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結論を言う。
兵庫介叔父は、やはりちょっと頭が弱いのではないかと思う。
泣き叫ぶ千代丸や桂殿が遠ざけられ、こちらの騒ぎがいくらか落ち着いた頃、今度は表のほうから怒声のようなものが聞こえてきた。
若干遠いが、鬨の声のようにも聞こえる。
勝千代は思わず腰を浮かせたが、父は動じず、渋沢らも同様だった。
二人がゆっくりと湯呑みをすすっている間、庭先では田所ののんびりした声と、ボコボコという打撲音、更には男どもの情けない悲鳴が聞こえてくる。
それが結構大きな音なので、最初は表の騒ぎに気づかなかった。
「父上?」
問いかけると、肩をすくめられる。
「志郎衛門に任せておけ」
いや、ちょっと無視できない騒ぎなんですけど。
立ち上がろうとしたが、父の太い腕がそれを遮った。
「大事ない」
せっかく隣に座っていたのに、片腕でひょいと持ち上げられ、気づけば当然のように膝の上だ。
千代丸へは随分と冷淡な対応をしていたし、幸松へも勝千代ほどの気遣いはないように見えたが、見下ろしてくるその目は相変わらず優しく、その懐の中は暖かい。
早々に膝の上から降りることを諦めて、ため息をつく。
「説明してください」
「ようわからん」
平然とそんなことを言う精神構造こそわからない。
苦労しているに違いない志郎衛門叔父の事を考えながら、もう一度「父上」と呼びかけると、きっぱりと首を振られた。
「任せるのも当主の仕事のうちだ」
それはそうかもしれないが、状況の把握は必要じゃないのか?
父がそれを理解していることを願いながら、黙って分厚い筋肉に背中を預けた。
美しかった庭園は、危惧していたほどではないが、やはり踏み荒らされていて、ついでと言ってはなんだか、田所と二木とで「お片付け」の真っ最中だ。
庭園の整備ではない。
やはり勝手に持ち場を離れたらしい、桂殿に付き従っていた男たちへの尋問が行われているのだ。
こんなところでやらないでほしい。
幸松は寝落ちしたのですでに下がっているが、四歳児の居室の前だぞ。
だが、福島屋敷の牢はすでにいっぱいなのだそうだ。
二木からは勝千代のせいだと言わんばかりの目で見られたが、あんまりだ。
何も悪いことなどしていないじゃないか。
幸松と一緒に下がることを許されなかった早田の凝視も気になるし、よく落ち着いて白湯など飲んでいられるな。
ちなみに、庭園を埋め尽くしていた江坂家の者たちは、叔父の元へと戻っている。
あれだけの人数がいれば、志郎衛門叔父の身に何かが起きるとは思えないが、逆にそれが取り返しのつかない大ごとへの発端にもなりかねない。
耳を澄ませれば、あきらかに大勢が戦っているような気配が伝わってくる。
……本当に大事ないのか?
それ程たたないうちに、騒ぎは収束したようだ。
庭先の尋問はまだ続いているが、遠くの剣戟は聞こえなくなった。
やがて、誰かが奥へとやってくる気配がして、相変わらず眉間に深い皺を刻んだ志郎衛門叔父が無事な姿を現した。
叔父はちらりと庭先に目をやってから、こちらを向いて、胡坐をかいて座った。
「終わりました」
終わったって、何が。
そう尋ねたかったが、父が納得したように頷いたので、勝千代も口を閉ざしているしかなかった。
あとで段蔵に聞けば教えてくれるだろう。
「処分はどうされますか」
「恥じる気持ちがあるなら自裁するだろう」
「お赦しになるのですか?」
父はふんと鼻を鳴らした。
叔父は小さく頭を下げて、了承の返答をする。
……え、今ので分かったの? ちゃんと指示していないけど大丈夫なの?
こういうの、きっちりしておかなければ、後々思い違いなどが発生して大問題になるのではないか。
しかしそんな勝千代の心配など知らぬげに、父は再び白湯をすする。
「アレはどうした」
「騒ぎに紛れて逃げ帰りました」
「そういう奴だ」
アレって誰よ。
半ば不貞腐れながらそんな事を考えていると、話の流れから、どうやら兵庫介叔父らしいと察する。
兵庫介叔父は分が悪いとわかると、一目散に逃走したのだそうだ。
一応は父の弟だが、あの人自身に自前の兵士はいない。
分家をたててもいないし、どこかに養子に出たわけでもないから、基本的に兵庫介叔父が動かせる兵は福島家、つまり父の配下になる。
要するに、誰も兵庫介叔父を守る者がいなくなって、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
馬鹿だ。
おそらくはともに立ち上がってくれたのだろう分家の者たちを見捨てて逃げてしまえば、二度とその助けを得られないのは自明の理だ。
それならば堂々と申し開きをした方がよかったのに。
「お勝」
分厚い掌で頭を撫でられて顔を上げると、父が眦を垂れさせてこちらを見ていた。
「どうしたい?」
どうしたい、とは?
こてりと首をかしげると、父は言葉を続ける。
「そなたをいたぶり続けた者どもの処分だ」
ひゅっと、肝が縮んだ。
思い出してしまったのだ。殴られ、罵倒され、幾日も空腹で苦しんだ日々を。
父はきっと、勝千代の体に残った傷跡を見てから、色々と調べたのだと思う。
愛情深く直情型の人だから、勝千代に知らせずすべてを片付けるのではないかと思っていたが、一応こちらの意見も聞いてくれるらしい。
個人的には、その者たちには二度と会いたくない。
適切に処分してくれればいい。
だが同時に、四十路男の彼が入る以前、ただの乳飲み子だった幼い勝千代に非道な真似をしてくれた連中を、許すことはできないとも思うのだ。
憎しみや恨みが重い塊になって喉元まで迫り上がってきて、吐き気となって勝千代の体を震わせる。
再びそっと、分厚い掌が勝千代の頭を撫でた。
ほっと、ため息がこぼれる。
「お任せします」
ようやくひねり出した一言に、父は「そうか」と短く答えた。
「ですが、二度と会いたくありません」
目を閉じれば、異母兄に殴られろっ骨を折ったときのことを思い出す。
そして同時に、鮮血をまき散らし泣きわめいていたその形相も。
恨みがあるとはいえ、勝千代自身が厳しい処分を言い渡せるとは思えない。むしろ甘い判断をしてしまいそうな気がする。
であるならば、すべて丸投げだ。
そうとも、「任せる」のは悪い事ではない。
開き直ってそう思い、もう忘れようと心に誓った。
あの寒さも、痛みも、飢えも……許しはしないが、それに固執していてはいけない。
「わかった」
父はそう言って、もう一度勝千代の頭を撫でた。
そのぬくもりがうれしいと感じるのは、やはり勝千代はすでにもう、かつての四十路男ではないのだろう。




