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あまりにも有名な話なので、歴史にそれほど興味がなくともふんわりと知っている。
今川が弱体化するきっかけとなった、桶狭間の戦い。
それは、今川が三河から尾張へ侵攻しようとしたのがきっかけだった。
その時の今川の殿さまは「東海一の弓取り」と呼ばれ、駿河・遠江・三河の三国にも及ぶ超大国を支配していたという。
現在、御屋形様は駿河の守護だ。遠江の守護なのかどうかは知らない。
ただ、実質遠江を支配しているのは今川家で、今はまだ三河を手に入れようと勢力を伸ばしている最中なのだろう。
頭の中の実に怪しげな地図では、駿河・遠江・三河の三国は海沿いに横並びの国だ。
さらにその向こうには、後の織田信長を生む尾張がある。
棚田から聞いた話によると、朝比奈のご親族たちは、東三河に砦を構え、カニの爪のような形の湾の東西で三河武士たちとにらみ合っているのだとか。
三河、と聞いて思い浮かぶのは「松平」。のちの徳川家康が生まれてくる家だ。
幼いころに今川家に人質に出され、さんざん苦労した末に弱小の立場から成り上がる。
日本人が大好きなサクセスストーリーだな。
三河=松平という構図がどうしても頭から離れないのは、もちろん家康がこの戦国を終わらせた立役者だからだが、そもそも彼のような小領の主が成り上がる事が出来たのには理由がある。
三河の守護は? と尋ねられて、すぐに答えることができるのは少数だろう。
少なくとも、理系世界史専攻の勝千代の記憶にはかすりもしなかった。
おそらく日本の受験生の半分以上が知らないのではないか?
そしてそれは、この時代の武士たちも同様だった。もはや守護の存在が名ばかりの名誉職のようになってしまっていて、幕府の権威の低下が顕著にわかる。
駿河遠江には今川がいるが、三河尾張にいる守護の力は極めて弱い。
それゆえに、小さな国人領主が群雄割拠、あちらこちらで勢力の拡大を図るものがタケノコのように湧き出ているのだ。
有名どころの織田家も松平家も、家格はそれほど高くなかったと記憶している。
守護の力が弱まった故に台頭してきた勢力なのだろう。
逢坂老のワンポイントレッスン。尾張の守護は斯波氏で美濃は土岐氏、ついでに言えば三河は細川氏だそうだ。
そして、現在の松平が芽が出る前の弱小なのかといえば……そうでもない。
今は家康の父親より上の世代だろうが、松平はかなり強壮で厄介な敵らしい。
まだ幼い勝千代にそういうぐらいだから、実際はなかなか勝てない相手なのかもしれない。
つまりどういうことかというと。
「……示し合わせたような塩梅だな」
「まさに」
棚田は一日にしてげっそりと、面立ちから変わってしまっていた。
頬はこけ、目の下には黒い隈。いつも丁寧に整えられていたチョビ髭が、無精ひげにランクダウンしている。
父の野放図な髭面に慣れている勝千代の目から見ても、かなりくたびれ切った、哀れを誘う面相だった。
「雪のない平野であれば、この時期に戦をするのも珍しくないのだろう?」
「そうですね。足元もしっかりしておりますので」
「ならば特におかしなことではないのか」
応仁の乱以降、三河の東西で中小の領主たちが角を突き合わせ、権勢を競うような状況になっているらしい。
上が弱ければ、下から突き上げてくるいい例だ。
三河は今まさに、沸騰寸前の湯のように煮立った状態だった。
今川家も、それを好機とみて、三河にまで勢力を拡大しようと手を伸ばしたのだろう。
あえて火中の栗を拾っても面倒なだけだろうに。
「攻めてきたのが何日のいつ頃であったのか知りたいところだ」
西三河の連合軍が、今川の砦を猛攻。
棚田が朝比奈殿のご親族に知らせを送ったのと前後して、後詰の依頼が来た。
正確には国境が近い曳馬城への要請らしいのだが、圧倒的に兵力が足りず、本城のほうへのヘルプが掛かった。
掛川から改めて三河へ兵を出すのは効率的ではない気がするが、ここは勝千代が想像しているよりもずっと時がゆっくり流れる。
兵を動かすのは今日明日というものではなく、ひと月ふた月と長いスパンで見るそうだ。
当主朝比奈殿が他方向に出兵しているので、こちらに残っている兵数も多くはないが、幸いにも駿府に近い立地柄、例えば残存兵をゼロにしたとしても、攻め込まれにくい状況ではある。
勝千代は、東雲からもらった扇子を手でもてあそび、軽くぱちぱちと閉じたり開いたりを繰り返した。
兵を動かすのにそれだけの時間がかかるのであれば、後詰は最初から考えておくべきもので、朝比奈殿のご親族あるいは曳馬の準備不足が否めない。
特に朝比奈殿が出払ってすぐのこの状況。西三河の攻め手はそれを狙っていたのではないか?
強大すぎる敵が出来てしまったら、小さな者たちはどうするか。
諦めて敗北を受け入れるか、逆に、一致団結して対抗してくるか。
もし勝千代がその立場なら、今川が遠江を支配しそうになったその段階で、同盟締結などの根回しを始めただろう。
いや、そこまでは予測できなかったとしても、三河に砦を築いて侵攻してきた段階で、何らかの搦手を思案したに違いなかった。
真正面から戦えば潰される。ならばどうするか。
有力武将がいない隙を狙うのは常套手段のように思える。
更に念を押して……、
「後詰が出来ぬ状況を作りたかったのかもしれぬな」
ぞわり、と首筋の毛が逆立った。
三河にいる、盤面の差し手の存在をまざまざと感じ取ったからだ。
とはいえ、寒月様襲撃の一件、三河の国人領主が企むには大胆すぎる方法だ。
寒月様はもちろん朝比奈殿の御正室でさえも、地方の一武家が簡単に手出しできる方ではない。
「いや逆に、時間を合わせて攻め込ませる約束を取り付けていたのかもしれぬ」
そうすれば、朝比奈殿のご親族たちは砦から動けない。
攻め込まれて兵を引くわけにいかず、大将が後方に下がるわけにもいかず。
しばらくは前線で足止めだろう。
御正室たちは悠々と掛川城を我が物にできる。
「考えすぎだと思うか?」
棚田の土気色の顔がますます青ざめ、控えているその他の重臣たちもこわばった表情だ。
「……まあなんにせよ、しばらくどなたもお戻りにならないという事だな」
「申し訳」
「謝罪は要らぬ」
勝千代は掛川城の重臣たちが雁首並べて四歳児の前で頭を下げた理由を察した。
「掛川からどれぐらい兵を出す予定だ?」
「荷駄隊を除き、およそ五百です」
それが多いのか少ないのか、相変わらず感覚がつかめない。
勝千代は「そうか」と頷いて、控えている側付きたちに目を向けた。
逢坂老が何も尋ねていないのに「はっ」と言って頭を下げる。
「若君及び寒月様の護衛に、今の人数では心もとないので、逢坂家の兵を追加で呼び寄せております」
「我が殿へも増援の相談をしたためました。渋沢領はここからも近いので、それほどかからず駆けつけることが可能かと」
続いてそう言ったのは谷だ。
逢坂老もだが、谷もなんだかわくわくした表情なのは気のせいではないだろう。
そうか、そんなに暴れ足りないのか。
残存組として父に置いていかれるのは、彼らにしてみれば忸怩たるものがあるのかもしれない。
だが残念だな。もちろん三河まで行ったりしないからな!
勝千代が次いで目を向けたのは三浦だ。彼は志郎衛門叔父とも懇意にしているので、事の次第を申し送りしてほしいとお願いしておいたのだ。
志郎衛門叔父であれば、やるべき事を察してくれるだろう。
ちなみに、三通の書簡はすべて弥太郎配下の忍びの手でまず叔父に手渡すよう言ってある。遅くとも明日の朝までには駿府に届くそうだ。速達便並みだな。
「お言葉通り、朝比奈家御家中の方々が、御正室の無謀すぎる言動に耐え兼ね動いたと注釈を入れておきました。寒月さまもたいそうご立腹だと」
うん、それでいい。
勝千代が自分で筆をとらなかったのは、心配した叔父がつけた側付きの自発的判断で書簡を出した、という態を作りたかったからだ。
残念ながら駿府には敵が多い。思わぬところから横槍を入れられて、真実を握りつぶされてはかなわない。用心という配慮は必要だろう。
「要請どおりに後詰の兵を送ると良い。出立するというても準備には時がかかるだろう? そうこうしているうちに、当家の兵が掛川に着く」
勝千代はそう言って、最後に一度パシリと扇子を鳴らして閉めた。
おそらく、重臣たちの頭にあるのは、福島家による朝比奈家専横だ。
それゆえに彼らの表情は暗く、重い。
だが安心してほしい。
ただでさえ今川館の、誰とは言わないがとある方々に、権勢がありすぎて邪魔だと思われているのだ。
福島が朝比奈を下したと思われでもすれば、白湯を頭から掛けられる程度では済まないだろう。
特に今回の、朝比奈殿御正室はあの方の御身内なので、よほどにセンシティブだ。
「朝比奈の御一門が戻られるまで、掛川は小動もさせぬ。それだけは約束しよう」
棚田が無言で深々と頭を下げ、重臣たちもそれに倣った。




