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公家の女性は外に出ることがほとんどないという。
それは、武家に嫁いだとしても変わらないようだ。
自室から距離がある客間に来るまでに、朝比奈殿の御正室の息はすっかり上がってしまっていた。
しかし、上下する肩と荒い呼吸が、ますます彼女の尋常ではない精神状態を露わにしていた。美しく化粧されていたのだろう顔面は赤く歪み、さながら般若か鬼女のようだ。
目が合って、真っ先に連想したのは桂殿だ。
御台様といい、桂殿といい、朝比奈殿の御正室といい……京女は手弱女、大和撫子だというのは嘘だな。
勝千代は、射殺されそうな目で睨み据えられ、全京女からバッシングを受けそうなことを考えていた。
いや、気が強いしっかりした女性は嫌いではない。
プライドが高く、自分の足で立つキャリア女性の知人には尊敬の念を抱いていた。
だがしかし、生まれついての御姫様という人種への扱いなど知ろうはずはなく、そういう相手へへりくだりたい性癖など持ち合わせていない。
勝千代にとって性差はたいした問題ではなく、女性への配慮は要っても、扱いに手心を加える必要は感じていなかった。
極論を言えば、女武将も女将軍もいてもいいと思う。
有能であれば、の注釈がつくが。
この時代の女性がかくも面倒な存在のように見えるのは、彼女らが自覚も教育もないままに権威ある立場で我が物顔にしているからだろう。
人の上に立つのに必要なのは、権勢欲ではない。
何かが起こったときに、その責任をすべて被るぐらいの気概だ。
どこのどういう立場でもそうだが、身分には責任がついて回る。
残念ながら目の前で勝千代に対して敵意を振りまいている彼女には、そういう立場に就くだけの気概も責任感もないように見える。
「……鬼子が!」
「無礼であろう! 我らが来たらさっさと上座を譲らぬか!!」
さらに面倒なのが、状況を読めないボンボンズだ。
勝千代はまだ息が整わない御正室の左右で、必死に引き留めようとする棚田を振り払う兄弟を冷静にみやった。
やはり性差など問題ではない。
馬鹿は生来馬鹿なのだ。
問題があるとすれば、こういう人間が権威を持ち、人の上に立っていることだ。
勝千代は、そっとため息をついた。
「あなた方は謹慎処分中だと思うておりましたが?」
思いのほか強い口調になってしまった。
いけないな、初手から喧嘩口調は良くない。
しかし、勝千代が改めて口を開こうとする前に、御正室の手から扇子が飛んできた。
おおっと。
しかしそれは、側付きの三浦に止められた。
三浦は、反射的に飛んできた扇子を受け止めたものの、おそらくこれほど近くで対面したことなどないであろう、正真正銘の公家の御姫様に気を呑まれているようだ。
「謹慎ということは、勝手に部屋から出たり余人と会話したりしてはいけないという事ですよ」
四歳児から、まるでお子様を相手にするように言い聞かされる。
屈辱だろう。
でも仕方がないよね。そう言われて当然のことをしているのだ。
「小童が、大きな口を利くなっ!」
案の定、見る見る間に般若顔から更に牙をむき出したような表情になった。
怖い怖い、普通のお子様だったらトラウマレベルだよ。
「その小童にたしなめられる様では……」
ふっと鼻で笑ってやると、ますます御正室らのボルテージが上がる。
「朝比奈殿の沙汰が下るまで、お部屋で大人しくなさっていたほうがよろしいのでは」
「……っ」
もちろん、爆発させようとして煽っているのだ。
寒月様の書簡を出さずに事を収めれば、表面上はまだ穏便に話を済ませることができる。
はた目にも精神の安定を欠いている、当主の沙汰を待たず好きにしている。こういう状態の御正室を放置はできぬと、忠義の臣が強い対処をしたことにするのだ。
他家の四歳の子供が口出しをして難を逃れた、やんごとなき方の手を煩わせなければ御正室すらまともに御せないらしい……などなど、面白おかしく笑いものにされて大恥をかくよりはずっといいだろう。
何より、寒月様に五十名もの武士をけしかけた件について、自発的に元凶を突き出し謝罪の姿勢を見せるのは最低ラインの誠意だ。
どういう経緯で夜討ちが決められ、人選は誰がして、決行の指示は誰がしたのか。
寒月様だけではなく朝比奈殿も、それは知りたいところだろう。
「武家を粗野で野蛮だと蔑んでおられるようですが、童子に大声を上げて怒鳴り、扇子を投げつけ、今にも食い殺さんばかりの目でご覧になる……どちらが野卑か」
「……鬼子が!」
「何度もそう罵倒されるおかげで、夜討ちの者どもがどこから湧いて出たのか、すぐにわかりましたよ」
まあ、お子様の口喧嘩で言うなら「バーカ、バーカ」とはやし立てた程度の嘲笑だったが、もとより下に見ている武家にそういう態度をとられること自体が我慢がならないのだろう。
導火線から爆弾本体にまであっという間に着火した。
それは、真正面から顔色を伺っていなくともはっきりと分かった。
特に読みやすいのは御正室だった。
彼女の視線ははっきりと、勝千代の背後で気配を殺そうとしている(無理だよ派手すぎるから)二人の僧侶の方を向いていた。
「……なるほど?」
勝千代は、逢坂老に目配せした。
こちらも鬼瓦のような険しい面相をしていたが、勝千代の無言の視線を察する程度には理性を保っていた。
ドサリ、と何か重いものが襖に当たった。
金箔が張られた美しい山水画の襖が倒れてきて、奥から姿を見せたのは、禿げ頭に比較的地味色の法衣を身にまとった、五名ほどの屈強な僧侶たちだった。
勝千代はまるで仁王像のように筋骨たくましい僧侶たちを横目に、嬉々と表情を明るくした御正室にため息をついて首を振った。




