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冬嵐記  作者: 槐
第五章

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23-1

 この時代が、一歩道を誤るだけで死に至るのだと知っていたはずだ。

 いや、知ってはいたが、受け入れてはいなかったのかもしれない。

 一瞬にして思考を飛ばしてしまった勝千代に対し、周囲の大人たちは即座に行動を起こした。

「勝千代殿はここから動かないでください」

 そう言いおいて、大急ぎで父の元へと向かう。

 遠ざかる叔父や二木たちの背中を見送って、震えて身動きできない自身の不甲斐なさに歯噛みした。

 父が刺された。

 誰よりも強く、無敵とすら感じていた父が。

 今川館であれほどまでに父の喪失を覚悟していたにもかかわらず、喉元を過ぎれば、その不動を疑ってもいなかったのだ。

 そうだ。父はロボットでも不死身でもない。

 不意を突かれると傷を負いもするし、それはつまり、やろうと思えば暗殺も可能だということだ。


 のんびりしすぎていた。

 父や叔父が、どうしてあれほどまでの強硬姿勢を取っていたのか。その理由は、先延ばしにすればするほど相手にも対策を練られてしまうからだ。

 さくっと力で押さえつけてしまうのは、確かに簡単で最も効率のいい方法なのだろう。

 時間を置けば、相手も馬鹿ではないから、いかにすれば攻撃を避けることができるのか考えてくる。

 それが、今の事態だ。


 勝千代はぎゅっと両手を握りしめた。

 後手に回ってしまった今するべき事は、いかに早く相手の次の行動を読むかだ。

 まず父を刺したというのは何者か?

 例の元僧侶か? いや、ほぼ裸で連行されていた。しかも尋問中で誰もが注目していた中、武器を手にするのは難しいだろう。

 

 勝千代は顔を上げた。

 嫡男である彼の部屋は、渋沢が置いていった護衛たちで厳重に守られており、真っ青な顔をした土井と、殴られて顔面がものすごい事になっている谷とが、その入り口を警戒している。

 部屋の隅には弥太郎と楓が静かに控え、じっとこちらを見ている。

 柴垣兄弟は、しばらく前に下がらせたのでここにはいない。


「いますぐ屋敷を閉鎖せよ」

 勝千代は谷へと視線を向けて、はっきりとした声で命じた。

「虫一匹たりとこの屋敷から逃すな」

 もはや原型をとどめてもいないほど顔を腫らした谷が、びくりと背中を伸ばした。

 息を詰めるようにして勝千代を見て、やがて気圧された風に首を上下に振る。

 渋沢に殴られたダメージがあるのだろう、その足取りは幾分おぼつかなかったが、転がるようにして去っていく後ろ姿は必死だった。

「集まっている証拠の資料は?」

「今お持ちします」

 弥太郎の声はこんな時でも落ち着いていて、回転しすぎて空滑りしそうになっていた勝千代の思考をいったん正気に引き戻してくれた。


 苦しいほどに詰まっていた息を長く吐く。

 実際の所、かなりのところまで調査は進んでいるのだ。罪が確定し捕縛することのできる人数は多く、それはこの屋敷の家宰にも及ぶ。

 だが、本丸はまだ見えていないと感じていた。

 そこへ続く道を、じっくりと探っていた。

 しかし、そんな悠長な事を言っている余裕はもはやない。

「戸田の所へ案内致せ」

 その命令に土井が反対しようとして、勝千代の顔を見て口を閉ざした。

 わかっている。

 奥歯がかみ合わず、細かく震えている。

 これは怒りよりも恐怖、身内を失う事への怖れだ。

「先ぶれは必要ない。咎人を捕えに行くだけだ」 

 ぐっと歯を食いしばり、唇を引きしめる。


 立ち上がろうとして、膝が震えた。

 すぐに父の事が脳裏を占め、怪我はどの程度なのかとか、まさか命に係わるのではとか、心配で他の事が考えられなくなる。

 それでは駄目だ。

 怪我はたいしたことはないと信じて動かなければ。

「……こちらです」

 そう声を発したのは楓だ。

 周囲の責めるような視線をものともせず、しっかり勝千代を見て頷き返してくれる。 

 そうだ、ひとりではない。

 弥太郎も、土井もいる。渋沢がつけてくれた護衛たちもいる。

 情けない様をみせるわけにはいかない。

 勝千代は奥歯を食いしばり、まずは一歩、足を踏み出した。

 そして、その一歩を乗り越えると、不思議と身体の震えは止まった。


 脳裏に、おもねる笑顔を浮かべる戸田の狐顔が浮かぶ。

 勝千代の予想が正しければ、戸田はこの騒ぎに乗じて証拠を徹底的に隠滅しようとするはずだ。

 まず何をする?

 勝千代であれば、村の所在地などを書き記した書類をまるごと破棄するだろう。

 そうすれば、その書類をもう一度書き起こさないうちは、領内を隅々まで調べることが難しいからだ。

 この時代戸籍というものが現代ほど厳密ではないから、子供のひとりふたり売り払っても、病死したということにできてしまう。

 家族もその者がいる村も、その事実自体に口を閉ざすだろうから、下手をしたら人買いをしたというそもそもの根拠がなくなる。

 そのあたりの調べはかなり進んでいて、村の記録ではなく商家にあった証文から証拠固めをしているのだが、戸田はそのことは知らない。

 真っ先に彼がやろうとするのは、間違いなく勘定方の特権で入手できる情報を消すことだろう。


 勝千代が短い歩幅で懸命に歩き、楓が案内する中表の勘定方詰め所に近づいた時、前方からかなりの大声で叫ぶ男の悲鳴のようなものが聞こえた。

 いや、叫んでいるのは威圧的に罵る男。

 悲鳴は別の誰かだ。

「なにをする! 離せっ! ……痛い痛いっ! このワシにこのような事をしてただで済むと思うなよ!」

 続く汚い言葉は、勝千代だけではなく誰の顔をもしかめさせるものだ。

 ずっと甲高い悲鳴を上げているのは……子供? 楓と同じ年ごろの少年だ。

 勝千代は、開け放たれた詰め所をざっと見まわし、混沌としたその場の様子を冷静に推し量った。


 壁際に張り付いた、勘定方の文官なのだろう男たち。

 床に押し付けられているのは、戸田と、悲鳴を上げ続ける子供。

 そして、その場を制圧していたのは、肩衣袴姿の段蔵と、おそらくはその配下の者たちだった。

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