26-6
翌日、妙にすっきりした気分で目が覚めた。
日はすでにかなり高く、寝過ごしてしまったのが分かる。
前にもこんなことがあったなと上半身を起こし、自身の額に触れてみて熱が下がっていることを確認した。
「起きられましたか」
勝千代にそう声を掛けたのは弥太郎だ。
あれからずっとついていてくれたのかもしれない。
「ご報告がありますが、その前に」
差し出されたのは薬湯。
渋い表情になったのを取り繕う間もなく、「残さずに飲み干してくださいね」と念押される。
口をつけると、相も変わらず苦い。だが弥太郎の薬湯はよく効くのだ。
「すぐに白粥を用意いたします」
普通の白米が良いと言い返そうとしたが、それほど空腹を感じていないし、むしろ鳩尾のあたりが重い。
食べなければ体力はつかないとわかっている。しかし、どうにもこの身体は虚弱で、すぐに熱を出すだけではなく、胃腸も弱いのだ。
厠に行く回数を増やしたくない一心で、言われたとおりに白粥で我慢する。
厠に行くと、小屋の前でいちいち袴を脱ぐんだぞ。
それの世話をされるのも恥ずかしいが、下手をしたらそのまま一緒に厠に入ってきて、尻を拭かれそうになるのも勘弁してほしい。
便の状態を見たいとかそういう理由なのだと思うが、時代が時代だと普通に案件だからな!
粥が用意されるまでの時間で、身支度をする。
着替えの事まで考えずにここまで来たのだが、優秀な側付きたちが如才なく替えの直垂を用意してくれていた。
紺色に近いが、若干紫がかって見える。何色というのか浅学にしてよくわからないのだが、前回も今川館に乗り込むときに似た色を着せられたし、父が鎧兜に使っている色に似ているから、もしかしたら福島家にとって定番の色味なのかもしれない。
柄はシックな色合いのひし形、胸紐は鮮やかな青だ。
今回も三浦が髪を結いなおしてくれた。
勝千代の髪は細くて腰がないので、すぐに緩んでくるのだ。
髪を結い終え、袴のひもをぎゅっと結んだら、支度は完了だ。
丁度いいタイミングで土井が白粥を運んできた。
前に混入事件があってから、土井は神経質なぐらい用心深くなっていて、勝千代の食事は大抵彼が運んでくる。
そしてそれを弥太郎が毒見するまでが、食事前の毎回の流れだ。
毒について詳しい弥太郎の判断は的確で素早いが、それでも、熱々の食べ物が回ってくることはない。
この時代、身分が高い者の居室は水回りからかなり離れた場所にあり、遠くから運んでくるぶん冷めてしまうのだ。
冷めた粥よりは、白米の方が美味しいのはわかっているが、腹を下すよりはましである。
勝千代はようやく差し出された椀に匙を突っ込み、心を無にして中身の粥を片付ける事に集中した。
「で、何が分かった?」
冷めて膨らんだ粥に悪戦苦闘すること数十分、これ以上は無理というところで匙を置き、椀を下げさせる。
弥太郎は中身の減り具合に不満そうな顔をしたものの、言及することはなく、受け取った椀を傍らの盆の上に置き両手を膝の上に乗せた。
「逃走した者は、掛川城へ逃げ込みました」
聞いた瞬間に、胃のあたりが冷えた。
多分顔色も悪くなったと思う。
予想しなかったわけではないが、最悪に近い答えだった。
「……城代の、何と言ったか」
「棚田五郎衛門様です」
「そうだ、棚田殿はどうしている? きちんと御正室の監視はしていたのだろうか」
「一介の城代には荷が重かったのかもしれませんね」
柔和な物言いに見えるが、何故かものすごく他人事だ。
勝千代はじろりと弥太郎を睨み、こぼれそうになる溜息を飲み込んだ。
厄介なことになった。
おそらくは昨夜の夜襲で、寒月屋敷にいる者を跡形もなく始末したかったのだろう。
そうすれば、相手が権大納言だろうが誰だろうが問題はない。
夜盗に襲われた不幸な事故、護衛の数が少なすぎた寒月様に非があるようにもっていけたかもしれない。
だが幸か不幸か勝千代がいた。
福島家がそれを防いだことは、今川にとって大きな挽回要素にはなるだろうが、夜討ちを掛けてきた張本人もまた今川家中の者となれば、事情はかなり混みあってくる。
朝比奈殿は今国境だ。
しかし、出払っているからと言って、お咎めなしにはならない。
とにかく、一刻も早く事態の収束に努めなければ、朝比奈家どころか今川家そのものも泥をかぶることになる。
「逃げ込んだ者はどうしている?」
「今のところは長屋に戻って休んでいるようです」
「雇われではなく、家中の者だったのか? ならばすぐにも確保するべきだな」
身元確かであれば証人としての信憑性も高まるから、間違いなく口封じされるだろう。
であるなら、今回捕えた指揮官にも期待できそうだ。
勝千代はしばし考えを巡らせ、算段をつけた。
そして、小さくひとつ頷いてから、部屋の片隅からこちらを凝視している側付きたちに目を向ける。
「掛川城へ出向く。逢坂らに用意をするように伝えよ」
「……っ、はいっ!」
視線が合った三浦の低い声が裏返った。
勝千代たちが屋敷を出ていくと、ここはかなり手薄になる。寒月様や奈津殿、今回捕縛した連中にも危険が及ばないように、相手が動く前にすべてを片付けてしまわなければならない。
するべき事はわかっていた。
気は進まないが、今それができるのは勝千代だけだろう。
「疾く動き、疾く始末をつける」
「はっ」
四人の側付きたちの声がそろった。




