23-4
いや、空気を読んだ方がいいのは勝千代の方かもしれない。
あまりにも手際のよい拘束劇と、それを見ても顔色一つ変えない童子。
部屋中から向けられた凝視が煩わしい。
床の上に押さえつけられている早田から目を逸らし、弥太郎に渡された紙束を眺める。
ここから先は、徹底した監視体制が必要だ。
早田のような不用意な行動も、勝手な会話も制限の対象だ。
時間をかけてじっくりと調べても、相手に対抗する機会を与えるだけだと学んだ。
それができるのは、敵に気づかれていない場合だけで、お互いの立ち位置への目測がついたら、次はどれだけ早く先を読んで動けるかが勝負になる。
父を刺した者は捕縛されただろうか。
その背景を調べてから、命じた者を捕まえようとしても遅いという事だ。
「若君! 勝千代さま!!」
戸田の懇願するような声はますます大きくなり、相乗して勘定方の者たちの不安や戸惑いの表情も強くなる。
完全にその呼びかけをスルーする童子に、向けられる目が次第に恐慌の色を濃くしていく。
そうだ、もっと畏れろ。このままだと罪に問われるかもしれないと、せいぜい焦るがいい。
尋問は個別で執り行う。
同僚が何と答えるのか、罪を自分だけに擦り付けるのではないか。
互いに疑心暗鬼になって、不安がるがいい。
やがてやってきた、叔父の配下の者だという男たちが、まずは卓上にある途中の書き物から集めていく。
「勘定方の者は、数か所にわけて部屋に留め置く。余計な会話は許可しない。厠などの用がある際には見張りの者に申し出る事。部屋を出るのはひとりずつだ」
非常に慣れた様子でそう指示するのは、叔父の側付きだというひょろりと長身の男だ。
「目に余る行為、怪しいと判断できる行為をしたものは、即座に牢へ移す。それが嫌なら、順に執り行う調べを粛々と待て」
二十人以上いる勘定方の者たちを捌くのも、彼らが手伝ってくれた。
他家の家人なので、余計なしがらみも同情もない。
それに、叔父の職務柄だろう、こういった仕事に非常に慣れているようだ。
捕縛された男たちは、数人のグループに分かれてどこかへ連れていかれ、部屋にあった書き物類もあっというまに持ち出され、勝千代がここにきて一時間もしないうちにすべてがきれいさっぱり片付いた。
棚という棚をひっくり返し、書き物机も部屋の片方に寄せられ、挙句には勝千代が座っていた一段高い畳の裏まで調べる徹底ぶりだ。
恐るべし、叔父のところの人たち。
やがて残されたのは、別の位置に置かれた畳の上に鎮座する勝千代と、だらだらと脂汗を流す戸田。こわばった表情の早田に例の小姓。
渋沢家の護衛たちも、土井も、段蔵や弥太郎も、無言のまま勝千代に視線を向けて次の指示を待っている。
戸田が余裕をなくし、脂汗を額に浮かべているのは、隠していた書付けが見つかってしまったからだ。
それは、血判状だった。
こんなもの初めて見た。
誓紙らしき、中央に御朱印が刻まれた紙に、しっかりと諱まで記した氏名、更に赤黒い拇印。
どこかおどろおどろしく、呪物といわれても納得してしまいそうな代物だ。
「……面白いね」
ホラー映画に出てきそうだなと、役にも立たない感想を覚えながら、血判状に記された氏名を目で追っていく。
調べの中には上がっていなかった者もちらほらいるが、そのほとんどが武家の名前のようだった。
「実に興味深い」
勝千代はその血判状を片手に、戸田に目を向けた。
ものすごい顔色だった。土気色といってもいい。額からの脂汗も尋常ではなく、絞れば桶に溜めることが出来そうなほどだ。
「この先は父上のご判断だね」
血判状には名前が連ねてあるだけで、何を誓い合ったのかまでは書き記されていない。
だが、こういうものを作ること自体尋常な事ではなく、追及されてしかるべきだ。
勝千代は、「父」と言った時の戸田の表情の変化を見逃さなかった。
若干顔色が明るくなりはしなかったか? そうでなくとも、物も言えないほど震えていた唇が急に喋ることを思い出したように動く。
「そ、そうですとも! 殿の御裁可がなければ、このような不条理はまかりとおりません」
「そうだね。父が決める事だ」
「幼い勝千代さまの気儘にお怒りでしょうとも! と、殿はどちらに……」
「嬉しそうだね」
「……は?」
「ずいぶんと嬉しそうだ」
勝千代は血判状を膝先に放り投げた。
ひらひらと舞うように板間に落ち、戸田の近くまで滑る。
「誓文の内容が書かれていない」
「い、いやそれはたいしたものではなく……」
「父上の暗殺の密約だと言われても、文句は言えないよね?」
さあっと戸田の顔面から血の気が引いた。
「お待ちください!」
ここで一気に戸田を追い込みたかったのに、異を唱えてくれたのが早田だ。
すでに彼の拘束は解かれているが、その左右には渋沢家の護衛が控え、よからぬ動きをすればすぐにも再び動きを制せる状態にある。
「これは殿の御裁可を得たことでしょうか? やりすぎではございませんか?」
直接刀を付きつけられていないだけましな状況だというのに、やけに自信たっぷりに息を吸い込み声を張る。
「殿の暗殺だなどと、誰かの耳に入ってしまえば冗談では済まされませんぞ!」
「……なぁ、土井」
「は」
「この男も戸田の仲間だと思うか?」
かなりイラっときたので、わざと煽るように言ってみる。
「いい加減になさいませ! お遊びが過ぎます!!」
簡単に煽られてくれた早田が、片膝を立てていきり立つが、控えていた護衛たちによってすぐに両肩を押さえつけられてしまった。
「これは遊びではない」
この男は早々に遠ざけてしまおう。
いちいち相手をするのが面倒になってきたので、そう命じようと手を振りかけて、真っ青な顔をして震えている小姓の存在を思い出した。
そういえば、書類を持ち出そうとしていた少年とかかわりがあるようだった。
もしかしたら、彼なりに調べを進めようと、この少年を侵入させていたのかもしれない。
だとしても、今の状況はかなり迂闊だと言わざるを得ないが。
「福島家の嫡男として、やるべきことをやっているだけだ」
「……はっ」
勝千代の言葉が終わらないうちに、急に戸田が笑い始めた。
「では成功したのか!」
は、は、は……と哄笑しながら立ち上がろうとして、やはり容赦なくその場に押さえつけられる。
「何を……」
訳が分かっていない早田の当惑顔と、戸田の歪んだ笑みをしばらくじっと見つめる。
今の言動で、父へ刺客を差し向けたのはやはり戸田なのだと確信を得た。主犯ではない可能性はもちろんあるが、少なくとも襲撃の事を知ってはいたのだ。




