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冬嵐記  作者: 槐
第四章

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18-7

 某探偵氏だって、子供の姿のときは子供の口調で喋っている。

 父の命が掛かっているからと、安易にペラペラと喋りすぎた。

 四歳児が大人顔負けの言葉遣い、正確な所作をしてみせても、違和感しかないだろう。

 特に、比較対象である龍王丸君が目の前にいるのだ、家臣の目にどう映るか考えると……御台さまが警戒するのもよくわかる。

 嫡男より賢しく見える弟など、厄介ごとの種にしかならない。


 それにおそらく、諸々の出来事は御屋形様の謀り事だ。

 本意がどこにあるかまではわからないが、根底にあるのは、ご自身の健康不安だと思う。

 今の段階で御屋形様に万一の事があれば、今川家は荒れると踏んだのだ。

 そして、福島家の力を削ごうとした。

 確かに、同じ一族に三人もの御屋形様の御子がいること自体、パワーバランスが悪すぎる。

 兵庫介叔父は体のいい標的だったろう。

 事がうまく運べば、時丸殿の勢力は抑え込まれ、龍王丸殿の立場はより強化されていたと思う。


 どの段階で御屋形様の御意向が働き始めたのかはわからない。

 それが、兄彦丸が死ぬ前からだとすれば、ちょっとどころではなく腹立たしいのだが。

 武人としての父の能力は残したかった。

 福島一族の勢力は削ぎたかった。

 意図するところはわかる。勝千代とて、兵庫介叔父のようなタイプは可及的速やかにお引き取り願いたい。

 だがしかし、御屋形様がご自身の子のうちのひとりを、その目的のためのスケープゴートにしたのだとすれば……


 真っ先に考えたのは、父のことだった。

 勝千代にあそこまでの子煩悩ぶりを見せる父が、このことに気づいたらどう思うだろう。

 今川家の忠臣として勤めてきたこれまでを、全否定されるようなものだ。叛意をあらわにしてもおかしくない。

 ……ああそうか、だからこその地下牢か。


 ぼたぼたぼた……

 下げていた頭に、熱めの湯が滴った。

 白湯を掛けられたのだと気づいたが、動かなかった。

「ああ、すまんのう……手が滑ってしもうた」

 ついた手の先にあるのは、白地に金糸の豪華な打掛。

 先程の鬱憤を晴らしたかったのだろうが、浅慮なことだ。

 勝千代が無反応なことが面白くなかったらしく、ついでとばかりに茶碗を投げつけられ、ゴツリと音を立てて額に当たった。

「御台」

 どこまでもこういう星の下に生まれついているのだな。

 そんな事を考えながら、なおもじっと動かずにいると、上座から子供をいさめる口調で御屋形様が口を開いた。

「勝千代は龍王丸の弟だ。そのように無下に扱うものではない」

「あの恐ろし猪武者の子やとききました」

「そうだな、彦丸の双子の弟だ」

「どうりで……」

 ふふふふ……と御台さまが笑う。

 ものすごく悪女っぽい笑い方だ。

 そりゃあね、夫の側室の子だから、気持ちよく付き合える相手ではないことは確かだ。

 だがそれは、複数の妻を抱えることが当たり前のこの時代、正室として奥をきちんと差配できないという露呈でもある。

 わかっているのだろうか。

 勝千代の父を猪武者とあげつらうのは、同じ駿河の武士たちの気持ちを逆なでする行為だ。

 自身の息子よりも幼い、あどけない童を虐げる様は、その悪感情をますます増長させるだろう。


「申し上げます」

「ほんに礼儀のなってない子やなぁ」

 勝千代が声を上げると、即座に御台さまのお小言。

「このような有様で御前に侍るのは申し訳ございません。下がらせていただいてもかまいませんでしょうか」

「そのような見苦しい顔はこちらもみとうないわ」

「御屋形様」

 そう言いながらゆっくり顔を上げると、御台さまがひゅっと息を飲み、御屋形様と桃源院様は顔をしかめる。

 出血していることは分かっていた。

 出来ればもっと、噴き出すほどあふれてくれたら、デモンストレーションとして見栄えがするのだが。

 床にぽたりと滴った程度なので、精々頬に伝っているぐらいだろう。

「御疑いが晴れたようですので、父を引き取っても?」

 先程ははぐらかされたが、しっかり言質はとらせてもらう。

 これだけの重臣の面前での言葉を、なかったことにはできないはずだ。

「……いいだろう」

 にこり、と勝千代が笑みをこぼす。

 

「申し上げます!」

 ドタドタというよりも、ドドドドという足音がして、廊下を何者かが走ってきた。

 気のせいでなければ土足。しかも鎧武者姿だ。

「武田が国境を割って進軍してきているとの事です!」

「なんだと!」

 広間の武士たちが一斉に腰を浮かせた。

 ざわめくその最中、勝千代はこちらを見ている御屋形様の目をまっすぐに見返した。


 さあどうする? と言外に問う。

 今川の兵は強壮だが、今の季節は冬。たいていの農民は出稼ぎに出ていたりするので、すぐに招集をかけることは難しい。

 動かせるのは、国境を警備している常備兵。あるいは、演習で集めている朝比奈軍か福島軍。

 朝比奈以外は、どちらも父が総大将だ。

 自らが地下牢に入れた男に、武田を追い返せと命じるのか?


 御屋形様は、この急使が偽情報を運んできたという可能性も、もちろん考えるだろう。

 だがこの場でそれを告げるのは無意味だ。

 確証もなくそんな事を言い出せば、それこそ国を守る能力に欠けると思われかねない。

 そもそもこの時代、誤報は多かったと思う。情報の精度が低すぎるのだ。

 故に、どれが正しい情報か判断することも大切だが、何が起ころうと備えることも重要だ。

 つまり、武田軍侵攻の一報に何らかの対処をしなくてはならない。

 

 あ、ちなみにこれは、勝千代側が仕込んだ偽情報だ。

 あとから足元をすくわれないよう、調べても誤報か否かわからないよう細工はしてある。


 ざわめく重臣らを尻目に、勝千代は一礼して立ち上がる。

 たいていの大人の腰の高さほどの背丈しかないので、少し歩を下げただけで紛れてしまえる。

 大人たちが右往左往している間に、広間の半分ほどまで退散した。

 なんだか疲れたな、と思った瞬間、正面から伸びてきた手にひょいと抱えられた。

 志郎衛門叔父だ。

 この人が敵側だとは思いたくないが、父も兵庫介叔父もこの人にとっては等しく兄弟だ。

 福島家を守るため、御屋形様への忠義のため、総合的に考えて、父や彦丸兄を切り捨てようとしてもおかしくはない。


 ふと、目線の先に銀色の刃物のきらめきが映った。

 幼児である勝千代には刺客の刃をかわす技能などないし、そもそも小脇にかかえられた状態では避けようもない。


 ああ、死ぬのかな。

 アスファルトにはじかれる雨の音。タイヤのゴムが焦げた匂い。咥内にあふれた生臭い血。

 よみがえってきたそれらの記憶が、走馬灯のように脳裏によぎる。

 近づいてくる刃物が、やけにゆっくりと迫ってくる。

 確実に、勝千代の首の急所を狙っている。


「江坂さま!」

 興津の声に、志郎衛門叔父が反応した。

 勝千代が覚えているのはそこまでだ。

 意識が沈むその時まで、痛みはまったく感じなかった。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[良い点] 御台、勝千代の立場を考えるとこんなものでしょうか。賢い人というイメージがあったのですが、この物語で一気に心象が悪くなりました(笑)そんなふうに思わせるほど緊迫感のある文章で、今後を楽しみに…
[良い点] この曲者寿桂尼とはこれからの半生にわたる腐れ縁になるわけですか……なかなか前途多難で面白そうな人生ですな!(他人事)
[一言] 一気に読ませてもらいました。 面白いし文章も簡潔で読みやすいです。 しかし展開のスピードと主人公の年齢から更新がいつ止まってしまうかハラハラもしてます。 頑張ってください。
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