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冬嵐記  作者: 槐
第一章
12/273

3-2

 中の人が知る勝千代の叔父とは、桂殿と結託していたあの叔父しかいない。

 父に対しては誠実な弟を装い、影では嫡男である勝千代を虐待する。その二面性はおぞましく、いつか父にも牙をむくのではと危ぶんでいた相手だ。

 もちろん他にも叔父はいるのかもしれない。

 しかし、段蔵の言葉は強烈なフラッシュバックとなって、笑いながら蹴飛ばしてくれたあの瞬間を思い出させた。


「……あの人か」

「はい」

 段蔵がはっきりと肯定したところを見ると、やはり脳裏に浮かんでいる男で間違いないのだろう。

 

 まっさらな紙の上に落ちた墨に目を落とす。

 筆の先端が、ふるふると震えている。


 ……怖いか?

 幼い勝千代に問いかけてみる。

 しばらく胸の内に耳を澄ませたが、自身の感情以外は伝わってこない。

 しかし無意識に揺れる筆先が、久々にずきりと痛むあばらの骨が、物心つく前から続く虐待の爪痕としてそこにあった。


 その時点で、ご側室の側につきたくないと感じてしまうのは無理もないだろう。

 では御台さまに味方するのかというと……それも気が進まない。

 わざわざご側室の従兄弟を選び、養い子として寵愛した。そこに何らかの思惑があるのは確かで、近づくのは危ういと感じるのだ。


「藪をつつく気などないのに、蛇が出てきた場合はどうすればいい?」

 勝千代は筆を置き、汚れてしまった紙を脇に避けた。

 いつの間にか手にも墨がついていて、美しい薄紙の和紙に黒い汚れがつく。


 真相を知りたい気持ちはもちろんあるが、中の人にとっての最優先事項は、幼い勝千代を生き延びさせることだった。

 できる限り藪を避けて通るのは、保身として正しい道だろう。

「排除しますか?」

「物騒なことを言う」

 舌足らずな口調でそう言って、黒くなった手を段蔵の方に向ける。


 この男は、父が雇っている忍びだ。

 命を助けられ、ヨネの事でも世話になり、大恩があると言ってもいい。

 だがしかし、本当に信じられるのかと問われれば、確信はない。

 仲間の命も掛かっているのだから、より分があるほうに付いて当然なのだ。

 いい年をした大人である中の人は冷静にそう分析していたが、そんな風に考えてしまうのを恥じてもいた。

 そして自身がすでに九割がた彼を信じ、残りの一割、たとえ裏切られたとしても、それはそれで仕方がないと思っている事にも気づく。


 手ぬぐいで墨を拭ってもらう間、近い位置にある黒い目をじっと見た。

 単純に救われたというだけで、信じてしまうのは危険だ。

 それでも、平和な時代が育てた価値観は、今さら変えようがない。


「毒蛇がいたとしても……知らぬ振りが良い」

 内緒話をするように、自身に言い聞かせるように囁く。

 裏切られる可能性を許容するべきではないが、幼い子供には保護してくれる大人が必要なことも確かだった。


 勝千代はきれいになった手で筆を取り、新しい紙に向かった。

 適当な時候の挨拶を書き、まずは気遣いへの礼を、お会いして兄のことを聞きたいと思うが体調がすぐれず、誰かに移しても申し訳ないので遠慮すると綴り……


 少し手を止めて、茶色い土壁を見上げた。


「段蔵」

 じっとこちらを見ている男に、静かに語りかける。

「与平らは村から出したほうが良い」

 それは、かねてからの懸念だった。

 改めて今日、自身の思いのほか危うい立ち位置を知り、懸念は確信へと変わった。


 忍びの隠し里なのだろうこの村は、すでにもう知られてしまった。

 勝千代さえ匿わなければ、どこにでもある農村を装いこれからも続いていったのだろう。

 しかし、どうやってか岡部らに探し当てられてしまった。

 忍びの者たちが住むと気づかれてしまっては、もはや隠し里とは言えず、安全ではない。


「ほかに身を寄せるあてはあるか?」

 段蔵は答えなかった。

 この男にしては珍しいと首だけ巡らせて振り返ると、両手を床について深く頭を下げていた。

「……段蔵?」

「ご配慮に感謝いたします」

 普段の平坦な低い声ではなく、若干くぐもって聞こえた。

「いや、迷惑をかけているのはこちらの方だ。御台さまからいただいたものだが、いくらか間引いて売れば当座の費えになるだろう」

 住まいに収まりきらない調度品など、あっても手に余る。しまい込むにしても場所を取るだけだし、気づかれない程度に売りはらって金銭に替えるのはアリだと思う。

 できた金のいくらかを取り分としてもらい、そこで改めて街までの護衛を依頼しようか……などと皮算用していると、段蔵がようやく頭を上げた。


「子らは別の村に移します。山をひとつまたいだ、信濃との国境にある村です」

 幼子相手とはいえ、別の隠し里のありかを漏らしてはダメだろう。

 言外に聞かなかったことにしようと首を傾けて見せたが、段蔵はしっかりとこちらの目を見て言葉を続けた。

「その村から、入れ替わりで何名か呼び寄せます」

「これまでもずいぶん世話になった。礼を言っても言い尽くせないほどだ。私はこの村に残るが、護衛の人数は最低限でよい」

「いいえ」


 あわよくば金を握って街へ逃げようと思っている勝千代は、大柄な忍びにじっと見据えられてたじろいだ。

「……それが我らの仕事です」

「そ、そうか」

「必ずお守りいたします」

 まるで、逃がさない……と言われたような気がした。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[良い点] 春雷記の与平くん再登場で読み返していますが、この段で段蔵を落としたんですね
[良い点] 人の良い主人公。擦れてない。 [一言] 面白いと思います。
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