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こういう状況で出かけるのだから、もちろん「お忍び」だ。
特に今川館にいるであろう、福島家に悪意を持っている連中には、できることなら知られないように動きたい。
勝千代は弥太郎らにいつものように運んでもらうつもりでいたのだが、志郎衛門叔父だけではなく、四方向から「とんでもない」と止められた。
ちなみに段蔵は父と一緒に出兵しているので、今は駿府にはいない。
勝千代付きの忍びの総括は弥太郎で、その当の本人からすら渋めの表情で賛成はできないと言われてしまった。
たしかに移動手段としては早いが、現地に到着した際の守りが甘くなるとのことだ。
それについては納得したのだが……ではどうする、という話になる。
出来得る限り早く寒月様の屋敷に向かい、頭を下げて謝罪したい。
そして、志乃殿が狙われた理由を解明したい。
想像だが、彼女の口で証言されては困る何かがあったのだ。
もし志乃殿に心当たりがあったら、周囲にそうと告げていただろう。そういう情報がまるでないということは、彼女が「おかしい」と疑問に感じない、彼女が日常的に知っていた「何か」が原因である可能性が高い。
今さらながらに、もっと話をしておけばよかったと悔やむ。
彼女の心の傷を慮って、時間を置こうと考えたのは間違いだった。
いや、時間云々の問題ではない。
彼女が重要な証言者になり得るとわかっていたのだから、もっとその身辺の守りを強固なものにしておくべきだったのだ。
志郎衛門叔父が言うように、もはや勝千代自らが危険に身をさらし、急いで駆けつける必要はないのかもしれない。
すでに志乃殿は死んでしまった。
死人の口は、三日後だろうが五日後だろうが、二度と開くことはないのだから。
「しっかりつかまっていて下され」
そしてどうしたかというと、勝千代は逢坂老とのタンデムで馬にまたがっている。
逢坂一族は早駆けを得手としているそうだ。
弥太郎らに運ばれるより早いのかもしれないが……これは断じて「お忍び」ではない。
総勢三十数名。きっと赤子でも「何事だ」と二度見するような武家集団が、騎馬隊として疾走している。
目立つか目立たないかでいうと「ものすごく目立つ」し、むしろ敵ではないところからも警戒されそうだ。
「次からは『赤い突風』と呼んでやろう」
慣れない乗馬にフラフラな勝千代がそういうと、逢坂老をはじめ、同じ赤い装いの男たちが嬉しそうに破顔した。
褒めたわけじゃない。皮肉だぞ。
乗馬経験などほとんどないが、赤色集団にリードされた騎馬隊の速度は尋常ではなく速かった。
この時代の馬はサラブレッドよりも小柄だが、足も太く頑丈で耐久力もあるようだ。
いわゆるスプリンターとマラソンランナーのように、長距離での移動に向いているのではないか。
とはいえ馬も生き物なので、人間を背にずっと走り続けるなどスタミナ的に不可能だ。
一度に早駆けできるのも三十分がせいぜいで、馬を乗りつぶすつもりでないなら替え馬を用意するか、十分な休息を取るか、速度を落とすかのいずれかになるそうだ。
今回は速度を調整しながら、休憩も適所で挟みつつ、できる限りの速さで移動している。
日があるうち限定で馬を走らせるとして、掛川まで一日半ほどだそうだ。
思っていたよりもずいぶん早い。
早朝のまだ薄暗いうちに出立し、同行しているのは勝千代の側付き四名と弥太郎、谷ら渋沢家の護衛十名。そして万事だ。
残りの二十弱は、逢坂老を筆頭にした赤武者たちだった。
……多いよ。特に赤い奴ら。
馬の休息のための水場の脇で、グロッキーな勝千代は地面と仲良くしながら、ひそかにため息をついた。
お忍びでと言ったのに。
逢坂老曰く、鎧兜を身にまとっているわけではないから大丈夫だとのことだが……三十騎以上の大移動が目立たないわけがない。
だが側付きはもちろん弥太郎も同行を志願し、護衛の数も、渋沢判断で十名まで絞られたが、当初はその倍もいたのだ。
逢坂家に至っては、話を聞いた当初から同行すると言って頑として譲らず、数も減らそうとはしなかった。
万が一の際には肉壁となって……などと言われてしまえば、強く断ることもできない。
結果としての三十数名の騎馬隊は、やたらと人目を引きながら、駿府の街を出て掛川方面へと移動していた。
「そのようなところで横になられては、御召し物が汚れますよ」
そう声をかけて来たのは、新しく側付きになった三浦だ。
まだ少年の域を脱したばかりの年頃で、前職は公事方だったという。あまり想像できないが、父の小姓として前線で槍を振り回した時期もあったらしい。
見た目はまだ子供っぽさを残しているのだが、これもギャップというのか? やたらと地声が低い。
そして世話焼きだ。
「今弥太郎殿が湯を沸かしています。握り飯はいかがですか?」
いや、今はちょっと無理。
この身体は三半規管が弱いのだろうか、まだ馬に揺られているような感覚が残っていて気持ち悪い。
うつ伏せで枯草の上に顔をうずめ、フルフルと首を振る。
しばらくして背中に羽織を掛けてくれたのは、もう一人の新しい側付きの木原だ。彼もまだ若いが、三浦よりも頭一つ分以上長身で、いまだ挨拶以上に話すのを見たことがない寡黙な男だ。
そして、渋沢隊の護衛と話をしているのが南。土井は馬に水を飲ませに行っている。
疲労困憊のあまり、しばらく眠っていたのかもしれない。
そっとゆすられて、目を開けると、気づかわし気な弥太郎の顔が近くにあった。
「熱が出ています」
そんな気がしていた。
もともと万全の体調ではないのだ。
だが、こんなところで寝込むわけにも、もちろん引き返すわけにもいかない。
「この先に宿場町があります。宿を取りましょう」
「……いいや」
勝千代は、いくらかぼんやりとした目で弥太郎を見上げ、首を振った。
物見遊山にきているわけではない。
一刻も早く、寒月様にお会いしなければならないのだ。




