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冬嵐記  作者: 槐
第七章

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178/308

30-1

 朝比奈殿をなんとか前線に戻してから、さらに五日経っても、勝千代はいまだ遠江にいた。

 すでに事は福島家の手を離れているから、あとは興津に任せて駿府に戻っても良かったはずだ。

 だが朝比奈殿から目を離したくないと、棚田が甲斐側の前線についていってしまったせいで、掛川城の行政がストップしてしまった。

 棚田の次席は小荷駄隊に同行して曳馬城まで行っていて、用が済んだらすぐに引き返してくるそうなのだが、それまでの代理を何故か叔父が務めている。

 それだけ東も西も朝比奈家が出ずっぱりで、裏方仕事をこなせる者が不足しているという事なのだろう。

 気持ちはわかるが棚田。後方のトップが立場を放棄したら駄目だよ。

 たった数日とはいえ、内々の仕置きを他家の人間に頼まれても困る。

 ……頭を下げられて断り切れなかったのは志郎衛門叔父だけどね。

 何より、勝千代までとばっちりを食った。

 これ以上の厄介事に巻き込まれる前にお家に帰りたかったのに、叔父にも興津にも渋られたのだ。

 そんなに問題児に見えるかな。

 ……見えるんだろうな。


 ふたりとも忙しそうにしているし、掛川城内でも遠巻きにされていて居心地が悪い。

 することがない勝千代は、半日かけて寒月の屋敷にお邪魔していた。

 岡部の兄妹は、まだこの屋敷に滞在している。

 というのも、奈津がまだ動かせる精神状態ではないそうなのだ。


「……面白い事になっているようやなぁ」

 顔を見て開口一番、そう言ったのは東雲だ。

 怪我をしてから半月ほども経つのに、まだいくらか血の気が薄い。

 この時代はタンパク質の摂取率が悪いので、怪我の治りも失った血液を取り戻すのにも時間がかかるのかもしれない。

「笑い事ではありませんよ。色々と大変でした」

「らしいなぁ」

 東雲は、相変わらず銀色のような真っ白の狩衣を着ていて、顔色の悪さと相まって、それがまるで死に装束のように見えた。

 そう思ってしまうのは勝千代だけではないのだろう。

 鶸が着せかけた羽織は、淡い萌黄の色付きだ。


 少し目を引くデザインだったので、じっと見ていると、その違和感の理由に気づいた。

 ただの羽織というには、ぶ厚いのだ。

「暖かそうな羽織ですね」

「真綿が入っとる。日向屋が見舞いにな」

 真綿か。絹綿のことだよな、コットンボールの木綿ではなくて。

「怪我のことを知っているのですか。日向屋はもう堺に戻っていますよね? 耳が早い」

「たびたび来よる御用聞きが伝えたんやろう」

 勝千代は、一回りやせ細って見える東雲をまじまじと見つめ、おそらくまだずっと起きていられる状態ではないのだろうと察した。

 床上げももう少し様子を見たほうがよさそうだ。

「横になられては?」

 東雲は、ほかならぬ勝千代にそう言われて複雑そうな顔をして、青ざめて肉が落ちた自身の頬を撫でた。

「そんなにやつれて見えるか?」

「滋養のあるものたくさんお召し上がりになり、体力をつけるしかないですね」

「そうやなぁ、立って歩くのもようやくやから」

 虚弱な勝千代には覚えがある感覚だ。

 心で思っているほど肉体が回復してくれなくて、もどかしく感じるものだ。

 だが、それは回復へ向かうサインであり、ここで無理せず養生すれば、徐々に身体も本復してくると思う。


「……すまぬな」

 不意に、東雲が呟いた。

 いつも飄々とした彼らしくない、低く落ち込んだ声色だった。

「数歩出遅れた」

 勝千代は黙って視線を落とし、首を振った。

 志乃のことだろう。

「いいえ。御身を挺してくだされたのだと伺いました」

「目の前やった」

 一番近くにいて、一番近くでその命を救い損ねた。

 忸怩たる思いがあるのだろう。顎の骨がうくほどに、奥歯がかたく食いしばられている。

「……わたしも認識が甘かったと悔いています」

 掛川城からの差し入れをお願いするところから間違っていた。よくない方面とつながっている可能性があると分っていたのに、そのまま見過ごしてしまった。

 近づく口実を与えたのは、ほかならぬ勝千代だ。

 武家の子女の支度など、日向屋でも事足りただろうに。


「一朗太殿がいらしていると伺いました」

 お互いに少ししんみりと黙り込んでから、空気を換えるべく問いかける。

 勝千代が屋敷に到着したとき、寒月様は不在だった。

 すぐに東雲の部屋に案内されたので、一朗太少年や奈津がどうしているか詳しく尋ねることができなかったのだ。

「曹洞宗の坊さんにきてもろうて、皆で志乃さんの所へ向かいはったよ。戻りは夕方やろう」

「寒月様もですか?」

「あの方もだいぶん気にされとるようやから」


 まだ寒さの厳しいこの時期に、家族から離れた土地にひとり埋められた少女の事を思う。

 この時代は基本土葬だ。

 冬だが、かなりの日数が経っているので、掘り起こして家門の墓に埋めなおすことはできないだろう。

 もうすでにこの世にはいないのに、土の下は冷たいだろうとか、辛酸をなめ無残に切り殺されたこの地で、安らかに眠ることなどできるのだろうかとか、いろいろな事を考えてしまう。


「申し訳ございません、そろそろ」

 何を話しても気落ちしてしまうなと、重い沈黙に浸っていると、手を伸ばせば届く距離に控えていた鶸がそっと面会の終了を告げてきた。

「まだええやないか」

 東雲の不服そうな表情を改めてみてみると、唇が若干紫色になっていた。

 負傷してからもうかなりたつ。

 寒月様も回復には時間がかかると言っていたが、それにしても遅くないか?

「お顔の色が悪いですよ」

 改めて、この時代には感染症の薬もなければ、CTやMRIなどで体内の異常を調べることもできないのだと思い至った。

「少し横になってください」


 信長が好んだという敦盛の一節を思い出す。

 この時代の平均寿命云々の話ではなく、人の人生など短く儚いものだという意味だ。

 祇園精舎の鐘の音で有名な話の中でも書かれている。生きている者は必ずいつか死ぬと。

 日本人なら誰もが一度は耳にしたことがある言葉だ。何度も教科書で学んだ。

 しかし、意味としてそれを理解していても、現実の問題として受け入れるのは難しかった。

 何とか生き延びようとしている東雲の姿に、胸の奥がぎゅうと引き絞られるような気持になる。

「鶸がうるそうてかなわん」

 東雲はそうぶつぶつ言いながらも、隣室に敷かれたままだった寝間に連れていかれると、ほっと安堵の表情を浮かべた。

 長く身体を起こしていると辛いのだろう。

「ゆっくり休んでください。また参ります」

 改めて、この時代がいかに死と隣り合わせなのかということを思い知らされていた。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[一言] 作者さんも、お体お大事に
[一言] と言ってる当の本人も体力皆無且つ常に暗殺対象で……我が身省みてね!
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