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冬嵐記  作者: 槐
第六章

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170/308

29-1

 そのまま五日が過ぎた。

 そろそろ小荷駄隊が曳馬城に到着するかな、と考えながら眠ったその翌朝早く。

 ただならぬ気配に目が覚めた。

 いや、急に人の気配を察知できるようになったわけではない。

 だが、どんな素人でも、第六感というのだろうか、理由もはっきりしないそういう気配を感じることはあるものだ。


「若」

 暗がりで目をあけて、真っ先に飛び込んできたのは逢坂老の皺首だった。

 ぎょっとして心臓が止まりそうになった。

 若い身空で心臓発作を起こしたらどうしてくれる。

 苦情を言おうとしたが、すぐに部屋の行灯がともされ、宿直以外の側付きたちも起きだしてきていることに気づき口を閉ざした。

 この時代ではまだ貴重なろうそくに火をつけたのは、夜間は下がっているはずの弥太郎だ。


 出入りする大人たちの背後に見える空はまだ真っ暗闇で、夜が明けるまでも遠そうだった。

 誰に何かを説明されるまでもなく、非常事態だと察した。

 耳を澄ませても、側付きたちが立てる音以外が聞こえるわけではない。

 ただ、どう表現すればいいのだろう、重苦しい気配とでもいうのだろうか、城全体の空気が漠然と浮足立ち、何かが起こっている、あるいは起ころうとしているのがわかる。

「勝千代殿」

 このような時刻にもかかわらず、寝着ではなく、しっかりと直垂を着込んだ叔父が部屋に入ってきた。

 その側付きたちを含め、ますます部屋の人口密度が増し、周囲の警戒が厳重になる。

 おそらく夜明け前数時間といったところだろうが、もはや微塵も眠気はなく、寝ている状態ではないと察して臥所を出た。

「すぐに身支度を」

 勝千代がそう命じるまでもなく、三浦がすでに着替えを用意していた。

 周囲を大柄な大人たちに囲まれながら、白い小袖の寝着から着替える。

 ちなみに今日の直垂は明るい青緑色だ。

 勝千代が着替えている間に寝間は片され、代わりに弥太郎特製の薬湯が登場した。

 こんな非常時でも寝起きには一杯飲ませようとするブレなさに、呆れもするが安心もする。


「何がありましたか」

 薬湯を啜りながら、難しい顔をしている志郎衛門叔父に声を掛けるが、すぐには返答がない。

「叔父上?」

 腕組みをして固く目を閉じていた叔父が、勝千代の呼びかけにうっすらと瞼をあけた。

 相変わらずの、たった今お仕事(殺し)をしてきましたと言えそうな険しい面相だ。

 叔父は渋々と口を開き、起き抜けに聞くには遠慮したい、錆びたような低音で答えた。

「先ほど、朝比奈殿が戻られました」

「……え」

「すぐに御正室の元へ向かわれたようです」

 朝比奈殿は、御屋形様の命令で、甲斐方面の国境にいた。

 おいそれと戻ることが許される立場ではないはずだし、寒月様の夜討ちの件の伝令がその日のうちに向かったとしても、この短期間で往復できる距離でもなかったはずだ。

「よほどの早駆けで、馬を乗りつぶしながらお戻りになられたようです」

 続く逢坂老の言葉によると、ほとんど共回りもなく単騎に近い帰還だったらしい。

 しかも旅の埃も落とさないまま、御正室のいる地下牢まで直行したとのこと。

「遠目にお顔を拝見しましたが、なんとも……」

 皺のある浅黒い顔が、渋く顰められる。


 それは、ちょっとまずいのでは。

 思わず腰を浮かせかけた勝千代を制したのは、叔父だった。

「我らが口を挟む筋合いではありませぬ」

 そりゃあ、夫婦間の事に他人が口出しするものではないだろうけれども。

「何が起ころうと、これは朝比奈の問題です」

 その一言で、叔父がある程度何かを察していることに気づいた。

 ふと脳裏をよぎったのは、生真面目そうな朝比奈殿の面差しだ。

 御台様の派閥なのに、勝千代に悪感情を向けることなく、きわめて理知的な対応に努めてくれた。

 あの時もし朝比奈軍が、駿府の側に集結していた福島の軍勢に矛先を向けていたなら、とても今のような状況に落ち着いてはいなかっただろう。

 あそこで朝比奈殿が手控えてくれ、正面衝突しなかったからこそ、お咎めなしに父を取り戻せたのだと思う。


「勝千代殿」

 躊躇の後に立ち上がった勝千代を、再び叔父が制する。

 勝千代は、通常の子供だと泣き出してしまいそうな叔父の怖い顔に向かって、さっと首を振った。

「朝比奈殿には恩義があります」

 すでにもう、御正室の動きを封じたことで借りは返せているかと思うが、知人の難事という意味で何とかしてやりたい。

「……いやしかし」

「事を収めましょう。急げば間に合うやも知れませぬ」

 叔父は口を開きかけて、数秒間黙った。

 下手に関われば、福島家もとばっちりを食うというのは理解できる。

 だが、このまま何もせずにいられるわけがない。

 周囲の皆がこれほど深刻な表情をしていることから、事態が尋常なものではないのだとわかる。

 妙に静まり返った城内の空気に、取り返しのつかない何かが始まってしまいそうで、ただ黙って待っていることはできなかった。

「なんとかしましょう」

 勝千代は腕組みをしたままの叔父に静かな口調で言った。

「連れて行ってください、すぐに」

 迷っている強面顔に手を差し出す。

 勝千代の中では、介入はすでに決定事項だった。

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