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冬嵐記  作者: 槐
第六章

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152/308

26-2

 勝千代が地面に両手をつくと、背後でも三十数名が同様に土下座をする音が聞こえた。

 真冬の寒空の下、凍り付いた地面に額を押し付ける姿勢はかなりきつい。

 それでも、吹きすさぶ風に震えながら、勝千代はただ無言で深謝の思いを示し続けた。

 何も言わずただ頭を下げ続けること数十秒、頭上から重いため息が聞こえる。

 そっと肩に大きな手が置かれた。

 公家の手とは思えない、剣たこのある硬い掌だった。

「幼い童子に頭をさげさせよると、こちらが悪いように言われてしまうわ」

 おずおずと顔を上げると、ひょいとわきに手を差し込まれ立ち上がらされた。

 そのまま寒月様の目の高さまで持ち上げられ、近距離でじっと視線が合った。

 ほぼ半月ぶりに会う寒月様は、以前に会った時よりは随分と疲弊したように見えた。

「頬が赤いな」

「……少しだけ熱が」

 足がブランと浮き、気まずさに拍車がかかる。

 寒月様はもういちど太く溜息をついて、勝千代を持ち上げたままくるりと踵を返した。

「あの」

「すまぬが厩はそれほど広うないのや。人のほうはなんとかなるやろう」

「え、いえ。そのようにお世話になるわけには参りません」

「熱を出した童子を寒空の下に放り出すのもな」

 相変わらずの太い安定感のある声だが、やはりかなり疲れた風に聞こえた。

「……東雲様は」

「後には引くまいよ。だが、本復までには時間がかかるやろう」

 重傷だが、回復の見込みは高いという事か。

 ここにきて初めてのいい知らせだ。万が一にも東雲が帰らぬ人になってしまえば、それこそ取り返しがつかない。

「お見舞いはできますか?」

「そなたはまずは己の熱を下げるのやな」

 勝千代はへにょりと眉を下げ、至近距離にある皺のある男の顔を見下ろした。

 真っ白の髪は相変わらずつやつやと派手に輝いていたが、若々しかったその肌艶が若干くすんで見える。

 やはり相当な心労だったのだろう。


 勝千代は前回と同じ慣れた客間まで運ばれた。

 なんとなく、戻ってきたという気がするから不思議だ。

 寒月は勝千代を降ろし、今夜は早く休むようにと告げてから母屋の方へ去っていった。

 勝千代の体調不良から行程を緩めたせいで、短い冬の日差しは既に暮れかけている。

 駿府を出て二日目の夜だ。

「弥太郎」

 いそいそと寝間の用意をしようとする男に、声を掛けた。

「鶸を呼んできてほしい」

 東雲が負傷したということは、彼もまた無事ではないのかもしれない。

 だがあの男であれば、確実に何が起こったか知っているだろう。

「呼ぶまでもございません。すでに上に来ております」

 なんという風もないその返答に、ぎくりと身を固くしたのは周囲の大人たちだ。

「そうか。では話が聞きたい」

 コツリ、と天井板が鳴らされた。



 鶸はそのまま降りてくるのではなく、わざわざ表に回って行儀よく訪ねてきた。

 相変わらず灰色の狩衣姿で、今の今まで天井裏にいたとは思えない隙のない身なりだった。

 寒月様同様、その顔色はすさまじく悪く、血の気を失って青白い。

 鶸もまた負傷しているのではないか。まだ動ける状態ではないのかもしれない。

「何があった」

 尋ねると、深々と頭を下げられた。

「志乃様をお守りできず」

「東雲様の御容態は?」

 誰よりも自身の不甲斐なさを責めているであろう男の謝罪よりも、何が起こったのか、その事実を知りたかった。

「そなたの知るところをすべて話せ」


 それは、日向屋の夫婦が屋敷を発って数日後。

 掛川城から幾度目かの差し入れが志乃殿のもとへ運ばれてきた。

 これは朝比奈殿と約束をしていた、岡部姉妹が武家の子女らしく品位を保つための衣類などの支援品だ。

 何も持たない彼女たちにとって、非常に心強いものだったと思う。

 しかしそれは同時に、寒月様の屋敷の守りを緩める戸口でもあった。

 寒月様があれだけ釘を刺したのだ、掛川の誰かがまた刺客を送り込んできたとは言い切れない。

 しかし、支援品を運んできた女が刺客であり、迷うことなくまっすぐに志乃殿を狙ってきたのは事実だ。

 東雲はその時、偶然近くにいて、騒ぎに気づいて駆けつけた。

 悲鳴を上げた奈津を背にかばい、二度三度と刺された志乃を取り戻そうとして、肩から上腕部を深く切りつけられた。

 もう少し太刀筋が違えば、あるいは刺客が力のある男だったら、そのまま帰らぬ人になっていてもおかしくない深手だそうだ。

 負傷してからすでにもう五日。峠は越え、命に別状はなさそうだというが、切り付けられた場所が場所だけに腕の機能が元に戻るかはわからないらしい。


 勝千代はそっと息を吐き、瞼を閉じた。

 元気な声で「若様」と勝千代を呼ぶ奈津の声と、青白いやせた顔で懸命に微笑もうとしていた志乃の表情を思い出す。

 なんてむごい。

 何の力も持たない姉妹に、容赦ない刃を向けてきたのはいったい誰なのだ。

「奈津殿は?」

「大殿様がお側で気を配っておられます」

「そうか」

 ありがたい事だ。

 寒月様も、岡部姉妹の苦難を哀れに思って下さったのだろう。

「ご家族へは知らせを?」

「はい」

 城は雪崩で壊滅状態、城主である岡部殿は重症。嫡男はまだ幼少で、兵もほぼほぼ残っていない。

 長姉が生きていたと喜んだ矢先の不幸は、岡部家の人々をなお一層打ちのめすだろう。

「……次は奈津殿を狙うと思うか?」

「わかりませぬが、志乃殿を狙った女は奈津殿には目もくれませんでした」

 幼少故に見逃された? そもそも奈津は対象外だった?

 それが憶測の域を出ない限り、次はあの幼い少女が狙われると考えた方がいいだろう。

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福島勝千代一代記
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― 新着の感想 ―
[良い点] 本来不可侵の寒月様のお屋敷にまで刺客を放つ、というのは、なりふり構わないのか、無知なのか。 展開が気になって、毎日楽しみにしています。 [気になる点] 東雲様の忍びさん、鶸さんではなかった…
[気になる点] 151話から152話の始まり時間の流れあってますか?いきなり寒月様登場に違和感感じます。
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