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さささっ……と、ものすごい手際の良さで着付けなおしてくれる志郎衛門叔父を見下ろして、勝千代は眉を下げた。
すいませんね。見苦しくって。
そう謝罪したかったが、ゴリゴリに深い眉間の皺を見て黙る。
だんだんわかってきたが、ゴルゴ顔はこの人の常態だ。
せっかく男前なのだから、にこりと笑えば良さそうなものなのに。
「そこの無礼な小僧を今すぐ放り出せ!」
……空気読まない系弟が周囲に迷惑をまき散らしていては、こんな表情にもなってしまうのだろう。
「ありがとうございます」
前紐を目にも止まらない速さで結び終えた叔父に、こそっと礼を言う。
尻が落ち着かない風にそわそわしている周囲の方々へも、愛想笑いをしておく。
興津が差し出してくれた扇子を、ちょっと腹を凹めて腰に差してから、再び上座に向かって一礼し、腰を下ろした。
「お目汚しを失礼しました」
御屋形様も、桃源院様も、距離があるせいかいまいち表情が分からない。
だが、騒いでいる兵庫介叔父には一瞥もくれないことに、少しどころではない違和感がある。
もしかしなくても、気づかれただろうか。
御屋形様の病状を聞いたという態で駆けつけてきた重臣たちを、実際に召集したのは勝千代だということに。
いや、嘘は言っていない。彼らも勘づいていたタイミングだったということもある。
朝比奈勢と福島勢があれだけ駿府の近くで角を突き合わせていて、危機感を覚えないほうがおかしいし、その理由は何かと考えたら、放置しておけばいつのまにか自らにも飛び火しかねないという事は分かっていたはずだ。
巻き込まれるのは困るが、大火になる前に状況は知っておきたい。
ここに集まった重臣たちの大半の思惑だと思う。
勝千代にしてみれば、今川館というアウェイ、閉ざされた敵地へと誘い込まれて身動きが取れなくなる前に、できるだけ大勢の第三者の目が欲しかった。
自身の身の安全もそうだが、父がいわれない詮議を受けているのだという事も周知しておきたかった。
「こちらへおいで」
緩く手招いているのは御屋形様だ。
勝千代は軽く一礼してから立ち上がり、「嫌だなぁ」思いながらも、それを表情には出さず、むさくるしい男どもが向かい合って並ぶ中を歩いた。
ちなみにこの部屋は、学校の教室を四面に並べたぐらいの大きさだ。
広すぎるため、一定間隔で柱が立ち並び、その際には行灯が置かれている。
室内をやけに明るく感じる理由はこれだ。
灯明ではとても出せない強い光源なので、中はろうそくかもしれない。
勝千代は居並ぶ重臣たちの凝視を受けながら歩き、適度な位置で立ち止まった。
無意識に所作が出てくるほどこういう状況に慣れていないので、いちいち掛川城での事を思い出しながら、胡坐をかいて座る。
ちゃんと袖は後ろ。
背筋を伸ばして、礼。
……本当にこれで大丈夫なのか不安だ。
「もう少し近くへ」
「御屋形様!」
叔父の声が背後から聞こえる。
勝千代は、その時ばかりは大歓迎した。御屋形様の目が、何故かものすごく怖いのだ。
しかし、御屋形様は微塵も気を逸らしてくれず、頭のてっぺんにじーっと刺すような視線を感じる。
近くへと命じられて動かないわけにはいかず、両手を尻の横についてじりじり前に出る。
近くにと言われたが、近すぎる距離は……かなり遠慮したい。
「何を遠慮しておる、親子であろう」
違うよ。勝千代の父は、福島正成だ。
「おそれながら申し上げます」
ただし今の一言で、騒いでいた叔父は黙り、勝千代の仕事の大部分は達成した。
「それでは、父への御疑いは晴れたという事でよろしいでしょうか」
もはやこの場に用はなく、できれば早々に退散したいところだが、これだけはしっかり言質を取っておかなければならない。
「……上総介か」
御屋形様は、父の名前を呼ぶ前に少し間を開けた。
「まだ何かご不審な点でもございますか?」
「いや、そもそも江坂の所に預けているから、悪い扱いは受けておらぬはずだ」
……ん?
思わず下げていた頭を持ち上げて、御屋形様の顔を見上げた。
「……地下牢に捕らわれていると聞きました」
「そうだな。それはわたしが命じた」
拷問とか尋問とかを担当しているところって……志郎衛門叔父?!
「日々牢内で素振りの型と座禅をしているそうだ」
待て。いろいろと前提条件がおかしい。
勝千代は御屋形様の顔をじっと見上げ、懸命に頭を働かせた。
え、まさかこの人……
問いかけようとした言葉は、若干顔色の悪いその表情を見て喉の奥に引っ込んだ。
「御台さまがおいでになりました!」
静まり返っていた広間に、ぱたぱたと人が行きかう音が聞こえる。
その足音が次第に近づいてきて、やがて再び静けさが戻る。
「我が殿、このような刻限に何事ですか」
先程聞いた、厚みのある女性の声だ。
「皆も、殿がご不調なのは見てわかるであろう。気が利かぬ」
「ちちうえ!」
「おお、龍王丸」
脇に下がり、頭を下げていた勝千代の前を、美しい錦の打掛が通る。
すれ違いざまパシリ、と布の端が顔に当たった。地味に痛い。
「おかげんはもうよろしいのですか?」
ずいぶんと幼げな口調だった。
勝千代自身と比べてというわけではなく、おそらく、それが年相応なのだと思う。
「だいじない。そなたも元気そうだな?」
「はい! 今日は馬に乗りました!」
「そうか」
なんだかものすごくまずい気がする。
何がって? ……気にせず喋っていた寸前までの言動が、だ。




