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悪寒がする。
果たしてそれは、予感めいた何かなのか、風邪をひく前兆なのか。
これまでの経験上、圧倒的に後者の可能性が高かったが、落ち着かない弥太郎の様子を見ていると、あながち前者を否定することもできなかった。
囲炉裏のある板間で、湯を沸かして室温を上げる。
冷え切った勝千代の体温を戻すのに、部屋の火鉢では追いつかなかったのだ。
炉端に座らされ、濡れた服を着替えさせられる。
新たに乾いた木綿の服を何枚も着せられ、重いと言いたくなるのを我慢して……やがて喉が痛いと気づいた時には、案の定発熱していた。
「少し横になってください」
苦みのある薬湯をちびちび飲みながら、弥太郎を見上げる。
普段通りを装っているが、その笑顔がどこか固い。
そのままじっと目を逸らせずにいると、困ったように視線を泳がせ、やがて顔ごと他所を向いた。
……忍びにしては正直者だな。
今、囲炉裏の側には、勝千代と弥太郎しかいない。
外の吹雪の音は強まるばかりで、出かけた段蔵の安否が気がかりだった。
ぱちぱちと炭が燃え、自在鉤にぶら下がった大きめの鉄瓶からはシュンシュンと白い湯気が上がっている。
その音を聞いているうちに、うとうとと眠くなってきた。
どれぐらい眠っていたのだろう。
ガタリ、と音がして、はっと目を覚ました。
いつの間にか囲炉裏の側に寝床が用意され、大量に小袖を着込んだ上からさらに何枚もの布団を掛けられていた。
発熱しているからか、炉端にいるからか、指先まで血が通っているかのように温まっている。
ひときわ大きく、びゅうと風の音がして、急激に外気が吹き込んできた。
飛び起きた……つもりでいた。
発熱していたのと、大量の着物に埋没しかけたのとで、とっさにできたのは首をもたげることだけだ。
「戻りました」
段蔵だった。
黒装束ではないが、暗い色合いの羽織袴姿で、足元には黒い脚絆をつけている。
肩に積もる雪の量から、天候の悪さがうかがい知れた。
無事な姿にほっとしつつも、彼の左手にある黒鞘の太刀に目が行く。
やはりなにかあったのだと、空気で察した。
「……客か?」
「先ぶれもなく押しかけてくるのは、客人とは申しません」
段蔵は、勝千代の目が太刀に向いていることに気づいて、すっと見えない位置に下げた。
「それよりも、お加減はいかがでしょうか」
「だいぶ良い」
実際、全身がぽかぽかと暖かく、気分も悪くない。
段蔵は丁寧に一礼してから框に腰を下ろし、素早く草履を脱いだ。
その左手には手甲をつけているのに、右手にはない。
破けたのか、汚れたのか。
「状況は」
すり足で近づいてきた男が炉端に座るのを待って、問いかけた。
勝千代が聞いても、どうにもできないのはわかっている。
それでも、知っておくべきだと思ったのだ。
「しばらく前から、村の周辺が見張られておりました。それと同じ者どもです」
段蔵は、弥太郎が差し出した湯のみを受け取ってから、小さく首を振った。
「山ほどの荷が運び込まれたのに、周辺には兵がおりませぬ。たやすく奪えると思ったようです」
「……盗賊か?」
「この周辺ではまあまあ大きな野盗集団ですが、有象無象の寄せ集めで、たいしたことはありません」
こちらに被害は出なかったそうだ。
ほっとすると同時に、不快な気持も沸き起こる。
はた迷惑な贈り物は、蜜に群がる蟻のように、余計なものを招き寄せてくれたらしい。
「……それが狙いだったと思うか?」
「はっきりとは申し上げられません。ですが一応、殿にお知らせしておくべきかと」
勝千代と同じことを、段蔵も考えたのだろう。
もしこれが、善意にみせかけた企みで、最初からこうなることを期待されていたのであれば……
「盗賊に見せかけ、本隊が襲ってくる可能性もあります。守りは固めておりますが、念のため移動したほうがよろしいかと」
「今すぐは無理です!」
「……いや」
弥太郎が反対の声を上げたが、勝千代はかぶりを振った。
熱で赤く染まった顔を見てそういうのだから、何らかの根拠があるのだろう。
もし本当に第二陣が来るのであれば、のんきに寝ている場合ではない。
「わかった。用意を」
「外は吹雪いておりますし、お身体の方も」
「相手は引かぬだろう」
むしろこの天候を好機ととらえているはずだ。
命じたのは御台さまだろうか、ご側室だろうか。桂殿や叔父の可能性もある。
あまりにも多い心当たりに、ため息しか出ない。
どこの誰にせよ、幼い子供を狙うだなんて、ろくなものじゃない。
かなりギリギリだったが、与平らを逃しておいて本当によかった。
しっかりと着こまされ、その上から蓑を幾つもつけられて。はた目には子供ではなく、藁の束にしか見えなくなる。
その状態で弥太郎の身体の前に紐でくくり付けられた。
子供扱いというよりも、赤ん坊扱いだ。
……ものすごくコメントしづらい有様だったが、言われるままに従った。
素人がプロのやることに口出ししても、いいことなど何もない。
その状態で、胸元に温石をねじ込まれた。かなりずっしりと重量がある。さらにその上から蓑をかぶせられ、とうとう視界が藁だけになる。
「一刻ほど走ります。意識を保ち耐えてください」
段蔵の声がそう言った。
脳裏をよぎるのは、雪山で定番の、「眠ったら死ぬ」状況だ。
ヨネの墓に参った時にも思ったが、防寒具のないこの時代、特に体積の小さな子供は簡単に凍え死ぬ。
ただでさえ虚弱な勝千代に、乗り切ることができるだろうか。
囲炉裏の火が落とされ、すでにもう寒いと感じ始めている。
弥太郎の手に背中を支えられるのを感じ、「……わかった」と小声で返事した。