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にこやかな興如と対峙しているのは、志郎衛門叔父だ。
相変わらずの渋面。しかもことさら眉間の皺が深い。
勝千代は、若干の気まずさを覚えながらも、別に遊んでいた訳ではないと内心で言い訳する。
はた目には祖父と孫とで長時間碁を打って興じているように見えたかもしれない。
事実その通りではあるのだが、コテンパンにやられまくりながらも忠告は的を射ていて、なかなかに実りある時間だった。
「勝千代殿」
叔父に名前を呼ばれて、「うっ」と息を詰める。
反射的に謝罪しそうになってしまうのは、甘みのかけらもないその目つきのせいだ。
怒ってる? かなり怒ってるな。
寒月様に謝罪しに行っただけなのに、掛川の御正室を排斥し城に居座る結果になってしまった。
今後の朝比奈との関係を思えば、頭を抱えたくもなるだろう。
「まあまあ、大事に至らず良かったではないですか」
そう言って快活に笑ってくれたのは、丸顔の興津だ。
前に朝比奈に知人がいると言っていたが、この男、分家の累系だった。
先代か先々代に分枝した朝比奈分家の娘を奥方にしているのだそうだ。
「十分大事です」
地を這うような叔父の声色に、救いを求めて視線をさまよわせたが、興津を含め誰とも目は合わなかった。
この部屋には、掛川城の関係者を含め、大勢の大人がいる。
それなのに、誰も助けてくれないだなんてひどいじゃないか。
今にも人を縊り殺しそうな叔父の表情が見えていないのか?
……まあ、冗談はさておき、誰も口を開けないのには理由があって、ここは前回寒月様とともに訪れた大広間で、何故か勝千代が最上座に座っているからだ。
興津も叔父も先に下座をキープし、まったく問題ない表情でいるので、必然的に一番年少の……年少というにもお子様すぎる勝千代が座る位置が、最上座で固定だ。
ううう、居づらい。
「寒月様の御屋敷には警護の兵を配備させました。できればこちらにお招きしたかったのですが、東雲様を動かすわけにはいかぬと」
叔父と興津はここへ来る前に、先に寒月様の御屋敷に謝罪に出向いていた。
福島家からだけではなく今川家からも、身辺を守るための兵と、詫びにかなりの額を包んでいったようだ。
御屋敷の正門は壊されてしまったし、あの美しい庭園も踏み荒らされてしまっていたので、それの修繕費用に結構かかってしまうだろう。
当初武家からの金は受け取らないと、かなりの剣幕で叱責されたそうなのだが、二人がかりで根気強く頭を下げてようやく、御屋形様直筆の詫び状ともに、見舞金を受け取ってもらえたのだそうだ。
「丁度岡部の御嫡男が到着なさり、後の事は任せて参りました」
「一朗太殿が?」
あの子はまだ子供だぞ。姉の惨殺にさぞショックをうけているだろう。任せて大丈夫なのか?
勝千代の心配を察したのだろう、叔父は難しい表情のままひとつ大きく頷いた。
「かつて今川館でともに務めておりました下村高司郎殿が同行しておりましたので」
ああ、奥方の兄だという渋めの男前だな。
あの男も今川館にいたことがあるのか。
そういえば、ひどい凍傷になっていた岡部殿はどうしているだろう。雪崩でつぶされた城は復旧できそうなのだろうか。
あとで聞かねばならないことが色々あるなと、頭の中のチェックリストを追加する。
この場で尋ねられないのは、ここが大広間、つまりは公的な場だからだ。
他国の人間であり僧侶でもある興如や、借りてきた猫のような掛川城重臣らに聞かせる話ではない。
「ところで御坊、ずいぶんと勝千代殿と打ち解けられたようですが、度重なる本願寺の所業について、御屋形様はたいそうご立腹です」
もともと叔父は本願寺の僧侶たちが気に入らない様子だったのだが、今回もまた勝千代を狙ったのだと知り、完全に敵認定していた。
ゴルゴ顔がさらにいっそう恐ろし気に、まるで鼻面にしわを寄せ牙をむいた狼のごとき面相になっている。
丁寧な口調だが、地響きが聞こえてきそうなほどの低音で、今すぐにでも尻尾を巻いて逃げ出したくなった。
ここは謝罪を受け取ったと告げた方がいいのか? いやあれは私信だったから、ここで言うのはまずいか。
無意識のうちに、飛んでくる火の粉を払う算段をしていて、はっとする。
どうして本願寺の僧侶のために悩んでやる必要があるのだ。
言い訳をするべきなのは勝千代ではなく、興如だろう。
とはいえ、謝罪相手への心象をよくするための詫び状であり、贈り物であることは確か。
非を認め協力するという言質が取れたのだから……
興如がすっとこちらに目を向けて、視線が合った。
駄目だな、どう考えても老僧の思惑にはまっているとしか思えない。
「幾日かお待ちいただけないでしょうか。宗主へ破門の申し立てをしております。了承が取れましたら、ただの罪人としてお好きになさってください」
絶対に躱すぞ。叔父にこれ以上叱られるのは勘弁だ。
そんな勝千代の心の声が聞こえたかのように、興如の目が三日月形に細められた。
「まだ幼い童子に手を掛けようなどと……仏の教えどころか、人としての道にも背くものです」
「尻尾切りですかな」
「いいえ」
興如は急に真顔になって、声も低くした。
「拙僧といたしましては、すぐにも処罰していただきたいほどですが、そちらも十分にお調べになりたいでしょう」
まてまて、この男のすることなすことすべてに裏があるようにしか見えない。
まだ何か手札を持っているな。
警戒する勝千代の方へ、ふたたび老僧の視線が向く。
「あの者は、幕府政所執事伊勢氏の庶子だと名乗っています」
まるで腹に巻いた爆弾が披露されたかのように、広間の大人たちが大きく息をのんだ。




