19-7
柴垣が来るのを待っていると、頭の芯がぼんやりしてくる。
つい出てしまった欠伸を噛み殺していると、南の咎めるような視線を感じたが、黙殺した。
お子様は本来寝ている時間帯なのはわかっている。
だが、すでに後手後手にまわっているのだ、何とかなるうちに手を打たなければ。
廊下を誰かが歩いてくる音がして、柴垣が来たのかと待ち構えていると、「失礼します」と予想外の声が聞こえた。
鉄瓶に水を足していた南が、「うげ」とでも言いたげな表情で唇をゆがめる。
表情を取り繕う間もなく、少々乱暴な勢いで襖が開いた。
月光が差し込む明るい廊下に控えていたのは、オカルト話に出てきそうな蛇顔の男だった。
二木は相変わらずの仏頂面で勝千代を睨み、水差しを持った南に向けて舌打ちした。
「夜遊びが過ぎるのでは」
「……ああ、うん」
どうしてこいつが来るのだと、軽く頬を掻きながら視線を泳がせると、二木はこれ見よがしに長いため息をついた。
「柴垣の住まいはうちの近くですので」
厠に出かけた時に、連れ出される柴垣と行きあったそうだ。
偶然にしてはできすぎている気がするが……男たちの内緒話に気づいたのも、糸のもめ事に首を突っ込んだのも、たまたま厠へ出かけた際の偶然だから、そういう星の下にあったのだろうと思う事にする。
ほっそりとした二木の背後に、二回りほども体格の良い男が隠れるようにして座っていた。大きな身体を少しでも小さくしようとしてか、肩をすぼめ背中を丸めている。
「柴垣か」
勝千代がそう問いかけると、丸みを帯びた身体がびくりと震えた。
二木よりもかなり体格がいいので、隠れられてはいない。それなのになお、身体を小さくして縮こまろうとしている。
「柴垣、若君の御下問だ、直答を許す故思いっきり文句を言ってやれ」
お前が苦情を言いたいだけだろう。
柴垣はもちろん二木ほど厚顔無恥ではなく、初対面の勝千代に対する礼儀をわきまえていた。段蔵から、糸についての話をあらかじめ聞かされていたせいもあっただろう。
やおらガバリと両手を前について、ゴツンと音を立てて床に額を押し付ける。
「妹がご迷惑をおかけしました!」
「……とりあえず、寒いから入って」
勝千代は、柴垣の声が夜間を考慮された音量だったことに安堵しながら、手招いた。
これが土井だったら、屋敷中の者を起こしていたかもしれない。
「単刀直入に聞くけど、借金は本当?」
二木の説教が始まる前にと、勝千代は背の高い若者に問いかけた。
彼はなおも二木の後ろに座ろうとしていたのだが、ほかならぬ二木に脛を蹴飛ばされておずおずと横に出て座った。
見るからに内向的な気質の、気の弱そうな男だ。
「……はい。母の薬代がかさんでしまいまして」
「借りる前に確認はしたの? 金額とか、返済の期限とか」
「借金をしたのは父なので、詳しいことを知ったのは両親ともに亡くなった後でした」
柴垣は若い。もしかすると、まだ十代かもしれない。この時代の十代は、元服を済ませていれば大人とみなされるが、勝千代にしてみればまだ子供だ。
「では、本当にその金額を借りたのかは分からないって事?」
「借金があるのは知っていましたが、それが八十貫もあるとは思ってもいませんでした」
「八十貫?!」
しょんぼりとした柴垣とは違い、二木は一気に眉を吊り上げた。
八十貫という金額がどの程度のものかわからないが、御台さまから頂いた品々を売ったら百貫から百五十貫だといっていたから、相当な額なのは確かだ。
そして案の定、下級武士に貸すような額ではないのだろう。
「借りたものは返さなければなりません。ですが、とうてい返せる額ではなくて」
一生かけても返すつもりでいたのだが、いつの間にか証文が金貸しから他の男の手に渡っていて、糸を妾にと望まれたそうだ。
勝千代は、真面目そうな柴垣の顔をじっと見てから、対照的に性格が悪そうな二木の蛇顔に目をやった。
「普通証文の譲渡というのは、その金額を払って買い取るものだと思うのだけど」
「そうです」
「糸に迫っていた男だが、それほど裕福そうには見えなかった」
見かけでは懐具合はわからないから、断言はできないが。
二木の目がきらりと光った。
まてまて、殴り込み行くのは早い。
おそらくあの男は、敵が油断してひょろりと出した尻尾だ。
勝千代が軽く手を振ると、ぎらついた目をした二木は立ち上がろうと片膝を上げた状態で睨んできた。
そんな不服そうな顔をするなよ。
仕方がない、手綱を握るのに苦労はしそうだが、この男にも働かせてやろう。
「柴垣」
「……っ、はい」
「そのほうにしてもらいたいことがある」
柴垣に話しかけているのに、その隣の二木がものすごく疑わし気な表情になった。
「えっ、私にですか? その……私はそれほど仕事ができるほうではありませんが」
「証文を持っている男に会いに行って、返せそうにないと泣いて詫びてほしいだけだ」
「は?」
「そうだな……糸には見合いの話が進んでいるとでも言っておこうか。南」
「……はい?」
大人たちが総じて首を傾げる中、勝千代は「ふふふ」といたずらっ子のように笑った。
「そなたは確かひとり身だな? 名前ぐらいは貸してやれ」
ちょっと年は離れているが、許容範囲内だろう。
糸のような美少女相手には、少々役者不足かもしれないが。




