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「若!」
ここのところ毎日そう呼ばれ、次第に慣れてきた。
振り返ると土の上に膝をついた真っ赤な集団。
……毎回ちょっと引くのは心の中だけだ。もちろん。うん。
「本日は馬場へ向かわれると伺いました」
「そうだね」
「お供してもよろしいでしょうか」
断られるとは思っていないだろうお前ら。
勝千代は内心ため息をつきながら「いいとも」と鷹揚に頷く。
逢坂家の面々が白装束で押し掛けてきたあの後、ちょっとややこしい事になった。
怒りに燃える老人と、一見冷静そうでいてストッパーというより起爆剤な息子は、「御免」とあいさつしたのちに自裁するのではなく、今川館へ突撃しようとしたのだ。
マテ。
全身全霊で引き留めたのは言うまでもない。
どうして福島家には猪突猛進型が多いのだろう。
この先ずっと苦労しそうな片鱗が見えた気がして、その夜はなかなか寝付けなかった。
逢坂家は返還した所領を再び受け取ろうとはせず、まるごと勝千代に献上した。
城こそないが、海に面した大きめの街ふたつ、村も幾つかある。結構な規模だ。
もちろん側付きができたばかりの四歳児に扱いきれるものではなく、引き続き逢坂家に差配をお願いした。
父の判断待ちになるが、これまで通り逢坂家に任されることになるんじゃないかな。
そして以後、勝千代にはストーカー軍団が出来上がった。
どこに行くにも現れて、ついてくるのだ。
そもそも虚弱な勝千代が外出することなどほとんどないのだが、その数少ないいくつかには屋敷の敷地を出た瞬間に声を掛けられ、ちょっと身の危険を感じる勢いで囲まれる。
もともと勝千代の護衛をしていた黒っぽい見た目の渋沢隊と、基本全身赤でコーディネイトしている逢坂隊とが、がっちりと左右から囲い込むのだ。
そうすると、小柄な四歳児などどこにいるのかも定かではなくなる。
せっかく屋敷の外に出たのだから、周囲の風景ぐらい眺めたいのに。
……いじめか?
連中が特に気にしているのが、もともと勝千代よりも護衛の数が多かった幸松だ。
あんなかわいい子を睨みつけるなどどうかしている。
だが、庶子である幸松よりあきらかに周辺に人が少ない勝千代を不憫に感じてくれたようで、逢坂老自らが頻繁に奥に顔を出すようになった。
これには事情があって、勝千代の周囲を固めていたのがもっぱら父の側付きたちだったので、出兵してしまって人が減っただけなのだが……
そんなボッチな子を見るような目で見ないで欲しい。
ぜ、全力で構うのもやめてほしい。
どうしてお年寄りってこんなに元気なんだ!
真冬に朝から乾布摩擦? 勘弁してくれ。
「良い天気ですな!」
早朝の強制乾布摩擦のあと別れてそれほど経っていない。
おそらく屋敷に戻る暇もなかったであろう逢坂隊の野郎どもを気の毒に思いながらも、表立ってはにこりと笑顔を返す。
「そうだね。日差しがずいぶん温かい」
表立っては何事もない一日の始まりだ。
今日は志郎衛門叔父と約束をしていた、馬場への見学の日だ。
勝千代は何の気なしに幸松を誘い、幸松も嬉しそうに「行きたい」と言ってくれたが、ちょっと問題だったかもしれない。
なんだよこの人数。
とてもじゃないが、幼い子供が「お馬を見に行きますぅ」と無邪気に遠足に出かける風情ではない。
勝千代側は、渋沢隊と逢坂隊、黒と赤のツートン集団だ。
対する幸松側は、体格のいい若手で固めている。
いつもは人数的には幸松のほうが多いが、今日は勝千代の護衛の方が圧倒的だった。
戦にでも行く気だろうか。
特に逢坂老、なんで槍持ってきてるんだよ。
「殿の馬は花房といいまして……」
老の張り切り過ぎた装束に見るからに引いている幸松。君は正常だ。
勝千代は表面上はにこにこと微笑みながら、隣に立つ弟の手を離さなかった。
気分はさながら、救命具に縋りつく泳げないダイバーだ。
お願い幸松。一緒にいて。こいつら熱量高すぎて怖いんだよ。
「貴重な馬種ゆえに頭数はおりませんが、在来の牝馬が何頭か子を産みまして、そのうちの数頭が花房の血を引いて体格がよく」
まだ馬場へ向かって出立してもいないのに、逢坂老のうんちくが長い。
「やけに数が多いな」
救世主は叔父だった。
遠出用の装束を着た志郎衛門叔父が、呆れた表情でこちらを見ていた。
近づいてこない気持ちはわかるが、まずはこの大量の護衛の数を何とかしてほしい。
「他家に何事かと思われるぞ。少し離れろ」
これに叔父の護衛まで混じれば、「いまから山賊の盗伐に出かけます」と言ってもおかしくない規模の軍勢になってしまう。
常識的な叔父は、渋る逢坂老らを問答無用に遠ざけ、結局護衛の数はそれぞれに四人づつという、それでも多いと感じはするが、周りの風景が見える程度の数まで減らしてくれた。
遠ざけられた護衛たちは、それぞれが適度な距離を開けて遠巻きにこちらを見守っている。
だがしかし、そこそこに距離をとっているとはいえ、彼らとの間に余分な人間はいない。
しばらくは街中を歩くのだが、通行人のほうから避けている感じだ。
それってどうなの。
近隣住人の迷惑になっているんじゃないの。
……こういうことになるから、いわゆる「お忍び」などという言葉があるのだろう。
ふと、そんな無風地帯のような空間に、ひとりの男が立っていることに気づいた。
丁度向かっている先、街を出る木戸のある方向だ。
逆光になっていてよく見えないが、背が高く大柄だ。武士らしく、腰に刀を差している。
たちまち警戒する護衛たち。
勝千代は、数回の瞬きの後、「あ」と声を上げた。
万事だ。




