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はっきり言って、二度とかかわりあいになりたくない相手だ。
しかし、そういうわけにいかないのも理解していた。
「……お久しぶりですね、桂殿」
ビンビンと伝わってくる敵意に構わず、とりあえず大人の対応、丁寧なあいさつからだ。
しかし整った造形の顔を、これ以上ないほどの醜さでゆがめながら、父の側室は嫡男勝千代に向ってこれ見よがしな嘲笑をした。
「誰じゃ、そなたなど知らぬわ」
桂殿がそう言った瞬間、シャリと鋼が滑る音がした。
うわ、二木。無表情で刀を抜くなよ!
反射的に、目の前にある袴の裾をつかむ。
頼むから、父の側室を切り捨てるのだけはやめてくれよ。
「それならそれでかまいませんが……ここはあなたが立ち入っても良い場所ではありません。御下がりください」
「偉そうな口を利くな卑民が!」
桂殿が柳眉を逆立てて反発してくる前に、声高にそう言ったのは異母兄千代丸だった。
「お前如きが何故そこに座っている! それは俺の席だぞ! また棒叩きの刑に処してやろうか!」
部屋中が、信じがたいものを見る目で千代丸を凝視する。
「……ふっ」
勝千代は、かなり頭のめぐりが悪そうな異母兄の言葉に含み笑った。
「どうやら千代丸殿は、わたしの事を覚えていらっしゃるようですが」
桂殿が自覚しているかどうかわからないが、ここには勝千代だけではなく、お葉殿、二木ら父の側付き、渋沢の配下たちまでいるのだ。
たとえ年端もいかぬ子供の台詞とはいえ、今の言葉をなかったことにはできない。
頭のめぐりが悪いながらも、嘲笑されたことは敏感に察したらしく、千代丸の頬が朱に染まった。
「そのすました顔を切り刻んでやる!」
ああ、抜いたな。
勝千代は冷静に、己に向けられた刀の切っ先を見返した。
こうやって平静でいられるのは、千代丸との距離がかなりあるからだが、子供のものとはいえむき出しの殺意は気持ちの良いものではない。
千代丸が腰の刀を抜くと同時に、母子に付き従っていた男たちも気配をとがらせて刀を構える。
そんな男たちには見覚えがあった。
時に勝千代を押さえつけ、時に容赦なく蹴飛ばしてくれた連中だ。
兵庫介叔父の側にいることも多かったから、あの人の家臣かもしれない。
そうではなく、父の直臣なのだとしたら、勝手に持ち場を離れたことになるのではないか?
そもそも桂殿がこの場所にいること自体おかしいのだ。
父の主城で側室として仕え、嫡男勝千代と庶子らを育てるというのが桂殿の勤めだった。
身軽に城を出ることが許される立場ではなかったはずだ。
しかも、移動の時間を考えると、彼女たちが駿府へと出立したのは父が地下牢に入れられた頃かその前だろう。
状況的に、許可を得て駿府に来たとは思えない。
いやもしかしたら、虐待や暗殺の件を審議しようと呼び寄せた可能性はあるが。
「死ね!」
何故彼女たちはここにいるのだろうと、首をひねっていた勝千代に向って、千代丸が抜き身の刀(子供用サイズ)を振り上げ駆け寄ろうとした。
当然、あっさりと刀を取り上げられ、それどころかステンと床に転ばされてしまった。
「無礼者っ!! ええい、この男を殺せ! あそこのちびガキも殺せ!」
NGワードを連発する子だな。
こちら側の男たちが、ちらりと勝千代の方を見た。
余裕で指示待ちか。相手方に脅威になりそうな者はいないという事だろう。
勝千代は小さく息を吐いた。
無難にお帰り頂く、というのは無理なのだろう。
複数人がすでに刀を抜き、今にも剣戟が繰り広げられそうな雰囲気だ。
一番の問題が、ぎゅっと袴を握っていないと今にも鉄砲玉のように飛んで行ってしまいそうな二木だ。
お前、野郎どもの中では序列上位だろう。勝千代以外で命令を下せる筆頭のはずだ。
それなのにどうして鉄砲玉なんだ。
首輪がいるのか? 轡の方がいいか?
二木に轡を食ませて鞭でひっぱたく状況を想像してしまい、怖気を振るっていたところ、「きいいいいっ」と人間が発するとは思えない奇声が上がった。
「殺す殺す殺すぅぅぅぅっ!!」
金切り声を発しながら床に転がり、じたばたと手足を暴れさせているのは千代丸だ。
豪華な金糸で縁取られた直垂が着乱れ、手足がむき出しになっている。
駄々っ子というにはあまりにも異様なその行動に、勝千代含め周囲の皆があっけに取られていたところ、「千代丸殿!」と我が子の名を叫びその身に縋りついたのは桂殿だ。
「おのれ許さぬ! ようも尊き若君にこのような無体を!」
え? と思ったのはその場の総意だろう。
もしかすると、桂殿側の男たちもそう思ったのではないか。
「きっとそのほうらの罪をつまびらかにし、その首を切り落としてくれる!」
「面白そうなことを話しておられますねぇ」
桂殿の絶叫にかぶせるようにして、ぞっとするような声が掛けられた。
ぞっとしたのは声そのものではなく、場違いに楽しそうな口調のせいだ。
いつの間にか庭先が、具足を身にまとった男たちで埋め尽くされていた。
「お邪魔でなければ、そのお話を詳しく聞かせていただきたいものです」
エノキ男こと田所と、その隣にいるのは顔を腫らした男前渋沢だ。
対照的な色味のふたりを眺めている間にも、その背後では武装した男たちが数えきれないほどに増え続けている。
……ちょっと数が多すぎるんじゃないか?
切り取られた入り口の情景を埋め尽くす兵士の数に、勝千代は肩の力を抜き、対照的に桂殿側の男たちは真っ青になった。




