18-5
ものすごい視線の圧に怯みそうになる。
深めに息を吸って……こういう時こそ笑顔だ。
学会で教授から意地の悪い質問を受けていると思え。保護者会でモンスターペアレントに集中砲火されていると思え。
勝千代がにこりと微笑むと、周囲の大人たちがざわりとなった。
「わたしは父が詮議されていると聞き、どういうことかと仔細を知りに参っただけで御座います」
「そんなはずはなかろう! ではなぜ御台さまのご不興を買うようなことに」
「兵庫」
特に強い口調だったわけではないが、御屋形様のたった一言で、兵庫介叔父は黙り、広間のざわめきも一掃した。
「どなたかにお尋ねになれば、わかるでしょう。わたしは日没ごろに今川館に到着しました。ごらんの通り、まだ旅の汚れも落としておりません。門前で、父の事で話を聞きたいと申しましたところ、案内されたのが先ほどの部屋に御座います」
「御台とは何を話した」
勝千代は、血縁上の父なのだろう御屋形様に、ちょっと首を傾げてみせた。
「それは、御屋形様の方からお尋ねになったほうがよろしいかと存じます。わたしには……よくわかりませんでした」
「よくわからなかったとは?」
「色々とおっしゃっておられましたが、要するに、わたしは礼儀知らずの小童らしいです」
少し距離があるが、御屋形様の肩が軽く上下に揺れたのが分かった。
……笑ったのかな。
「よいだろう。後ほど御台に聞くことにする」
そうだよ。夫婦のことなんだから、ちゃんと話し合って解決してほしい。
「お伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「無礼であるぞ!」
兵庫介叔父よ、黙れと言われて黙らないあなたの方が無礼だと思うよ。
勝千代がちらりと呆れた目で見ると、みるみるその顔面が真っ赤になった。
まるで、赤鬼のようだ。
一瞬、フラッシュバックで過去の出来事が脳裏によぎったが、それは些細なものでしかなかった。大丈夫、怖くない。
「言うてみよ」
一段高い場所にある上座で、御屋形様がパシリと扇子を閉じる。
勝千代は丁寧に両手を前について一礼してから、しっかりと背筋を伸ばして前を向いた。
さあ、ここからが勝負だ。
「父はなぜ詮議をうけているのでしょう」
「彦丸の代わりにと、偽物の勝千代を連れてきたからだな」
「父が連れてきたのですか? おかしいですね、数日前まで私と一緒に掛川にいました。その前は七日ほど岡部殿の城にいました。長く行動を共にしておりましたが、そういう話は聞いた事もございません。どこから連れてきた子供でしょう」
「朝比奈のところに寄ったのか?」
「はい。恥ずかしながら、あまり体が丈夫ではなく、城へ戻る道中で熱を出してしまいまして」
「ええい、聞くに堪えぬわ!」
バンバンバン!と床を手のひらが叩いた。
言わずものがな、兵庫介叔父だ。
「わしは四年間勝千代殿のお側におった! 前の童もそうだが、おのれのような気味悪い餓鬼ではない!」
たっぷりじっくり虐待してくれたのに、ずいぶんと薄情なことだ。
「おおそうだ! 勝千代殿なら肩に赤い痣があるはず。御屋形様もそれはご存じでしょう」
「……いい加減やかましいからお黙り」
たまりかねたように口を挟んできたのは桃源院様だ。
「先ほどからなんや、えらいキイキイ言いよって。なんぞやましい事でもあるんか?」
ほんとそれな。
うんうんと頷きたくなるのを我慢して、ちらりと再び兵庫介叔父の方を見ると、ものすごい形相でこちらを睨んでいた。
いや、今喋ってるのは桃源院様だから。
「赤ん坊のころの痣なんぞ消えることもようあるし、墨入れてそれらしゅう作ることもできる。そもそも勝千代殿は福島へ養子に出した子や。本物か偽物かなんて今川家にとって大した問題やない」
御屋形様やご嫡男が死なない限りはね。
この場にいる大多数が察しているだろう。
御屋形様には健康問題で不安がある。
ご嫡男もまだ幼少、ちゃんと成人できるかどうかわからない。
そうなってくると、その次はどうなるかという事になるが、他家に養子に出ている勝千代ではなく、その下の、つまり兵庫介叔父の孫は充分有力候補になりうるのだ。
更に下に、正室腹の末の男子がいる事はいるが、前提問題として、幼子の生存率の低さがある。もしかするとその子も身体が弱いとかで、成長に難があるのかもしれない。
なるほどなぁ……
勝千代は、兵庫介叔父がはじいたそろばんに呆れた。
叔父はなんとしても、勝千代兄弟をレースから脱落させたかったのだ。
側室腹の子、しかも同じ福島一門とくれば、横並びのライバルでしかない。
その為に幼少期から兄を孤立させ、勝千代へは虐待を繰り返していたのだとすれば、凄まじい執念としか言いようがないが……肝心の自身の孫が無事成人できるという確信はどこからくるのだろう。
その流れで言うと、兄を殺したのは叔父なのかもしれない。
まさかご嫡男や末子の赤子まで、いずれ始末するとか不穏な事を考えているのではないだろうな。
「いいですよ」
ちょっと釘を刺しておくべきだと判断した。
勝千代が声を上げると、何故か再び室内が静かになった。
「少々見苦しいですが、ご覧いただきましょうか」
勝千代は扇子を抜いて床に置いた。直垂の前紐を引いて解き、合わせになっている前身頃を引き抜く。
「勝千代殿!」
志郎衛門叔父が止めようとした。
確かにまあ、こんなところでもろ肌脱ぐなど非礼極まりないのだろう。
だが、まだ幼子だということで勘弁してほしい。
「……っ」
誰かが大きく息を飲んだ。
それは近くにいた志郎衛門叔父であり、興津であり、大広間に居た距離の近い男たちでもあった。
「そっ、そのような醜い傷跡をようも恥ずかしげもなくさらしおって! 御屋形様! あのような傷跡がある子供など卑賎の出に違いありませぬ!」
「その距離から見えるのですか? 目が良いのですね」
勝千代の右肩から背中にかけて、広範囲でケロイド状の火傷の跡がある。
しかし、かなり古い怪我だということと、もともと色白だということもあり、そこまで派手に目立つものではない。
腕にできた新しい火傷はまだ赤味がかっているが、肩を覆う傷跡はおそらく、赤ん坊のころにつけられたものだと思う。
「叔父上、痣はありますか? 自分では見えませぬ」
茫然と目を見開いている叔父に、むき出しになった肩と背中を向ける。
火事にでも巻き込まれたのだろうと思っていたが……そうか、痣を消すためにつけられた傷か。
記憶にない事だし、それほど皮膚が引きつれてもいないので、普段はあまり気にもしていなかった。
「……ええ、うっすらと見えます。これは火傷の跡ですね」
残念だな兵庫介叔父。完全な証拠隠滅はできなかったようだよ。




