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めちゃくちゃ怒っている。
苦いその表情に、ひどく申し訳ない気持ちになった。
最初は皆から警戒されていたが、朝比奈領につく頃には意外と仲良くやっていたのを知っている。
何の説明もなく置いていかれて、置手紙はしてきたがそもそも字が読めるのかどうか確かめる時間もなかった。
できれば岡部姉妹を守ってやってほしいと書置きしたのだが……
「……何者だ」
叔父の、ひどく警戒心のこもった問いかけにはっと我に返った。
気づくと黒と赤の護衛たちも、幸松の護衛も、皆険しい表情で万事を見ている。
「知り合いです」
慌ててそう口添えし、怪しい男ではないと伝える。
「岡部殿の城から朝比奈領まで、山道を案内してくれました。父上とも知己です」
だがよくよく考えればサンカ衆なのだ。多くの者にとって、夜盗山賊と同意語である。
怪しいか怪しくないかでいうと、十分に怪しいが、勝千代にとっては知人。心情的には敵ではない。
「万事」
余計なことは言うなよ、と思いを込めて名を呼ぶと、じっと険しい表情で睨まれた。
「文を預かってい……ます」
ギリギリで丁寧に話すことを思い出したのだろう、なんとか語尾に「ます」をつけて取り繕う。
「寒月さまからです」
「え」
思わず仰け反ってしまった。
事情を知らない周囲はいぶかしげな顔だが、流石に叔父は気づいたのだろう、かなりこわばった表情で勝千代と視線を交わす。
大丈夫。怒られるようなことは何もしていないから。……たぶん。
周囲の露骨な警戒に、動かないでいるという理性を働かせてくれた万事の元へ、土井が近づく。
寒月様からの書簡という、軽くはない手紙を受け取って戻ってきた土井の表情も緊張していた。
差し出されたのは……いやこれ、四歳児が受け取るべきものじゃないだろう。
正式なものだとわかる、硬めの上質な和紙で包まれた書簡だ。
土井が叔父を素通りして勝千代に手渡したのは、宛先が「福島勝千代殿」となっていたから。
何故当主である父ではなく、幼い四歳の子供に?
ふと、東雲がひきつれていた鶸という名の忍びを思い出した。
こちらの事情は筒抜けで、それでもなお万事を急使にしなければならないほどの用事があったのかもしれない。
再び叔父と視線をかわし、今日の外出は諦めて戻るかと思案した。
「あにうえ?」
書簡を受け取るために手を離した幸松が、不安そうに呼びかけてくる。
本来であれば、こんな往来で読むべきものではないのだろう。
だがしかし、寒月様の急用とは何なのか、不安が先に立った。
書簡に向かって軽く頭を下げてから、重厚な書簡の包みを開く。
過去見たこともないタッチの、なんとも表現しがたい美麗な筆跡に意識が集中する。
公家らしい回りくどいあいさつ文などはなかった。
伝えるべき必要な事が端的に、言い換えるなら容赦なく書き綴られていた。
「……っ」
勝千代は、文章を最後まで読み切ることもできず、ぐっと込み上げてきた吐き気をこらえた。
「勝千代殿?」
心配そうな叔父が書簡をのぞき込もうとする前に、すっぱいものを飲み込みながら首を振る。
「……あとで」
このような道端で話せるような内容ではなかった。
「今は、馬場へ向かいましょう」
「ご気分が優れないのなら戻りますか?」
「いいえ」
周囲からは、いやというほど視線が集まっている。
護衛たちのものもあれば、幸松や叔父のもの、遠巻きにこちらを見ている町人たちまでもがじっとこちらを見ている。
その中におそらくいるのであろう福島家の敵に、余計な何かを教えてやるつもりはない。
「土井、万事に付いてくるようにと伝えて」
「はい」
普段であれば命令する時には視線を合わせるようにしているのだが、とてもそんな気にはなれなかった。
忘れていたわけではないのだ。
何とかしなければならないとは思っていた。
ただ、心の中での優先順位が低く、どうしても後回しにしていたことは否定できない。
自分のせいか?
いや、責めるべきは命じた人物だ。
だが、なんとかできた人間がいたとすれば、勝千代はそのうちのひとりであり、そういう意味での責はあった。
確かに勝千代はたった四歳の童子だが、こうなるかもしれないと予想はしていたのだ。
「あにうえ? どうかなさいましたか?」
稚い幸松の言葉に、おそらくは相当顔色は悪いだろうが精いっぱいの笑みを返す。
「いいや。なんでもないよ。行こう」
たたんだ書簡を懐に差し、再び弟へ手を差し出す。
幸松はぱっとうれしそうに笑って、勝千代の手を握り返してきた。
お互いに小さな手だ。人形のような、可愛らしい手だ。
ふと思い出すのは、勝千代を守ろうと差し伸べられたたおやかな白い手。
吐き気と同時に涙がこみあげてきて、視界を揺らす。
改めて思う。
この世には神も仏もいない。
少なくとも、哀れな人間に手を差し伸べてくれるような存在は、どこにも存在しない。
岡部家の長女志乃殿が刺客に襲われ死亡。それをかばおうとした東雲も重傷。
脳裏で幾度もその一文が繰り返される。
逃れられない現実がそこにあった。




