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「ここか!」
聞くだけで顔をしかめたくなる少年の声が、すだれの向こうから聞こえた。
併せて、大勢の人影が回廊にたむろしているのが透けて見える。
「おとまり下さい! その部屋に入るのは……」
「はしたないのう」
お葉殿の制止に、露骨に見下した口調でそう言うのは桂殿だ。
「このような場所で騒ぐなど」
ふっと鼻で笑うような気配がして、パシリ、と扇子が閉じる音。
「あっ!」
女性の人影が、手にしていたものを振りかぶる。
彼女より頭一つほども長身の影が、身を守るように背中を丸くした。
「お方様!」
「ははうえ!!」
よろけたお葉殿をかばうのは早田か? それから、幸松とおもわれる小さな子供の影だ。
勝千代が制止の声を上げようとしたその時、急に立ち上がったのは二木だ。
「いい加減になされよ」
ピンと張った強めの声が、いら立ちを交えて放たれる。
「この棟に許可なく入るなど、礼儀も品性も常識もない輩はどなた様でしょう」
内心で、うわっと引いたのは勝千代だけではないだろう。
そうだった、二木の口舌は、味方でも始末に負えないほど鋭いのだ。
「こちらは福島家御嫡男の居室です。許しもなく押し掛けるとは一体どういうおつもりか」
先に喋らなくてよかったと、胸をなでおろすほどの冷ややかな口調だ。
「無礼な!」
即座に反応したのは少年だ。
がしゃり、とすだれが斜めになり、冷えた真冬の空気が吹き込んできた。
日が高いので、南向きの日向は暖かい。それでも、すだれで遮っていた風が直接あたるとさすがに冷えた。
見覚えのある、少し太り気味のフォルム。
忘れるわけがない、異母兄千代丸だ。
勝千代はゆっくりと深呼吸した。
精神安定を求めて扇子を握り、脇息に身を預ける。
千代丸の顔は、逆光になって見えない。
だが、その後ろで抱きしめあっている幸松母子の様子ははっきりと伺えた。
こわばった幸松の頬に、赤いものが見える。怪我をしたのだろうか。
「……お前!」
千代丸は、部屋の主として最上座に座っている勝千代を目にして、勢いよく部屋に踏み込もうとした。
だがしかし、敷居を踏み越える前に、室内に控えていた男たちが身を挺してそれを防いだ。
「退けっ!」
甲高い声でそう怒鳴るが、相手は父の側に長年仕えてきた者たちだ。子供の怒声に怯むわけがない。
千代丸はその状態でも強引に部屋に押し入ろうとしたが、屈強な武士の肉体に真正面からぶつかり弾き飛ばされた。
弾き飛ばされたと言っても、こちらが何かをしたわけではなく、ただ尻もちをついただけなのだが。
「千代丸!」
耳がつぶれるほどの悲鳴を上げたのは桂殿だ。
「何をする無礼者! 千代丸殿に対してこの非礼、許せぬ!」
許せぬ! のところでエコーでもかかったかのようにビンビンと鼓膜を揺らした。
すごい音量の怒声だ。
連れていた護衛たちが一斉に前に出てきて、敷居のところで立ち塞いでいる男たちに対峙しようとしたが、無言のままじろりと睨まれて明らかに怯んだ。
「ええい、何をしておる! この者たちを成敗致せ!」
誰も動かなかった。
正確には、動けなかったと言っても良い。
こちら側は、父の側室と庶子へ手を上げることをためらい、相手側は実戦仕込みの男たちと対峙していることに怯んだ。
「さっさと切り捨てよ!」
偉そうな口調でそう命じられ、反射的に刀を抜いてしまったのは相手側だ。
なお一層緊張感は高まったが、刀を抜いたほうも、柄に手を当て身構えたほうも、それ以上動くことが出来ず固まってしまった。
それはそうだ。
ここは福島家の北棟。本来は当主とその嫡男のみが立ち入ることを許された、踏み荒らすことなど許されない場所なのだ。
「幸松」
勝千代がはっきり通る声で弟の名前を読んだ。
膠着状態の大人の誰かが、ひゅっと息を吸い込む音がした。
弟がこれ以上怯えないように、穏やかな表情で微笑みかける。
「こちらへおいで」
落ちたすだれの向こう側で縮こまっていた子供が、飛び上がるようにしてこちらを向いた。
手招くと、明らかにこちらに来たそうにしている幸松と、それをぎゅっと抱きしめ引き留めるお葉殿。
「お葉殿も」
「……ははうえ」
母子の行動を妨げているのは、通り道を桂殿たちが塞いでいるからだ。
部屋に入るには、彼女たちの前を通らなければならない。
「失礼いたします!」
さてどうしようと思案していると、やけに気合の入ったキリっとした声がした。
早田だ。
さすがは「空気読めない男」早田。抜き身の刀をものともせず、母子の背中をぐいぐい押した。
「あっ、お前!」
引き留めようとしたのは、異母兄千代丸だけだ。
だが彼はしりもちを着いていたので、身軽に動くことができなかった。
距離的にはたいしたことはないが、早田は幼い主君とその母親を突き飛ばすようにして、すだれの上をショートカットした。
部屋の入り口では物騒な刀がいくつも抜き放たれているからだ、というのは理解できる。できるが……普通は最短距離を突っ切ろうとはしない。
お葉殿はさすがに落ちたすだれを踏んだことに驚愕の表情をしたが、それも冷めやらぬ間に、無事こちら側のゾーンに引き込むことができた。
「あにうえ!」
泣きそうな顔の幸松がこちらに突っ込んできた。
ウリ坊な子供の突撃は、構えていても受け止めるのが精いっぱいだ。
あぶない、危うくまた後ろ向きにひっくり返るところだった。
「怪我をしたな? 見せて」
腹の部分にしがみついてきた童の顔を上げさせて、平手打ちされたのだろう、赤く腫れ爪で引っかかれたような跡を確認する。
血が出ているが、幸いにも傷跡が残るようなものではなさそうだった。
「お葉殿も、お怪我は?」
「は……はい、たいしたことは御座いませぬ」
口では気丈にそう言うが、その美しい顔にも、扇子で打たれた跡がくっきりと残っている。
勝千代は頷いて、激怒の表情をしている異母兄とその母親に目を向けた。




