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冬嵐記  作者: 槐
第五章

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19-4

「……だ」

 井戸端で手を洗い、差し出された手ぬぐいを受け取ろうとしたとき、ふとどこからか男の声が聞こえた。

「だが……だぞ」

 動きを止めた勝千代と同様に、南もまた声のする方向に顔を向けている。

 振り返り小首を傾げると、南はぶんぶんと首を左右に振った。

 盗み聞きなど行儀が悪いって? いやいや、こんな時間に何をこそこそ話しているのか気になるじゃないか。

 な? ちょっとだけ。

 手ぬぐいを持ったまま、人差し指を唇に当てると、南は何故か達観したように肩を落とした。


 許可も下りた(?)のでこっそりと、声のする方向へと歩を進めた。

 注意深く音をたてないように気を付けたが、おそらくはバレバレだったのだろう。

「……しっ」

 小声で言い争っていたような気配がしたのだが、ふたりとも口を閉ざしてしまった。

 そしてこちらを探っているような雰囲気。

 勝千代も動きを止めて、さてどうしようかと迷っていると、がさごぞと遠方の茂みが揺れた。


「……なんだ、鳥か」

 ばさりと翼を広げて逃げて行った影を見送って、男たちが安心した風に緊張を解く。

「やはりこんな話をするのは危険だ」

「だが今を逃せば、殿はまたおらぬようになってしまうだろうし、そうなれば……」

「また明日話そう。今日の所は戻るぞ」

「そうだな、目を付けられるとマズイ」

 ええ? それだけ? もっとおしゃべりしてくれてもいいのに……そんな勝千代の不満は、腕組みをして目の前に立つ段蔵の姿に萎んだ。

 密談をしていた二人は、こちらには気づかずこそこそと去っていく。

 勝千代は寝床へ戻るのであろうその背中を、未練たらしく見送った。


「……いい夜だな、段蔵」

「はい」

 段蔵の、ここで何をしているんだと言っている視線に、そっと目を反らす。

「もう戻るよ」

「はい」

 当たり前だと頷かれて、肩を落とす。 

 興味深い話をしていたようだが、段蔵が見ていたのであれば、そのうち経過を教えてくれるだろう。


 それにしても、夜中のちょっとした散歩も許されないのか……そうがっかりして足元を見下ろしたところで、己が小袖一枚で外に出てきてしまったことに気づいた。

 厠に行くだけのつもりだった。井戸端で手を洗うだけなら、許されたかもしれない。

 だが確かに、病み上がりの身で、このような薄着で、真夜中に四歳児がうろついていたら止められもするだろう。

 今は真冬で、手足はすでに氷のように冷たい。

 少し前であれば、すぐに熱を出していただろう環境だが、慣れだろうか、芯まで震え上がるようなことはない。

 少しづつ身体が丈夫になっているのかもしれない。

 気を持ち直して、顔を上げる。


「そういえば、楓を見かけないな」

「任務で潜入先に居ます」

 一昨日まで勝千代に付き合って商家の娘役をしていた。それなのにもう次の仕事か。

 頭を過ったのは、児童の労働についてだが、この時代に未来の常識をもってきても仕方がないことは理解している。

「……そうか」

 任務については詳しく聞くべきではないのだろう……と、大人の聞き分けの良さで黙っていると、若干の逡巡の後、小さく咳払いが聞こえた。

「その件でご相談したいことがあるのですが、少しだけお時間よろしいでしょうか」

 勝千代はパッと顔を上げ、真夜中なのでほとんどその容貌が分からない黒い長身の男を見上げた。

「もちろん」

 コクコクと頷いて、びゅうと吹いてきた北風に首をすくめる。

「だが冷えるから話は部屋で聞く」

 こんなところで長話をして、下手に熱を出してしまえば、弥太郎にまた苦い薬湯を飲まされてしまう。


 勝千代は、短い歩幅で懸命に自室まで歩いた。

 歩いているうちに、段蔵の言う「相談」が、楓の任務にかかわる事だと気づいて気を引き締める。

 四歳児へ話す内容だから、それほど深刻なものではないのだろうが、楓には世話になった。彼女の役に立つなら頭も絞る。

 小さな子供が命がけで忍び働きをしているという事実は、かつての教職員であり、子を持つことを切望していた男にとって、同情というか、なんとかしてやりたい気持ちにさせられるのだ。



 小さな歩幅で部屋までの道のりをこなしていると、ふと遠方で人の気配がした。

 正確には、叱責する男の声と、ひたすら謝罪する女性の声だ。

 何だろうと立ち止まると、南が視界を塞ぐように立ちふさがる。

 その身体の影から盗み見えたのは、ふくよか目の男が手に灯明の油皿を持って何か怒っていて、彼に対して頭を下げているのは小柄な女性……いや、少女だ。


 何を揉めているのかは、普通の四歳児にはわからなくとも、中身四十路の勝千代にはすぐにわかった。

 夜這いを掛けた男を、少女が拒んでいるのだろう。

 こういう事情について、年が年だけに疎いのだが、いい年をした大人が少女に強要するのは、時代など関係なくちょっとどうかと思う。

 しかもここは福島屋敷、勝千代の父が差配する場所なのだ。


「……たまたま進行方向だ」

「違いますが」

 勝千代の独白に、即座に南が突っ込む。

「わたしは来たばかりだから、ちょっとは道に迷って遠回りする可能性はある」

すたすたと歩き始めた勝千代に、背後で南だけではなく段蔵もまたため息をついた。

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