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冬嵐記  作者: 槐
第六章

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146/308

25-2

 庭先で土下座し、額を土につけている老人と、その連れたちとを見下ろす。

 知っている相手だ。

 その白髪と、なめし皮のような日焼けした顔……この時代では現役でいるのが珍しい、高齢の武人だった。

 まだ身体はかくしゃくとしているが、顔色は死人のようだ。


 駿府の近くで朝比奈軍と向き合っていた際、福島家の軍勢を率いていた一角、渋沢と存在感を二分していた老人がいただろう?

 名はたしか逢坂。例の、真っ赤な武具を着こんでいた祖父の方だ。

 孫の志沢の方は、今回の件で処罰を受けた。

 彼は分家を立てていたので、本家の方までは咎が及ばなかったようだが、それでも、逢坂家にとっては痛手だろう。

 特に孫を失った祖父の身としては、かなりの衝撃だったのではないか。


 挨拶の口上もなくただひたすら頭を下げられて、勝千代は小さく息を吐いた。

 今はちょっと具合が悪いのだ。

 屋敷内が安全になって安心したせいか、父が出陣して寂しいと感じたせいか、しばらく寝込んでいた。

 しばらくと言っても二、三日だ。現代でも風邪を引いてそれぐらい寝込むのは普通にあったことなので、それほど大ごとには感じていなかったが、この時代、子供が高熱を出すというのは命にも直結する深刻な事態だ。

 特に当主である父が出陣してしまって不在なので、勝千代の周囲は超厳戒態勢だった。

 部屋は閉め切られ、大量の火鉢が並べられ、厠に行くには歩きにくいほど着こませられる。


 その道中で、逢坂らが土下座をしていた。

 一年で寒さが最も厳しい今の時期、高齢で長時間屋外にいるのは身体にこたえるだろう。

 行きは側付きという名の肉壁と体格が良い護衛たちが視界を塞ぎ見えなかったのだが、帰りの回廊を曲がったところでさすがに気づいた。

 距離があるが、まぎれもなく帰り道にあたる回廊の方を向いて、かなりの人数が土下座をしている。

 総勢で十人以上。しかも全員が白地の肩衣袴だ。

「……お気になさらず」

 立ち止まった勝千代にそう言ったのは、谷だ。

 今回渋沢家は出陣しなかった。

 父が不在時の駿府の守りかつ、主に勝千代の身辺警護を担当しているのは彼らだ。

 中でも谷は勝千代付きと言ってもよく、はじめの頃の不満そうな表情とは打って変わり、最近はよく話すようになった。

 渋沢に挽回の機会をやれと口利きしてやってから、ずいぶん気を許してくれているように思う。

 だがお前が言うなよ。

 お前と違って、逢坂老たちは何も悪くない。悪いことなど何もしていないのに、身内の不始末の咎を負っているのだ。


 勝千代は、小さく息を吐いてから、額を土にこすりつけている集団に近づいた。

 周囲はその行動に戸惑った顔をしたが、勝千代の行動を止めようとはしなかった。口出しできる者がいなかった、というのもある。

「久しいな」

 そう声を掛けても、白装束の連中は顔も上げない。

「そこは寒い、上がるがよい」

 ここで返事を待ってはいけないのだ。

 勝千代はさっさと自室に戻る。そうしないと、遠慮という名の形式美? 無意味な問答が繰り返されることになる。


 自室に戻ると、若干だが部屋は暖かかった。

 密閉性が低い日本の建築では、これでもかなりマシな方だ。

 障子も襖もきっちりと閉め、支障がない部分は雨戸も閉めている。

 さらには部屋にはたくさんの火鉢が置かれ、それでようやく室温が上がる感じだ。

 奥の部屋は臥所になっているが、手前なら客人を入れても大丈夫だろう。

 そう思い、上座に座ったのだが、谷だけではなく土井も、女中の糸ですらも、「感心しない」と言った表情だった。

 みんな、年上にはもっと敬意を持てよ。

 平均寿命が短いこの時代、逢坂ほどかくしゃくとした老人は貴重なんだぞ。


「何をしている、入れ」

 逢坂ともう一人は回廊に上がりはしたものの、部屋には入ろうとせず、敷居の向こう側で神妙な表情で座った。

 かつてなら違和感などなかったかもしれないが、この時代に慣れてきた昨今、武士たちが胡坐ではなく両膝をそろえて座っている姿を異様だと感じる。

 白装束を身にまとい無言で頭を下げ続けるその姿に、つい同情を覚えてしまった。

 身内が不始末を犯しているのは、言っちゃあなんだが勝千代とて同じだ。

 兵庫介叔父も桂殿も千代丸も、心情はともかくとして、親等が近い身内と呼べなくもない。

「寒いから入れ」

 わざと身をすくめて腕をこすって見せると、白装束が身動きする前に、弥太郎が小さな火鉢を寄せてきた。

 座りにくいほど着こまされた上から、更にぶ厚めの小袖を掛けられる。

 わざとだろう。勝千代が寒がっているアピール、体調が悪いアピールだ。


 やがて、庭先に十名ほどを残して、部屋は再び密閉された。

 ちなみにこの部屋には襖とすだれ以外に、障子という選択肢がある。やはり紙を使う建具なので高価なのだろうか、この時代に来て初めて見かけた。

 雨戸を含め、それらの選択は着脱式だ。必要な時にどこからか運んできて設置する。

 現代のように壁の中に収納するような機能性はなく、指示を受けて必要なものを運んでくるシステムだ。

 勝千代の体調不良により選ばれていたのは襖だが、四方をそれで囲ってしまうと昼間なのに真っ暗になってしまうので、今は一部だけ障子にかわっている。

 南側から採光できるとはいえ、深い軒と三方襖状態なので、どうしても薄暗い。

 昼間から行灯がともされ、妙に重い雰囲気なのはそのせいだ。


「……また気合の入った身なりだな」

 誰も何も話し出さないので、仕方なく勝千代が口を開く。

 それでもなお沈黙が続いたが、たまりかねてため息をつくと、老人の隣にいる男がビクリと肩を震わせた。

「話は父と済ませたのだろう?」

 確かに勝千代は嫡男だが、まだたったの四歳の童だ。

「わたしの方には、改めて何かを言う必要はない」

 逢坂の孫が直接勝千代を殺そうとしたわけでも、その指示を出したわけでもない。

 勝千代が嫡男にふさわしくないと感じたのは、あくまでも本人の意見であり、それを表に出し行動に移したのは軽率だったが、既に命であがなっている。


 ふと、彼らには恨まれているのだろうな、と思った。

 白装束は謝罪の意だと思っていたが、覚悟の行為の表れの可能性もある。

 だがしかし、今のこの場で勝千代に手を掛けるのは不可能だ。

 屋外の警備も厳重だが、室内にも警戒を露わにした護衛が谷を筆頭に五名、勝千代の側付きが三人、天井裏には影供までいる。

 おそらく彼らは、ここに来るまでに寸鉄も帯びてはいないことを厳重に調べられただろうが、武器を握っていないからと言って、その胸の内に殺意がないという事にはならない。

 逢坂老にとっては大切な孫を、死へ追いやったのは確かなのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ありがとうございます。 [一言] みかん食え。みかんでビタミンを摂るのだ。あと、現代の知識があるんだから天井や床や戸を二重にすると多少なりとも保温が効くかも。
[一言] 逢坂老にとっては大切な孫を、死へ追いやったのは確かなのだ。 孫が亡くなった理由をこの嫡子に求めるのかそのように育て、止めることが出来なかった自分に求めるのかで全く逆の考え方になりますね。 …
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