第331話
いつもありがとうございます!
珠璃は娘の翠湖ちゃんのことを世界一として愛していた。
私や妻の久美子のように温かくて強い母性を持ったその子は自分が産んだ宝石の子、「徳真翠湖」ちゃんを自分の命より大切にした。
母譲りの灰色の髪の毛と父から受け継いた緑が滲むブラウンがいい感じで混ざったモカグレーのきれいな髪を持った可愛い女の子。
瞳の奥には珠璃と同じくパールのきらめきが宿っていて、そこを見つめていると心が吸い込まれてしまうほど魅了されてしまう。
何よりこんないかついのおじいちゃんにも快く向けてくれる無邪気な笑顔はあまりにも純真、純粋で触れることすらためらってしまうようになる。
それだけ翠湖ちゃんは私達「徳真」一家にとって、そして珠璃にとって特別な存在であった。
翠湖ちゃんがあんよを初めた時。
初めて「ママ」と珠璃を呼んだ時。
寝ている時、ご飯を食べる時、その全てが珠璃にとって特別の連続で、珠璃は必ずその瞬間を写真や動画などで記録していた。
いくら仕事が忙しくても娘のことを第一として考えた我が娘は相変わらず私と久美子にそっくりした家族思いの優し子であった。
そしてそんな珠璃のことを翠湖ちゃんも世界一大好きで、私達家族は二人のことを心より愛していた。
「お母さん!ブランコ乗りたい!」
「じゃあ、お母さんと一緒に遊ぼうか。」
珠璃に似て活発で無邪気だった翠湖ちゃん。
二人はどこに行っても一緒で、珠璃は娘の翠湖ちゃんにありったけの愛情を注ぎ込んだ。
私が珠璃を愛していたように、いや、それ以上の愛情で娘の翠湖ちゃんに接した珠璃は理想の母で、それこそあるべきの母の姿だと、私は本気でそう思うようになった。
無論、父のウィルくんも珠璃に負けないほど翠湖ちゃんのことを愛して、父としての全ての責任を果たしてくれた。
翠湖ちゃんは珠璃と家族皆の愛情で見る見る大きくなり、ついに小学校への入学まで前にするほど成長した。
「はい、翠湖ちゃん。これはおじいちゃんからのプレゼント。」
「わあ!可愛いランドセル!ありがとう!おじいちゃん!」
「良かったね、翠湖ちゃん。」
私は小学校に入る翠湖ちゃんのために高級のランドセルを用意してあげて、翠湖ちゃんはそれがなかなか気に入ったのか、寝る時も離さないほど大切にしてくれた。
珠璃の時と同じく、これからも私は翠湖ちゃんの中学校、高校の入学の時にこうやって好きなものをプレゼントしてこの子の成長を見守る。
それがまた自分の生き甲斐となり、私達一家は以前にもまして幸せになる。
そうなることで私は人として享受する幸福を全うできると、信じてやまなかった。
「「ネバーランドプラン」の廃棄。
それができればお孫さんを解放しましょう。」
その脅迫電話が来る前までは。
「ネバーランドプラン」。
それは戦場の兵隊を全自動兵器と強化人間に置き換えるという人類史上最大のプロジェクトで、圧倒的な優位を占めている2つの世界ー魔界と神界に対抗するために考案された我々人界の切る札であった。
常に人手不足に悩まされて、後手に回る我々人界。
その戦力の差を埋め、なんとか形勢逆転を狙うために十数年前から軍の主導で行われたのが「ネバーランドプラン」だったが、それは軍内部でも特に厳重に扱われる特定秘密事項で大半はその存在すら知らないものであった。
だが、突然私の研究室にかけられた電話の相手はその「ネバーランドプラン」の存在も、その目的まで正確に把握していて、
「もう一度言わせてもらいます。これは取引ではなく、指示です。」
平然とこちらに「ネバーランドプラン」と自分たちが保護している私達家族の宝物、翠湖ちゃんとの取引を仕掛けてきた。
それは翠湖ちゃんが行方不明になってから3日が経った時のこと。
入学前の家族旅行に行った珠璃とウィルくん、そして翠湖ちゃんだったが、
「み…翠湖ちゃんがいなくなったの…!」
届いたのは旅行の楽しい土産話ではなく、愛する我が孫娘、翠湖ちゃんの行方不明という絶望的な知らせであった。
私は全ての予定をキャンセルして、直ちに珠璃のところへ行って珠璃と会って話を聞くことにしたが、
「翠湖ちゃん…翠湖ちゃん…」
翠湖ちゃんがいなくなってパニック状態に陥っている愛娘の惨めな姿は私でも相当堪えるものであった。
青白い顔。
あの可愛い娘がここまで恐怖に覆われて、怯えているのを見るのは初めて。
「大丈夫だ、珠璃。父さんがこの命に替えても必ず見つけてやろう。」
だが、私はこういう時こそ冷静を失わずに、正確に状況を判断して行動するべきだと、まず震えている珠璃を落ち着けた。
「お願い…!お父さん…!翠湖ちゃんがいないと私はもう生きられない…!」
すがるように私に翠湖ちゃんの捜索を頼む娘。
そして、
「…お願いです、先生。」
こんな状況でも理性を保って我を失わずに行動しようとしているウィルくん。
だが彼はただ珠璃を不安にさせないためにできるだけ冷静にいるだけで、本当は珠璃と同じく翠湖ちゃんのことが心配で頭までおかしくなりそうだったのを、私は彼の揺れる眼差しから察することができた。
「飲まれるな。」
本当は自分も翠湖ちゃんがさらわれた今の状況が不安で、死ぬほど恐ろしい。
だが、こういう時こそ冷静を失ってはいけないということを戦場での経験で身を持って学んだ自分はその恐怖から目を逸らして今の自分にできる最善を尽くすことにした。
「そんなに治安が悪い国でもないのにこんな真っ昼間に誘拐とかできるのか。」
ここはある程度安全が保証された国で、外国の中でも治安の問題ならひとまず安心してもいいところ。
そんなに大きい国でもなく、街には防犯カメラが敷かれていて、跡を辿れば居所なんていくらでも判明できる。
そんな国で堂々と誘拐なんて普通にありえるのかと思った私だったが、
「大佐、山中軍曹と中村上等兵、そして木下上等兵の遺体が見つかりました。」
私は自分が珠璃たちの護衛としてこっそり同行させた部下たちが何者に殺された今の状況をようやく再検討するようになった。
これは金目当ての単なる誘拐ではない。
外部の組織が関わっている私達「徳真」一家を狙った明らかなテロ攻撃。
その瞬間、私は心の底でこう誓った。
「必ず見つけ出してぶっ殺す。私が持っている全ての力を総動員してな。」
お前はケンカ相手を間違えた。
屍を漁る災の黒い「凶鳥」を敵に回したことを死んでも後悔させてやろうと。
「中山軍曹たちはただの兵隊ではない。
彼らは私が研究して生み出した「強化人間」で、今までのどのような部隊より殺し合いに特化している。
そんな彼らをなんの騒ぎも起こさず始末することなんてできるのか。」
体の強化だけではない。
精神の改造、その意識まで完璧に改竄して戦場に投入する。
自動兵器の方の研究はまだ課題がいくらでもあったが、強化人間の方は殆ど完成できたので、すでに数年前から軍から内密に運用されてきた。
それも含めた「ネバーランドプラン」の総責任者が私と脳科学の分野で右に出るものがないと言われる「ドクターリチャード」だったが、彼はそれから数年後、戦争が起きてから何者に暗殺されて、彼が持っていた「ネバーランドプラン」に関する資料は全部消失される。
よほどのことでなければ決してやられるわけのない無敵の兵隊。
殺すことに微塵のためらいも持たない彼らを騒ぎも起こさずやっつけて、翠湖ちゃんを攫っていくことなんて普通ではありえないが、
「「外道」の仕業ですね。」
心当たりなんていくらでもあった私はすぐ答えにたどり着くことができた。
敵対していた2つの世界ー神界と魔界。
「ネバーランドプラン」の情報を掴んだどっちかが翠湖ちゃんを攫ったというのならそれなりに辻褄が合う。
実際、街の防犯カメラでそれらしき存在を捉えた私達は違法ルートまで視野に入れて調査に掛かっていた。
巧妙に偽装はしているが、明らかにこの辺りでは見られない波長。
そこまで精密な分析が可能だったのはあくまで本格的な捜査の賜物で、普通の防犯カメラで補足できなかったのも仕方のないこと。
おそらく密入国でもして珠璃と翠湖ちゃんたちを待ち構えていたと考えるのが妥当なんだろう。
武力で強化人間の中山軍曹たちを制圧し、跡形も残さず姿を消す。
そんな芸当ができるのは人界では「外道」と呼ぶ異種族だけしかないと、私は今までの経験でよく知っていた。
「目的はやはりあれか。」
密入国などの危険を冒してまで翠湖ちゃんを確保しなければならなかった理由。
その原因が家族たちにも内緒にして軍で研究を続けた自分にあったことが分かった時は、自分はどんな顔で珠璃に顔を合わせたらいいのか、死ぬほど悩ましく、申し訳が立たなかった。
だからこそ必ず取り戻してみせる。
たとえその結果として翠湖ちゃんだけが助かって多くの人々が死んだとしても、最悪の場合人類が滅んでしまうとしても私はそれも全部抱えて地獄に落ちてやろう。
そんな私の決意に応えるように、
「久しぶりです、徳真中尉殿。」
その数日後、非通知番号で私の方に電話がかかってきた。
私のことを「徳真中尉」と呼んだ身元不明の男。
その時、私はその男が遠い昔にあった異種族討伐戦の生き残りであることを直感した。
「あなたは私の顔を知らないはずですが、私はあなたのことをよく知っています。
あなたは慎重で合理的、そして残酷で冷酷なーまるで灰色の修羅のような男でした。」
彼は自分が覚えている私のことをこう話した。
「私はあなたのことを死ぬほど憎みましたが、同時にその無駄のない冷静さと最短で答えを導き出せる鋭い判断力はまるで一瞬で敵を仕留める小銃のように美しかったので、私はそんなあなたにずっと憧れていたかもしれません。」
災いをもたらす黒い凶鳥。
血まみれの戦場に降り立ったその灰色の修羅は自分の目の前で愛する両親の頭をかち割って素手で頭を潰した。
積み上げた屍の山で泣き叫ぶその巨体の兵士に自分は心を奪われてしまったと。
「無論だからといってあなたが私の敵ではないというわけではない。
あなたは今も自分の手でぶっ殺さなければならない不倶戴天の敵。
私はあの時に死んだ両親と仲間たちの無念を払うために生き延びてきたつもりです。」
そう言う彼に、私がこう聞いた時、
「だからこれは正当な報い、然るべきの天誅だと言うのか。」
彼は、
「いいえ。それは違います。」
これはつまらない復讐でないと、確かにそう答えた。
「これはあくまでより良い世界のため。世界の進歩のためです。」
そして彼の行動原理に私とウィルくんが抱いていた理想が基づいていることが知った時、
「このゲス野郎。目ン玉を引っこ抜いて噛み潰してやる。」
私はそれまで一度も感じたことのない嫌悪と吐き気を催した。
それは紛れのない悪意。
それも偽善という考えるだけで虫唾が走る、おぞましくて醜い衣をまとった偽りと矛盾を抱えた正真正銘の悪意であった。




