簡を手渡していた侍従だった。
彼の怒りはもっともである。
これだけ厳重な警備を敷いておいて、ネズミ一匹、アリ一匹とて通すまいとお守りしているのに、半刻ほど前に寒月様の居室近くまで、若い商人が御用伺いと称して侵入してきたのだ。
幸いにも間者や刺客ではなく、ごく普通の……にしては相当に肝の据わった商人だったが、彼曰く、堺商人が出入りしているぐらいだから、地元の商人にも機会はあると意気込んできたらしい。
「これなら我らだけでお守りしていた方がまだ良い!」
「侍従殿」
しおしおとしている野郎どもの言い訳をしてやるつもりはない。
明らかに、こちらの不手際だからだ。
だが、ここはあまりにも寒月様の居室に近い。
勝千代の宥めるような声に、更にカッとした表情になったが、「お声が」と続けると、ようやく興奮しすぎていたと察したようで、荒々しく咳払いして続く怒声を堪えた。
「福島殿、幼少のあなた様に言うのも筋が通らぬやもしれませぬが、大殿様へのお扱いがあまりにも杜撰、非礼すぎやないですか」
「ごもっともです」
「せめて礼儀を尽くしていただきたい。本来であればこのようなところに居らっしゃるようなお方ではあらせられません」
「大変申し訳ございません」
勝千代にしてみれば、ただひたすら頭を下げ続けるしかない。
侍従は憤懣やるかたない様子でしばらく唸っていたが、年齢にしてみても小柄な童子に頭を下げ続けさせることはできなかったらしい。
やがて長く溜息をついて、「今後またこのような事がございましたら、警護は考えさせて頂きます」と言いおいて、いまだ怒り収まらぬ様子で去って行った。
取次部屋に勢ぞろいした各家の指揮官たちが、そろって嘆息する。
彼らにしてみても、雲の上にいるほどに高貴な身分の公家にそうそう接する機会はない。
きちんと任務を果たそうと意気込んでいたと思う。
それでも、このようなひやりとする事態になったのは、理由があるのだ。
もちろん、彼らが無能だというわけではない。それなりに粒がそろった者たちだと思う。
問題があるとすれば、彼らが有能すぎ、意気込みすぎ、同輩たちへの遠慮がありすぎたのだ。
つまるところ、狭い範囲にあまりにも煩雑に指揮系統が入り乱れ、彼ら自身、連携が取れていない事への自覚がなかった。
今現在、この屋敷の警備をしているのは、おおよそ三百名ほどだ。
三交代制なので、通常目に付くのは百人ほどなのだが、今川(興津)、朝比奈、福島、寒月様のもともとの私兵も含めれば、四つもの異なる指揮系統が混在していることになる。
敵ではないし、朝比奈と福島も同じ今川の軍ではあるのだが、同等の権限を持つ指揮官が複数いるということで、何事もなくとも現場は混乱する。
何度も言うが、敵対しているわけではない。そういう意味での反発などがあるわけではない。
ただ、歩哨の位置や並び方、交代の時間までどれも微妙に異なり、本来であれば調整するために話し合うべきところ、互いを尊重しすぎそこまで至っていなかった。
一朗太殿の伯父である下村に任せた、と志郎衛門叔父は言っていたが、単純問題として、上記の四系統とは無関係な岡部の人間が口出しするのは難しい。
寒月様の屋敷を警護する責任者として正式に任じられたのならともかく、彼はただ、一朗太殿の付き添いとして来ているだけなのだ。
「どうされますか? 不肖それがしが教育的指導を……」
「うん、ちょっと待って」
逢坂老が苛立っているのは、侍従殿から叱責を受けたからではなく、そもそもそういう事態になるまで状況が把握できていなかったからだ。
「喜三郎、わかっておるのか!」
名指しで怒鳴られビクリと身体を揺らしたのは、逢坂の孫だという若い武士だ。逢坂家の兵を引き連れて駆けつけてきた指揮官らしい。
並んで両膝をそろえて座り、同じようにうなだれているのが、渋沢家から来た市村。その大きな体を丸めてちらちらと伺い見ているのは、勝千代ではなく、猛犬谷だ。
そうだよな、こいついきなり食いついてくるから怖いよなぁ。
うなだれる二人だけではなく、取次部屋に集められた中小の部隊の指揮官たちは、勝千代が叱りつけたわけでもないのに、顔を上げることもできずに下を向いている。
己らの失態を、たった数え六つの子供に謝らせたことに恥じ入っているのだろう。
気持ちは理解できる。
だけどね、頭を下げるのが上の者の仕事なんだよ。
間違いなく勝千代がこの場でもっとも位が高い者であり、しかも非力なお子様だから、できる事と言ったらそれぐらいなものだ。
「後の事を指示しないで離れた叔父上にも問題はあったよ。……では市村。そなたが最年長のようだから、命じておこう。すぐに場を設け、皆と警備体制について話し合うように」
「……えっ、それがしがですか?」
意外そうな顔をされたが、まさか勝千代が総指揮を執るわけにはいかない。
この場であれば逢坂老が最適だろうが、彼自身には断られると分っていたから、次案は年功序列だ。それぞれの家格のことなどさっぱりわからないし。
「まず各部隊と連絡を綿密にとる事。時間を決めて、毎日その日にあったことを、たとえ何もなくても申し送りをすること。次に、どこを主に守るかの役割分担。巡回時間はできるだけ重ならないように。あとは、お互いの交代時刻の周知」
「はっ、はい!」
「護衛任務についてはそのほうらのほうが詳しいのだから、気づいたことは何でも議題にあげると良い」
まじまじとこちらを見てくる視線に構わず、少し首を傾けて、彼らが今一番に考えるべき「警備の穴」を指摘しておく。
「もしわたしが寒月様の御命を狙うとするなら、歩哨の交代にあわせて手の者と入れ替える。兵士全員の顔を知っている者などおらぬだろうから、疑われることも少ない」
兵数は潤沢なのだから、あとはその「穴」をひとつずつ塞いでいくのが彼らの仕事だ。
どんな仕事でもそうだが、言われるがままに勤めているだけでは駄目だ。
頭を使って考えなければ。
「ずいぶんと物騒な話をしとるな」
不意に、回廊の曲がり角から寒月様が出てきて、面白がっているような口調で言った。
「襲撃の算段か?」
周囲の者たちが一斉にその場で両手を床について平伏した。
侍従の大声に気づかないはずはなく、あまりにも一方的に攻め立てていたからか、様子を見に来たのだろう。
勝千代は立ち上がり、家主を最上座に案内しながら殊勝な顔で頷いた。
「己であればどうやって攻めるか考えておりました」
「恐ろしい事を言う」
「この度の件は、こちらの不手際でございます。申し訳ございません」
「そもそも警備の数が多すぎるのや」
その通り。権大納言の隠棲地とはいえ、市井の一介の屋敷だ。周囲には建物はあまりないが、街につながる道路に面しており、人通りもそれなりにある。
そもそも三百人態勢で兵を駐屯させるような立地でも、状況でもないのだ。
三百というのはあくまでも今川家の誠意であり、それだけの数が護衛に必要だというわけではない。
ややこしいのが興津が連れてきた兵士と、朝比奈の所の奴らだった。
逢坂や渋沢は福島麾下なので勝千代が指示を出しても問題はないのだが、そのほかの者たちは所属が違う。四歳児に命令されて動くのは、気持ちの上でも受け入れがたいだろう。
侍従殿の叱責を受けて恥じ入っている様子から、気質的に悪い連中ではないとは思うが……それとこれとは話が別だ。




