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冬嵐記  作者: 槐
第六章

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159/308

27-2

 この寒い時期に汗だくで駆けつけてきたのは、城代の棚田だ。

 囲いの後方で下馬すると、大声を上げて雑兵たちの間に分け入り、福島家騎馬隊の前に飛び出してきた。

「どうか! どうか!」

 喉がつぶれんばかりの大音声で絶叫すると、勝千代めがけて一直線に駆け寄ってくる。

 あまりにも異様なその勢いに、勝千代が乗っていた軍馬が「ぶるる」と嘶き前足を踏みしめた。逢坂老が手綱を引かなければ、その場で両膝をついた男を踏みつぶしていたかもしれない。

 棚田は馬との距離どころか、槍の攻撃範囲内をもものともせず、縋りつくように両手を掲げた。

「朝比奈家は謀反など致しませぬ! これは何かの間違いに御座います!!」

 いや、間違いと言われても、現実に朝比奈軍を名乗る者が勝千代たちを取り囲み、攻撃しようとしているではないか。

「ええい! 槍を捨てよ! 刀を置けっ! 誰に命令されてこのような勝手な真似をっ」

 額から滴る汗だけではなく、涙に鼻水まで放出しながら、棚田は戸惑う雑兵たちに向かって絶叫した。

「下がらぬというなら、一族郎党逆賊として打ち首にしてくれるわ!」

 城代である棚田の、恐慌状態に近い雄たけびに、雑兵たちはたちまち浮足立った。

 最初に誰何してきた赤ら顔の男が、槍を地面に落とした者へ焦りの目を向けたが、そんな彼も、仲間たちが見るからに後ずさりし始めているのに気づき、何か言おうとした口を閉ざす。


「棚田」

「はっ、はい!」

「そこの者が何か知っているようだ」

 勝千代の小さな手が、赤ら顔の男を指さした。

 男は、一気に周囲から仲間たちがいなくなるのを見回し、ぶんぶんと首を左右に振った。

「命じられて我らを待ち伏せていたらしい」

「……おのれ」

 棚田はひゅうと笛の音のように鋭く息を吸い込み、ようやく追いついてきた残りの二名に血走った目を向け叫んだ。

「その者を捕えよ!」

「ち、違う! 俺はただ命じられて……っ」

「指一本づつ切り落としてでも知っていることを吐かせろ!」

「ご城代様!!」

 見るからに下級武士のその男は、棚田の激高ぶりにたちまち顔色を失くし、ぎょろりとした目を限界まで見開きガクガクと震えながら首を振り続けた。


「これは朝比奈家への陰謀に違いないっ!!」

 棚田としては、そう言うしかないだろう。

 福島家と朝比奈家は、家格としてはそれほど差はない。

 その家の嫡男一行を、下級武士如きが難癖をつけ取り囲んだのだ。

 その上勝千代は、今川家現当主今川氏親の実子であり、本家に残っている兄弟に万一のことがあれば後継者になる目も残されている貴種だった。

 そんな勝千代に弓引く行為は、逢坂老が言った通り、今川本家への叛意と取られてもおかしくない。

「勝千代様。どうかこの不始末をお見逃し下され。必ず真相を明らかにし、必ず首謀者を捕えて見せます故に!」

「棚田」

 必死の形相で見上げてくるちょび髭男に、勝千代は小さく嘆息した。

「事態はもっと深刻だ」

 言ってはなんだが、家同士のいさかいどころの話ではないのだ。


「昨晩、五十ほどの賊どもが寒月様の邸宅を夜討ちした。幸いにも滞在中の我らが助太刀することで難を逃れたが……」

 勝千代は、腰に差していた小刀を棚田の前に投げ落とした。

 それは脇差だった。一見無地の鞘に納められたどこにでもありそうな品だが、抜いてみるとはばきの部分に家紋が刻まれている。

 指揮官とみられる頬当ての男は、間抜けにも、闇討ちする際に身元がわかるような品を持参していたのだ。

「見覚えがあるのではないか」

 弥太郎調べによると、重臣の安西家の家紋だということだ。

 ますます、朝比奈家にとって分が悪い状況になってきている。


「あ、あのお方のお住まいを?」

 そう問い返す棚田の顔色は、死人のように真っ青だった。

「そうだ。権大納言であらせられる一条様の御身を、五十数名で襲ったのだ」

「ま、まさか。何かの間違いに御座います。そのようなことがあろうはずは……」

「襲撃者の幾人かは生きたまま捕えている。取り逃がした数名が掛川城に逃げ込んだ」

「あり得ませぬ!」

 主城の城代として任じられた棚田は、朝比奈家後方の責任者だ。

 城主不在の掛川城のことは、完全に把握していると信じていたのだろう。

 それゆえの「まさか」であり、「あり得ない」だ。

 つまり、棚田が気づけないほどに巧妙に動いたか、あるいは余程の少人数での画策だろうと思う。


「現実を見よ」

 呆然と手に取った脇差の家紋を見下ろしていた棚田が、はっとしたように顔を上げた。

「対処を誤れば、朝敵として朝比奈は滅ぶぞ」

「……っ」

 公家そのものに武力はないが、彼らの言動を利用しようとする武家は少なくない。

 下手をしたら幕府までもが敵に回り、今川の進退に大きな影を落とすことになりかねなかった。

「ど、どうすれば」

 棚田の青ざめた唇が震えている。

 尻をぺたりと地面につけ、もはや膝を付いているというより、崩れ落ちているといった態だ。

 勝千代は再び嘆息した。

「状況は悪いが……朝比奈殿には世話になった。同じ今川の者として、黙って見ているわけには参らぬ」

 すがるような眼で見上げられ、尻の座りが悪くなる。

 ちょび髭中年男の上目遣いなど、四歳男児にはお呼びではない。

 だがしかし、ここで棚田に出会えたのは僥倖だった。

 勝千代がやらねばならないと憂鬱だった一番槍は、この男に譲るとしよう。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[一言] 兵は主を知るが、主に主があるのを知らず。 その当時は識字率も低く、情報伝達手段もすくなかったので 兵隊は1つ上の命令を聞くのが精一杯な時代で、良く判らずにうえの命令を聞いたら反乱だったなん…
[一言] 世には連座を避けるために離縁するみたいなものがあるので、えっと今川のお殿様の夫人はどこの家の方でしたかねえ
[一言] 棚田がんばれ!
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