表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬嵐記  作者: 槐
第六章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

168/308

28-5

 な、なんだってー!!

 勝千代だってそんな風に驚きたかったのだが、まったくもって無理だった。

 ……誰よ、伊勢氏って。

 執事と聞くと連想するのは英国紳士に付き従うバトラーだが、そういうのじゃないよね?

 かなり本格的に危機感を覚えてしまった。

 あまりにも物知らず過ぎる自分自身に呆れる。

 誰もが知っていることを、微塵も聞いたことがないというのはまずい。

 まだ数え六つの童子だという言い訳は長くは続かないし、そもそもそういう甘えが許される立場でもない。


「とはいえ、生まれた頃には父親は既に亡く、まことに伊勢殿の子なのかも怪しいとされ、元服前には寺に預けられたようで御座いますが」

 勝千代にはまったくピンとこない話だったが、ここで口を挟まないだけの分別はあった。

 察するに、幕府の上の方の人に親戚がいる、ということだろうか。

 後で叔父か弥太郎かにこっそり聞こう。

「今の伊勢殿との御関係は……」

 叔父の表情から怒りが薄れ、それよりもっと深刻なものにとってかわった。

「遠い親戚程度のかかわりしかないように見受けられます」

「では、よもや北条と」

「むしろ幕府よりはそちらに近いと噂には……」

 北条とは、確か姻戚関係だったはず。

 親族だよね? 御屋形様の。

 正確には、桃源院さまが先代の北条家当主の姉だと聞いた気がする。

 え、御屋形さまの御母上と関係ある人? そんなところから、勝千代の命を狙う者が出たの?!

 驚きより先に、ずしりと重いものを鳩尾あたりに感じた。 

 顔も見えないどこぞの誰かに刺客を送られるのと、一応は祖母でもある方から死ねと言われるのとではまったく意味が違う。


 一度だけ対面したときの、御屋形様の御母上にしてはやけに若いと感じた桃源院さまの顔を思い浮かべる。

 対面したと言っても距離があり、直接話をしたわけでもなかった。

 孫だと言われたわけでも、親し気な視線を向けられたわけでもない。

 むしろ、対応としては若干の冷たさすら感じていたが、それはあの場の状況故に仕方がないと、そんな風に考えていた。……本当にあの方が?


「世間は狭いですから、庶出を含めれば誰もがどこかとつながっているものです」

 興津がその場の重い空気を払いのけるように、明るい声で言った。

「ほかならぬ私めも、朝比奈家とは遠からぬ縁があるほどですし」

 できるだけ表情は動かさないようにしたつもりだ。

 しかし、はた目には衝撃を受けたように見えたのかもしれない。

 とりなすような興津の言葉に視線を向けると、大人たちが気遣わしげにこちらを見ていることに気づいた。

「どこの出であろうが関係ありません。寒月様に夜討ちをかけようと企んだ者には厳重な処罰が必要です」

 思いのほか意地を張ったような、可愛げのない返答になってしまった。

 それを聞いた叔父はますます心配そうに、興津も困ったように眦を下げている。

「その僧侶の言うていることが真だとは限りません」

「そうですよ、父親が生まれる前に亡くなっているというのなら、すでにもう五十年ほども前のことですし、伊勢氏も二代ほど代替わりしておりますし」

「ええ。ですが、鏡如がその名を最大限に公言し、地位を高めているのは事実です」

 最後の、まことしやかな台詞は興如だ。

 勝千代は、いかにも誠実そうな、聖職者じみた興如の顔をまじまじと見つめた。

 その真摯な視線に身構えたのは、話の内容からではない。

 頭の片隅に、この老僧が油断ならないという感覚があったからだ。


「では、現在の伊勢氏のご当主に、事の次第を書き記したものをお送りしましょう」

 勝千代は用心しながらそう言って、特に叔父が反対していないのを確認してから言葉をつづけた。

「よもやそういう立場の方の御身内が、夜討ちを示唆したなどとわかれば……」

 攻めどころは勝千代の身内方面ではなく、伊勢氏本家、幕府中枢にいる方だ。

 公家と幕府の関係が蜜月だというイメージはないが、朝敵になれば立場が危ういというのは想像がつく。十中八九、初耳だし無関係だと言ってくると思う。


 ……なんだかわかってきたぞ。

 勝千代は視線を手元の扇子に落としてから、もう一度興如の顔をちらり見した。

 この老僧の目論見は、勝千代に今川への不審を抱かせることでも、寒月様襲撃の責任をこちらに押し付けてくることでもない。

 鏡如を確実に、伊勢氏から放逐させるのが目的なのではないか。

 これはあれだな、徹底的に追い込み、確実に仕留めたいのだ。

 興如と鏡如の間に、一体なにがあったのだろう。

 好々爺のような見た目にそぐわぬ、ずいぶんと重く強い憎悪を感じる。


「御坊」

 しばらくして、重い口を開いたのは叔父だ。

「あの者たちの身柄はこちらで預かり、しかるべき沙汰が届いたのちに、朝比奈殿の判断のうえ対処させていただく。それでよろしいか?」

「はい」

「御屋形様へは報告を上げますが、事が事ですし、今川の方から口出しをしてくる方はいないでしょう」

 朝比奈殿の御正室らが主犯で、鏡如はせいぜい教唆した程度なのだろうが、確実に命で贖うことになるのは後者だ。

 これほどの不祥事、名を出された伊勢氏も黙って見ているとは思えないからだ。

 ああ確かに、これで確実に鏡如の命運は絶たれるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
[気になる点] 28-2では「とてもではないが、四歳児に向けられるようなものではなく、中には怯えたようなものまであった。」となっていますが、28-5では「まだ数え六つの童子だという言い訳は長くは続かな…
[一言] 桃源院が黒幕だったら怖いな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ