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冬嵐記  作者: 槐
第五章

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131/308

23-2

 誰も勝千代が来たことに気づかない。

 それほどまでに戸田の怒声はひどいもので、子供の声もキーンと耳に痛い。

 勝千代はひそかに深呼吸して気持ちを整えた。

 今から対するのは、これまでずっと福島屋敷を差配してきた男だ。かなりのやり手だろうし、油断しているときっと責任逃れをされて終わりだ。

 そしておそらく、今回父に刺客を送り込んできた張本人。

 あわよくば死んでくれればいいと考えてはいるだろうが、それよりも、状況の混乱を望んでいるのだと思う。

 

 勝千代はまっすぐに段蔵の元へと近づいた。

 手足をばたつかせ叫んでいる子供は、がっちりと関節を極められ、おそらくは相当に痛いのではないか。

 その手元に落ちているのは、分厚い冊子になった紙束。

 拾い上げたのは土井だ。

 子供はそれを取り返そうとしたが、さらに強く押さえつけられ「あああっ」と甲高い悲鳴を上げた。

 勝千代は、情けをあおるような子供のようすに目を向けた。

 これまでであれば、子供が泣いていたら顔をしかめていただろう。悲痛な声にかわいそうだと思ったはずだ。

 土井が差し出した冊子を受け取り、ぱらぱらとめくって、そこにあるのが、領内の村々から寄せられた年貢を書き連ねたものだと把握した。

 勝千代は、少年の傍らにしゃがんで、ものすごい声量で痛みを訴えているその子に顔を寄せた。

「咎め立てされたくなければ、これをどうしようとしたのか言う事だ」

 涙でぐちゃぐちゃになっている顔がこちらを向いて、そう言葉を掛けたのが幼い童子だと見てとったのだろう、一瞬その目の奥が驚きに染まる。

 勝千代は少年の大げさすぎる悲鳴を、やはり大人の憐憫を煽るためのものなのだろうと判断した。

「このままだと、連座で罪に問われるぞ」

 押さえつけている男が特に力を緩めたようには見えなかったが、少年はぴたりと泣くのを止めた。

 まだひっくひっくと嗚咽をしながら、冊子に目を通している勝千代を食い入るように見上げる。

「……誰」

 勝千代は、少年の小さな問いかけを拾い上げ、再びその涙で汚れた顔を見下ろした。

 身なりからいって、小姓なのだろう。比較的裕福だとわかる武士階級の子供だ。

「お前を死罪に問える者だ」

 少年の顔がさっとこわばった。

「これをどうしようとした?」

 少年は視線をきょろきょろと周囲に揺らし、誰も助けてくれないどころか、冷ややかな目で見られていることに気づいたのだろう、寸前まではあれほど甲高い声で叫んでいたのに、急に黙り込んでしまう。


「勝千代さま!」

 段蔵に腕をひねり上げられ、書き物机の上に上半身を押し付けられていた戸田が、勝千代らの存在に気づいた。

 その目が間違いなく冊子の方に向く。

「これは一体どういうことですか!」

 普通の子供であれば、委縮してしまいそうな頭ごなしの口調だ。

 冊子の事には特に言及せず、赤黒い顔をして勝千代を、段蔵たちを睨んでいる。

「いくら御嫡男といえど、このような無法は許せませぬぞ!」

「……ほう」

 幸松であれば怯んだかもしれないが、勝千代はちらりと薄い笑みを唇に浮かべた。

「わたしはずいぶんと寛容に振舞っていると思うが」

「……はっ?」

 勝千代は立ち上がり、はくはくと口を開閉している狐顔に近づいた。

「勘定方の者たちには横領の嫌疑がかかっている。ずいぶんと好き勝手してくれたようだな?」

「な、なにを証拠にそのような」

「証拠か」

 勝千代は、卓上の筆を手に取り、段蔵が乱暴したせいで際で落ちそうな硯に筆先をつけた。

「気づかれぬと思うているのが不思議だ」

 まあ実際、父のところまで話が通ったのは最近のことだ。

 だが、勘定方のほとんどがこの事実に気づいていたこともまた事実。

 露見するのは時間の問題だった。

 それは本人もわかっていたはずだ。


 勝千代は小筆を片手に戸田を見て、その憤慨した様子を冷静に見定めた。

 こういうときが来るとわかっていたなら、備えていたはずだ。

 それとも、たかが子供ひとり、なんとでも言い含められると思っているのだろうか。

 筆先を慣らした感じから、いかにも粗悪な墨だと筆を置く。もしかしたら屋敷内の備品にも手をつけていて、ランクを落としたものを納品させているのかもしれない。

「まあそういう事だから、勘定方の者はすべて捕縛する。心当たりがある者は早めに申し出るがよい。心当たりがないのであれば、何も恐れることはない、静かに詮議を待て」

「お、お待ちください!」

 勝千代は抗議する戸田から顔をそむけた。唾を飛ばすなよ。

「誓ってそのようなことは御座いません! これは何かの陰謀! 言い掛かりに御座います!」

「陰謀であれ言いがかりであれ、横領は事実で、そのほうはここの責任者だ。身に覚えがなくとも責任者は責任を取る者だろう」

「な、なにを」

「戸田、そのほうの家宰としての任を解く。たった今より、そなたを含め、勘定方すべての者は書き物類だけではなく、周囲の物品には何ひとつとして手を触れることは許さぬ。ここにあるものはすべて接収する。詮議がすむまで監視がつく故に、心して振舞え」

「栄吉郎!」

 勝千代がそう言い放つとほぼ同時に、詰め所の入り口の所から大きな声がした。

 この場所が水を打ったように静まり返っていたから、その声はやけに大きく聞こえた。

 部屋に駆け込んできたのは、幸松の側付きで、勝千代を睨んでいた男だ。

 戸田の配下であり、夕べ勝千代を襲った井坂をひそかに見張っていた者でもある。

「これは……」

 早田は部屋中にいる物々しい男たちに怯んだ様子だったが、床に押し付けられている少年に改めて駆け寄ろうとした。

 渋沢の配下のひとりがそれを制止する。

 早田はカッとした表情で何か言い返そうとして、勝千代の存在に気づいた。

 目が合った。

 その奥に瞬いた感情は、まぎれもない強い敵愾心だった。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[一言] 超絶スーパー楽しく読んでおります。 やはりシビアな歴史物は読んでいてワクワクしますね! 思わず一気読みしてしまいました! 更新お待ちしております‼️
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