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冬嵐記  作者: 槐
第五章

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135/308

23-6

 走っていた自覚はない。

 だが、父がいるという部屋に到着するころには、大きく息が上がっていた。

 四歳児だという年齢事情よりも、勝千代自身の体力的な問題だと思う。

 もちろん周囲の大人たちは誰一人として呼吸を乱してはいない。それどころか、速足にすらなっていなかったかもしれない。

 すだれで内側が見えない部屋の前に立ち、ぜいぜいと肩を揺らしている自身の不甲斐なさに歯噛みして……今考えるのはそんな事ではないと余計な考えを振り払った。

 いったん回廊に腰を下ろし、大きく深呼吸してようやく、普通の声を出すことができた。

「勝千代に御座います」

 すぐに部屋うちで動きがあった。

 ぱさり、とすだれがよけられて、部屋の中が見渡せる。

 本来であれば頭を下げて返答を待つのが礼儀なのだろうが、そんな事よりも、父の無事をこの目で確かめたかった。

「……おお、お勝」

 父は何故か顔を明後日の方向に逸らせて、腕組みをして座っていた。

 パッと見たところ、普段と何も変わった様子はない。

 だがしかし、その傍らに座る総白髪の年配の男性は、服装からいっても、おそらくは医師だ。

「お加減はいかがでしょうか」

 刺された割には顔色も悪くないし、元気そうだ。

 いくら叔父が無事だと言っても、先の時代程の外科技術も抗生剤等もないとわかっているので、今なお本当に大丈夫なのかと不安だった。

「横にならなくてもよろしいのですか?」

「いや! いうてそのような大怪我では……」

「では何故寝間が敷かれているのでしょうか」

 父はうっと口ごもり、なおいっそう視線を泳がせる。

 この程度で言い負かされ、本当に福島家の当主としてやっていけているのか、不安になってきた。


 四歳児が巨漢の父を寝かせつけるという、一種異様な事態はすぐに解決した。

 何故なら父はあらかじめ飲まされていた薬のせいで、身体はすでに眠気に見舞われていたからだ。

 父の傷を縫った医師曰く、いくら頑強な身体の持ち主であろうとも、せめて熱が下がりきるまでは安静にしていた方がいいそうだ。

 小さな手で額に触れてみると、やはり若干発熱していた。

 グウグウと、いびきというより巨大なトラが喉を鳴らしているような寝息を立てている父を見下ろし、改めてほっと安堵の息を吐く。

 父の負傷は、やはり通常の人間だと重症の部類に入るものだそうだ。

 結構深く刺されていて、分厚い筋肉がなければもっと出血していただろうとの事。

 刃は骨にも至らず、筋肉で受け止められたらしい。さすがは熊だ。


「それで、父を刺した者は?」

 勝千代が部屋の隅のほうで控えている男たちを振り返ると、何故か治りかけていた顔の青タンを新しくした二木が、渋い表情で首を振った。

「捕えましたが、殿の反撃で首の骨を折ったようで……」

 長くは生き延びることができなかったらしい。

「狙いがあの元住職だったというのは確かか?」

「殿を狙うのが恐ろしくなって、代わりにあちらの口を封じようとした可能性はあります」

 刺客が? 途中でおじけづいてターゲットを変えるなどあり得るのか?

「わざわざ殿の御前で事に及ぶというのがどうにも納得いきかねるのです」

 二木に続いて、淡々とそう答えるのは渋沢。

 あろうことか、彼の国宝級の美貌(勝千代比)に傷がついていた。二木と殴り合いでもしたのか、頬が腫れ、唇の端が切れている。

 二人の微妙に開いた座り位置といい、漂う雰囲気と言い、軽くジャブを打ち合う程度に揉めたのだろう。

 野郎どもが殴り合いの喧嘩をしようがどうでもいいが、女中のおねぇさん方は悲鳴を上げて嘆きそうだな。


「谷に御命じになった屋敷の封鎖ですが、挙動が怪しげな者を幾人か捕縛したようです。封鎖はまだお続けになりますか?」

「叔父上に相談してみよう。勘定方の審議が済むまでは続けたいところだが、そうすれば通いの者が帰れず困るだろうし」

 勝千代は少し考え、頬を腫らしてもやはり男前の渋沢に目を向けた。

「物々しい封鎖をすれば、周囲に余計な誤解を与えることになるだろうか?」

 例えば、父が危篤だとか。

 最初はそれはまずかろうとの質問だったが、不意に、良いのではないか? と真逆の事を考え始めた。

 福島屋敷の出入りが封じられ、父が負傷したらしいとの情報を得た何者かが、その誤報をもとに動いてくれるかもしれない。

 勝千代は若干宙をみて算段を続け、「うん」と小さく頷いた。

「封鎖はしばらく続けることにしよう。二木、屋敷内の物資はどれぐらい持つ?」

「籠城でもする気ですか?」

「数日だよ。そうだな、三日から五日ぐらい」

「それでしたら、屋敷内にあるものだけで賄えると思いますが」

 訝し気な大人の表情を意にも返さず、勝千代は再びうんうんと頷く。

「おそらく、屋敷内に無理にでも入ろうとする者がいるだろうが、その者には、入るのは構わないが、出ることはできなくなると必ず周知させるように」

 連中が一番知りたいのは、父の安否だ。

 もちろん大きな怪我ではないと知らせてやる必要はない。

 勝手に期待して、勝手に動いてくれれば、いろいろとわかることもあるはずだ。

「……また悪い顔を」

 何やら二木が言っているが、余計なお世話だ。

 こちとら可愛い四歳児だぞ。

 ……最近、自分でもかなり怪しい気がしているけど。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 親父が取りあえず本当に無事そうで良かった。 [一言] 前回の感想に丁寧な返信、解説を頂きましてありがとうございます。m(_ _)m 虐待については痛々しさに目がいって深く考えてませんでした…
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