第329話
いつもありがとうございます!
「Dr.Will」。
私とともに「Dogma」の前身である「徳真メディカニック」を設立した元外科医。
医者になってからは世界中を飛び回って救助活動をした彼はある日、もっと人々のためになる仕事がしたいと、私の研究室へ来た。
安定した職業まで放り出してこの世界の足しになるために自ら善行を施そうとした彼の理想に心を打たれた私は彼を自分の助手として迎え入り、ともに善の道を歩み始めた。
たとえ自分の過去が闇に葬られて、彼にかつての自分が何をやらかしてきたのかその真実が知らなくても、私は自分の呪われた人生と自分の手で消してきた数多な命に報いるために彼の理想に力を惜しまないことにした。
爽やかな薄ら緑色が染み付いている茶色の髪の毛と眼鏡がすごく似合っていた好青年。
穏やかで親しみやすい性格の彼は医学部にいた頃からずっと人気のある生徒だったと、私はそう覚えている。
礼儀正しくて頭の出来も良かったので、私は彼のことを随分気に入っていた。
妻の久美子もよく、
「ウィルくんなら安心だわ。」
っと彼のことを気に入って彼に珠璃と十三の家庭教師までお願いするくらいだった。
子供たちは彼によく懐いて、私や妻が同行できない時は変わりに保護者役までやってくれて、「徳真」一家は次第に彼のことを信頼するようになったが、その中でも私の大切な娘、珠璃は彼に対して一段と特別な思いを抱いていたと、今になって私はそう感じている。
大学3年の時、両親と兄が交通事故で亡くなって、その喪失感に悶え苦しんで生きる意味を失っていた彼をなんとかしてあげたかった私は、自分が彼の親代わりになると心を決め、全力で彼をサポートした。
幸、彼はなんとか立ち直って無事に学校を卒業、本格的に医者として働くことになり、テレビで見られるほど有名になった。
いつの間にか私のことを「先生」と呼ぶようになった彼は毎年、お土産を持って私のところへ訪ねてきて、教え子としての最大限の礼を尽くしてくれた。
彼に対する好感が深まるほど、私は徐々に自分を彼と同じ、何の変哲もない普通な人と感じるようになった。
彼の研究テーマは戦争後遺症から人々が抜け出して、元の生活を取り戻せるように彼らの回復をサポートすること。
体の外傷だけではなく、精神的な障害の回復も図ろうとした彼は会社を立ち上げて本格的な治療活動を始めようとした。
ひいてはこの世界に残っている戦争の傷を全部治して、安心して暮らせる世界にすること。
戦争未経験世代の若者の割にあまりにも立派な目標。
直接戦争を経験して何度もその地獄をくぐり抜けてきた私にしては多少粗削りで高すぎる理想だったが、
「それも悪くないな。」
私はもしそんな世界が来たら、私の家族、珠璃が安心して生きられると思って、彼の拙い夢に同行することにした。
彼が珠璃と交際したのを知ったのは珠璃が私がいる大学の医学部に入ってから3年生になった頃。
ちょうど彼が私の研究室へ来て1年経った頃から付き合っていたらしい。
なぜ教えてくれなかったのかと聞いたら、
「だってお父さん、絶対殺すって思ったから。」
らしい。
さすがに私でもそこまではやらないと思ったが、
「先生…?なんだか今日はご機嫌斜めですね…」
「…気にしないでたまえ。」
やはりその不機嫌さが顔に漏れるのは仕方がなかった。
珠璃は最初は私のような外科を志望したが、何らかのきっかけで精神科への意思を表明、すこぶる寂しさはあったが、私は珠璃の考えを尊重して「好きなようにやりなさい」と言った。
そしてそのきっかけとなったのが交際相手であるウィルくんであったが分かった時は、
「今日から君一人で食堂へ行きたまえ。」
「あれ…?なんか俺、最近先生に地味に嫌われてません…?」
さすがに彼のことが少し嫌になってしまった。
こんな感じで二人の交際が始まったばかりは色々あったが、私はなんとか彼を娘の交際相手として認めるようになって、以前と同じく円満な関係を続けていくことができた。
それから数年の時間が経ち、医師免許を取った珠璃は長年の研修を無事に修了し、晴れて正式の精神科医となった。
それと同時に、
「ご設立、おめでとうございます。」
ついに屈指の大手企業「Dogma」の前身である「徳真メディカニック」が新たなスタートを切ろうとした。
戦争の後遺症から人々が抜け出して、無事に日常へ戻れるよう、彼らの生活全般をサポートするのが設立の目的。
私にはアンドロイドと人体に関する技術の特許がいくつもあって、彼は私との研究でこれらを活かす方法を長年求め続けていた。
在郷軍人や戦争被害者向けの医療用アンドロイドの開発。
あらゆるテストをくぐり抜けた私達の成果は早速軍と民間の救援活動でその性能を試されることとなった。
そして結果は想像以上の高評価。
私のコネを使ったこととはいえ、我が社は正々堂々性能だけで自分たちの実力を世界に認めさせたのであった。
有数の病院から我が社のアンドロイドを使うようになったことを始めて、私達の製品はあっという間に普及し、戦争の傷跡を癒やしていった。
それから「徳真メディカニック」は急成長、単独で病院を設立、本格的な救援活動に乗り出した。
独自の病院を運営して、無償の医療サービスを提供、様々な国でのボランティア活動を開始。
それら全ては我が社のビジョンである「よりよい世界のために」に基づいたことで、最も大事なことだと、彼はいつもそう言っていた。
「全部先生のおかげです。これでもっとたくさんの人達が救えます。」
っと私にいつも感謝していた彼。
だが私の方こそ彼のおかげで呪まみれの人生から抜け出すことができたと、本当はずっと感謝していた。
何より誰かのために献身する私のことを、
「お父さんは私の誇りだよ。」
心より誇らしく思ってくれた娘の珠璃のその言葉が一番の宝物であった。
そんな私達の背中を追いかけてきた珠璃。
ある日、珠璃は私達の病院を訪ねてきた、
「私もここで働きたいわ。」
自分も私達のように誰かのために手を貸したいと、あの子は私にそう話してきた。
体の修復だけでは戦争の傷は治らない。
その痛みを一緒に感じて、心に寄り添える逸材が絶対的に求められる状況。
そんな状況で珠璃のような強くて人の痛みに共感できる優しい心の持ち主が加わってくれたら言う事無しだが、何より私はずっと私が守るべきだと思っていた愛娘が誰かのために自ら言い出してくれたことに心を打たれてしまった。
でもこんな私よりずっと喜んでいたのはきっと彼の方だと、私は今もそう覚えている。
珠璃はよく働いてくれた。
患者一人一人の話を真剣に聞いて、心を開いてもらうために一生懸命頑張ったのは優しかった我が娘。
患者たちの間では優しい美人のお医者さんと呼ばれて特に人気があった。
いつまでも私が守らねばならないと思った愛しい娘がもう立派な社会人になってくれたことに、私は誇ろしい同時にほんの少しだけ寂しさも感じてしまったが、これも極普通なことだと、なんとか納得して影から見守ってあげることにした。
こんな私のことを、妻の久美子はよく、
「もう珠璃も子供じゃないから、あなたもそろそろ子離れしなきゃ。」
「…分かっておる。」
っと言ったが、だとしても寂しいという気持ちだけは仕方がなかった。
そしてそれから数年後、
「な…泣いてるの…?お父さん…?」
私はついに珠璃の結婚式で人生初、娘の目の前で涙を見せてしまったのであった。
大学で勉強していた頃から彼と交際していた珠璃。
二人は社会に出てもずっといい関係を保つことができて、別れるどころかよりいっそ絆を深めて、
「珠璃さんを幸せにすると誓います。」
ついに二人は夫婦の縁を結ぶようになった。
結婚の方は次男の十三の方が姉より早かったが、衝撃の大きさは十三の時とは比にならないほど桁違いのショックだった。
覚悟はしていたが、もう完全に自分の懐から愛娘が離れると思ったら、世界観がひっくり返ってしまうほどの衝撃が襲いかかってきて危うく気を失うところだった。
どれだけショックだったのか、
「ちょっとあなた…」
「お父さん…!」
あまりにも嫌がる素振りが顔にだだ漏れして、妻と娘の方からけんつくをくらわすくらいだった。
内心、彼のことを認めていたこともあって結局二人の結婚について頷いたのものの、
「父さん…まだ飲んでる…?そんなに姉さんがウィルさんに嫁ぐのがいや?」
「…彼だから嫌なんじゃねぇんだぞ…」
私は下戸のくせに一晩中、酒を飲み続けて、翌日には起き上がれないほどぐたぐたになってしまった。
そして結婚式の当日、
「お姉様、綺麗です!」
「馬子にも衣装ってやつだな。」
「どこまでも可愛げのない生意気な弟なんだから、あんたは。」
私は初めて見る娘のドレスの姿に、ようやく現実を実感することができた。
灰色の髪の上をそっと包みこんだ透明なウェディングベール。
全身を飾った清めの純白のウェディングドレス。
まるで扉を開けてバージンロードを歩いてきた若い頃の久美子を思い出させる珠璃の姿に、私は親としてなんと言ってあげたらいいのか分からず、
「きれいだぞ、珠璃。」
私はただその一言で自分の気持ちを愛娘に伝えた。
「ありがとう、お父さん。」
私にそう言った珠璃は、もう私の娘ではなく、一人の女性としてついに新たな生活へ向けて歩き始めた。
今もよく覚えている娘の結婚式。
私の手を握って周りからの祝福を浴びながら、一歩ずつバージンロードを進んでいった珠璃。
そしてその先で待っていた私の愛弟子は、
「娘さんは僕が責任を持って必ず幸せにします、先生。」
っと一生をかけて我が娘を幸福にしてみせると、そう誓ってくれた。
その言葉を信じて親としての寂しさを後にして、彼に娘を託した私は、
「頼むぞ、ウィルくん。」
黙々と娘の手を離してあげた。
あの時、若いお二人がどんな顔をしていたのか、私は今もしっかり覚えている。
未来への期待感とお互いへの愛情に満ちた幸福の表情。
送る時は寂しかったが、娘の幸せに満ちたその表情が見られて良かったと、私は今もそう思う。
そうやって長年の交際の末に、ウィルくんとの結婚生活をするようになった珠璃。
二人は立派に理想的な夫婦として成長してくれて、私もそれ以上、大人の二人のことには関わらないことにした。
ただ親として温かい目で見守ってあげること、それしか自分にはできないという現実を認めて、全力で二人のことを支え、応援することにした。
それから1年後、
「名前は「翠湖」、「徳真翠湖」です。」
私はついにおじいちゃんになったのであった。
お母さんの珠璃に似た透明できれいな目。
薄ら緑色が滲むモカブラウンの髪の毛を持ったちっちゃくて可愛い女の子。
私は自分の娘が産んだ奇跡をそっと抱きしめて、初めて珠璃を抱きかかえた時と同じ感動を味わうことができた。
全身を巡る強烈な幸福感。
ちっちゃい手から伝わる温もりとは信じられないほど熱い体温まで母の珠璃の時とそっくり。
もうおばあちゃんになった妻も、おじさんになった十三も、そして誰よりも母である珠璃と父のウィルくんがこんなに幸せな顔をしている。
私は私達一家にまた新たな幸せをもたらしてくれた自分の孫、翠湖ちゃんを守るためなら何でもすると、あの時と同じ誓いを何度も心の中で繰り返した。
珠璃と翠湖ちゃん、そして私達一家が安心して生きられる世界。
私達がやっていることはきっと着実にその礎になっていると信じてやまなかった過去の自分。
だが私達の幸福はそんなに長く続かず、
「少将、お時間です。」
気がつけば、私はあの地獄の戦場に戻っていた。




