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「……大変申し訳ございませんでした」
しばらくして、逢坂老がしわがれた声で言った。
「申し訳……っ」
ゴン! と畳に額をぶつける音がする。
その隣では、壮年の男が同じように頭を下げており、むせび泣く逢坂老の傍らでじっと歯を食いしばっている。
見ていられなかった。
ただの孫の不始末とは思っていないのだと、その感情がダイレクトに伝わってくる。
「逢坂」
「それがしっ!」
口を突いて出そうになった「もういい」の言葉を遮り、逢坂老は慟哭する。
「あれの言動には気づいておりました。叱りもしました。ですが、よもやこのような愚かな真似をするとは思うてもおりませんでした!」
逢坂老の孫、二木に馬で踏みつぶされそうになったあの若い男は、顔に傷をつけられてからますます意固地な性格になり、身内が危惧するほど父への不満を漏らすようになったのだそうだ。
危うさを感じた逢坂らが本格的に手を回す直前、彼は取り返しのつかない暴挙に出た。
逢坂の分家である志沢家の郎党を引き連れ、兵庫介叔父とともに福島屋敷に乗り込んできたのだ。
父が危篤と思っての行動だ。
これから先は、兵庫介叔父が福島家の当主になるのだろうと信じ込んでの愚行だ。
だがそのせいで、志沢家は取り潰しになった。
まだできて間もない分家とはいえ、かなりの数の配下もおり、彼自身にも妻子がいた。
それらすべての者たちが、一日にして罪人となったのだ。
血を吐くようなその言葉に、小さく息を吐く。
そうか、勝千代へ恨みや憎しみをぶつけに来たのではない。彼らはここに清算をしに来たのだ。
おそらく逢坂家の所領など、すべてはもう片を付け、残った一族の男子だけで最後のあいさつに来た。
逢坂老の隣にすわっているのは、志沢の父か兄だろう。
庭先で土下座を続けているのは、その血縁者だろう。
彼らは白装束を身にまとい、勝千代に謝罪を済ませた後、腹を切るつもりでいるのだ。
あえて父が去ったあとに行動を起こしたのは、慰留されるのを防ぐためか。
謝罪の意ももちろんあるだろうが、それよりも、志沢がしたことへのけじめをつけず、生きながらえることを恥としたのだ。
頭を下げ続ける二人を、勝千代はじっとつめた。
どうすれば彼らを思いとどまらせることができるだろう。
たったひとりの過ちで、何の罪もない大勢が死を選ぶなど理不尽だ。
これは、生ぬるい現代人の考えだろうか。
「聞いているかと思うが、勘定方でかなりの横領が行われていた」
しばらくして口を開く。
側にあった火鉢に手をかざし、指先を温めながら、これから喋ることが慰留よりも彼らの心に響きそうだとはいえ、果たして正しい事なのかと迷う。
「個人が懐に入れる額ではない」
だが、すでに心は死地にむかっているのだろう逢坂老を引き留めるには、これしかないと思った。
そう、彼らに必要なのは自責ではなく、憎しみの向く先だ。
「……今回父上が国境に向かう際、兵力の指定をされた。この真冬に。総力戦などないであろうとさんざん申し出たが聞いてもらえなかった」
これは事実だ。
「期間は半年だというが、働き手を半年も奪われて、領内の農民はどうなる? しかも半年後といえば文月だ。一番警戒するべき時期に、兵を引かせてもらえると思うか?」
下を向いてじっとしているが、しっかりと聞いているのは伝わってくる。
あとはこれを、いかにその胸に刻み込むかだ。
悪く思うなよ、ご老人。
騙しているわけではない。
あるいはという、極めて高い可能性の話だ。
「福島家は大きくなり過ぎた」
ひゅっと息をのんだのは、逢坂家の男たちではなかった。
傍らに控える新しい側付きのひとりだ。
「今回の一件も、仕組まれたものだと思う」
誰に、とあえて明言はしなかった。
兵庫介叔父の言動を見ればわかるが、あの男は小物だ。
真に福島家を狙った者は、もっと別にいる。
御屋形様ご自身の可能性も、御台様だという可能性も、その周辺のブレーンである可能性も大いにある。
これまで出てきていない、今川家の重臣の誰かかもしれない。
たとえば今川に食い込もうとしている他国の陰謀である可能性すらあった。
そもそも父の不在時が長すぎるのだ。
今回もそうだが、当主が年間を通してほとんど前線にいて、一門の手綱を完全に制御するのはとても難しい。
第一に麾下の者たちへの信用が必要だが、その信用に付け込まれてしまえば今回のような大きな痛手になってしまうのだ。
そう仕向けたのは、間違いなく敵の差し手だ。
これは、表には出て来ない盤面上の戦いだった。
父が思いのほか強い駒で、どんどんと戦功をあげていくから、名声や褒章として与えられる所領が積み重なっていき、差し手にとって邪魔なほどの勢力になってしまったのだと思う。
しかも、御屋形様の御子、しかも男子が三人もいるとくれば、そのうち御家が乗っ取られるのではと危機感を抱くのも理解できなくもない。
故に、あらゆる手を用いて福島家の勢力を削ぐことにしたのだろう。
「我らの真の敵は、国境の向こう側からくるのではなく、今川家内にいるのかもしれない」
勝千代はそう言って、小さな火鉢程度ではぬくもりが戻らない指先を軽くもんだ。
「……ひどい話だ」
巧みに人を誘導し、望むように動かそうとするのは勝千代とて同じ。
軽く自嘲しながら、おそらくは逢坂老へは決定打となるであろう一言を繰り出す。
「むざむざと、志沢らを罠にはめさせてしもうた」
実際のところは、若い志沢は自身の能力を試したくなったのだろう。
家門の力を借りず、己の権勢を伸ばしたいと考え、兵庫介叔父についていくと決めたのだろう。
もちろんそれは調略だ。罠だ。失敗を前提に仕掛けられた、福島家の力を削ぐための陰謀だ。
逢坂らははじめてそこに思い至った様子で、頭を下げた姿勢のまま硬直している。
「気づかずに済まなかった」
勝千代はあえてそれには触れず、真摯に謝罪した。
四歳児でなくとも、駿府に来たばかりの身でこんなことを予測し対処するのは難しいだろう。
しかしそういう問題ではない。
極論を言えば横領の件もそうだ。父が隅々まで目を光らせていたら、悪いことをしようとは思わなかったはずで……つまり、勘定方のほとんどが罪に問われるなどという、目も当てられない事にはならなかったはずなのだ。
これは福島家の嫡男として、麾下の者を守れなかった事に対する謝罪だった。




