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「ご勘弁を」
勝千代のそんな目論見を読み取ったのだろうか、興如がつるりとした頭を撫でながら言った。
「こちらとしても、麒麟を敵に回しとうは御座いません。お互いの折り合いがつくように話をさせていただきたいのだが」
キリンときいて連想するのは、動物園にいる首の長い動物だが、興如が言っているのは空想上の生き物のことだろう。
勝千代が麒麟だなどと、ずいぶんと持ち上げてくる。
「父はなんと?」
「領内からの撤退、布教の禁止、人買いに手を染めていた者の引き渡し、二千貫の賠償金です」
父らしい断固とした拒絶姿勢だな。これに否やを言えば、領内の本願寺派の寺を攻め落とす気だろう。
勝千代はそっと額に手をやった。
宗教の弾圧は、たとえいくらこちらに正統性があろうとも、非常に危険だ。
やるのであればもっとやんわりと、いつの間にかそうなっていた、という状態が望ましい。
「先だっての私のお願いを覚えておいででしょうか」
「……すでに売られてしまった人々の買戻しですか」
「もし誠意を見せていただければ、父を説得してみましょう」
「……若君!」
ここで声を上げたのは、まさかの谷だった。
彼には口を挟む権限も権利もない場面だ。だがしかし、勝手に重大事を決めようとする子供を諫めようとしたのだろう。
「殿のお赦しなくそのような!」
「黙れ」
鞭のような鋭い声でそう言い返したのは二木だった。
「勝千代様の御言葉に口を挟むな!」
これまでとは別種のピリピリとした気配が走った。
しょっちゅう好き勝手言ってくる男がよく言う。
勝千代は傍らにある二木の腕に手を添えた。
すぐに刀を抜こうとするのは止めなさい。
「父上の赦し……な」
勝千代はふっと唇をほころばせた。
もちろん勝手な真似をするつもりはない。勝千代は興如に対して、まだ何の約束もしていない。「説得をする」と言っただけだ。
「興如さまもお連れの方々も、ここにその者を連れてきたという事は、わたしの言い分があながち的外れなものではないとわかっておいでなのでしょう」
遠くから、聞き慣れた父の声が聞こえてきた。
「わたしに接触することが、更に父の怒りを買うであろうことも」
相変わらず大きな声だ。
勝千代の名前を、吠えるような大音声で叫んでいる。
「それだけの御覚悟がおありなら、口添えいたしましょう。条件は、先ほど御坊が仰っていた通りの事です」
「……お勝ぅぅぅぅぅっ!」
人の名前をまるでサイレンのように連呼しないでほしい。
ダダダダッと激しい足音とともに、父が回廊の端から姿を現した。
そのまま一切スピードを緩めず、まるで猪のような勢いで突っ込んでくる。
……これを見れば、猪武者と呼ばれるのも無理はない気がするな。
「父上」
勝千代はにっこりと微笑んだ。
こちらに両手を差し伸べて突進してこようとしていた父が、何かに気づいたように速度を緩めた。
「……お勝?」
「お話がありますので、そこへお座りください」
勝千代が指示したのは、回廊、つまり冷え切った廊下だ。
一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。
福島家の当主に廊下に座れなどと命じるのは、勝千代以外にはいないだろう。
だけどね、ちょっと説教しないと。
父は頭に血が上りすぎ。状況をもっとよくみなければ。
「座ってください」
勝千代は、持っていた扇子をパチリと鳴らし、もう一度廊下を指し示した。
父はものすごくおっかなびっくりな表情になって、おずおずと示された場所に胡坐をかいて座った。
正座をさせたいぐらいだが、まあ父だし、福島家の当主だし。
「領内からの撤退、布教の禁止、人買いに手を染めていた者の引き渡し、二千貫の賠償金」
勝千代の、一言一句違わない台詞に、父の視線が泳ぐ。
「買われていった者たちを取り戻すのを先にとお願いしましたよね?」
「もちろんそのことは忘れていない! 寺を接収すればおのずと何か情報が……」
「父上」
静かに呼びかけたのに、どうしてそんなショックを受けたような顔をするのだ。
こちらが悪いことを言っているような気がしてくるじゃないか。
「話し合いが決裂したのであれば、それもやむを得ないですが、どうやら最初から聞く耳を持たなかった御様子」
父は口ごもり、ごにょごにょと何かを言おうとしたが、じっとみつめると視線を逸らされた。
「何事も武力で解決しようとするのはおやめください」
熊のような大男に説教する幼い童子……冷静に考えると、あまり他所にさらしたい光景ではない。
こう見えても父は名門福島家の当主なのだ。
「有利な条件は押し付けるのではなく、あちら側から引き出すものです。それから……」
軽く咳払いして表情を改め、これだけは言っておかねばと、勝千代は父の髭面に顔を寄せ、囁いた。
「興如さまが連れてきた者は、私を攫えと命じた者ですよ」
その言葉に、父の血走った目がほぼ裸身の元僧侶へと向かった。
さて、どこからそう依頼されたんだろうね?
貴重な証人になりそうだから、殺さず、知っていることをすべて吐き出させる必要がある。
また志郎衛門叔父の出番かな。




