第271話
いつもありがとうございます!
「ここなら大丈夫そうね。」
会場から少し離れたところにある菊花の庭園。
中央には清らかな池があってあそこを一周くるっと回って咲いている華やかな彩りのお花さん達とゆっくり休養を取れそうなのどかで落ち着いた雰囲気がとても素敵な場所。
先輩とあい先輩はそこら辺のベンチに席につくことにした。
「疲れてない?桃坂さん。」
「いえいえ。全然大丈夫です。むしろすごく楽しくて。」
「そう?良かったわ。」
先に席についたあい先輩の隣にそっと腰を掛ける先輩。
一応顔見知りだから特に異常はないが
「ん…」
予想通り意識しているのはあい先輩の方のようだ。
「桃坂さんのこと?んー…正直に言って私はちょっと苦手なのかしら…」
「どうしてですか?先輩、いい人なんですよ?」
去年、私がまだ学校にいた時、一度だけあい先輩に先輩のことを紹介したことがある。
当時あい先輩は先輩のことをかなり気まずく感じていた。
「セシリアやゆうなの友人だから悪い人ではないというのは分かっているけどなんか近寄りがたい人なんだわよね、彼女。」
っと私がいる時は一度も先輩に話を掛けなかったあい先輩。
その後、灰島さんとのことでなんとか会話ぐらいはできるようになったようだが
「えっと…」
あい先輩のあのモゾモゾした様子を見ると完全に打ち解けたわけではなさそう…
先輩のことを近寄りがたいと感じている人は決して少なくない。
私だってうみっこに紹介される前までは先輩のことをわざと避けていてあまり近寄りたくないと思ったことがあって未だに申し訳ないと思っている。
それは多分先輩の素性に関わったことに違いない。
先輩は自分の皆と変わらない普通な人だと言っているが私は先輩がただの常人とは思わない。
圧倒されそうな存在感。初めて出会った時の先輩から私はその後ろにあるその壮大な存在感を感じ取ってしまった。
だがそれは決して私達に害を与える危険な存在ではなく、ただ温かい目で私達を見守って労って愛してくれそうな何か母のようなポカポカで安心できる雰囲気であった。
私はすぐ馴れてなんとか先輩と関係を持つことができたがどうやら大半の人達はその得体知れない存在感に本能的に警戒して無闇に近づかなくなってしまうらしい。
おそらくあい先輩もその一人だと私はそう思う。
「し…私服の桃坂さんは初めてなのね…!とてもお似合いだわ!」
「えへへーありがとうございます。」
先に切り出したのはあい先輩の方。
あい先輩は先輩のレンギョウをイメージした黄色のワンピースのことを褒めることにしたが
「これ、今朝ことりちゃんが選んでくれたものなんです。」
あれ、実は今日の朝、私から先輩に選んでやった服である。
喜んでくれる先輩のことを見るとなんだか鼻が高く…
「ムムム…わ…私だってことりちゃんにお洋服、選んでもらったことはあるわ…」
なんで張り合ってるんですか…?あい先輩…
現役時代、私には自分専用のスタイリストさんがあったが自分は基本的におしゃれ好きでこうやって他人の服を選んであげることがたまにある。
いつもスーツや仕事着以外はあまり服に興味がないお姉ちゃんのせいか自分なりに服に対するこだわりもあって服にはややうるさいところがあるが
「さすがことりちゃんです!ありがとうございます!」
自分が選んだ服をあんなに喜んでもらえるのはやっぱり嬉しい。
まあ、だと言って
「ことりちゃんはいい子の上におしゃれ好きのオシャンティーですね!
そんな素敵なことりちゃんにはチューしてあげまちゅよ♥」
嬉しすぎたあまりにいきなり抱きつかれてそのムニュッとした唇を突き出されるのはさすがに困る。
「本当は二人でピクニックに行く予定だったんです。ことりちゃんにはまた今度って言っちゃって申し訳ないんですね。
ことりちゃん、すごく楽しみにしてたのに…」
どうやら今日行きそびれたピクニックのことを言いたいような先輩。
やっぱりまだ気にしてたんだな…先輩…
「ことりちゃん、全然気にしてないってみたいに振る舞っているんですけどきっと寂しいのでしょう。」
っと先輩はすごく残念がる表情をしていたと私の小さな友達はそう言った。
先輩達の密談が見られたのは全部私を手伝ってくれた小鳥ちゃん達のおかげ。
伝聞するだけであの時の状況が十分想像できる自分の想像力は実に恐ろしいものだが今重要なのはそこじゃない。
とにかく私は皆の話から先輩が私に対して悪いって気持ちを抱え込んでいることに気がついてしまったが私個人はそんなに気にしてないから先輩も同じくそうして欲しい。
もちろんピクニックはすごく楽しみにしてたし行けなくなったのはつい子供みたいに泣いちゃうくらい惜しかったが私はもう子供じゃなく大人だからそれぐらいいくらでも我慢できる。
それにこの親睦会は私だけではなく先輩と皆のための大事な場だからどうしても参加しなければならないという義務感もある。
だからなるべく平気そうにしていたがそれが逆に先輩に気を使わせてしまったみたい。
ごめんなさい。先輩。
「そ…そうだったのね…ごめんなさい…なんかタイミング、悪かったみたい…」
っと面目ないって顔で心を込めて謝るあい先輩のことを
「いえいえ。私こそ事前に知らせるべきでしたから。まさかこんなに早く準備が整うとは思えなかったので。」
先輩はいつものように慰めてあげた。
「全部すみれちゃんのおかげなの。すみれちゃんが皆に声をかけてくれたおかげで皆…」
っとまるで自分は何もしてないって言いかけたあい先輩の手をギュッと握りしめる先輩。
先輩は本当はあい先輩が裏で自ら頭を下げて皆に頼み事をしていたあい先輩の苦労を全部知っていた。
「すみれちゃんだけではないです。速水さんだって一生懸命頑張ってくれたんじゃないですか。
もっと自分のことを褒めてください。」
っとあい先輩の方にそっとぽっかりした笑みを向ける先輩のことに
「あ…うん…ありがとう…」
あい先輩のほんの少し自分のことを誇らしく思うことにした。
その同時に先輩のことにハートを貫かれたようなあい先輩は
「桃坂さんって案外タラシっぽいわね…」
改めて先輩の天然さに感心するようになった。
あい先輩は本気だった。
自分の「黄金の塔」の中での立場や伴う利益などとは関係なくただ自分の心に素直に従うことにしたあい先輩。そうではなかったらあい先輩ほどの人間が自ら頭を下げて他人に頼み事なんてするわけがない。
あい先輩自身がただ単純にプライドが高くて人前に頭を下げられないのではない。
あい先輩の後ろには「ファントムナイツ」の王であるお父さんはもちろん神界の皆、「黄金の塔」の評議会、そしてその頂点として全てを君臨している「神様」が付いていてそう簡単に頭を下げてはいけないという掟が存在する。
神界の顔役のあい先輩が頭を下げるということはすなわち神界の皆の顔に泥を塗ったということだからよほどのことではない限りあい先輩は常に堂々で凛とした姿勢を保たなければならない。
そんなあい先輩がただ皆を仲直りさせるために自ら過ちを認め、謝罪した。
それだけで私は今のあい先輩がどんな気持ちでここにいるのかを分かるようになった。
「ねえ、桃坂さん。」
だがその時まで私はまだあい先輩の本当の覚悟に触れなかった。
「私、どうしてもあなたに話さなきゃなければならないことがあるの。」
今回の派閥争いに纏わりついた真相。
それを聞くまでは。
「驚かないで欲しい。そして決して自分のことを責めることも、彼女のことを恨むこともしないで欲しい。」
っと前置きをしたあい先輩の言葉に次ぐ話。
それはいかにも私達を混乱させ、いとも心が痛くなる儚くて辛い話だったが
「そう…だったんです。」
何故かいつにもまして落ち着いている先輩。
「うみちゃんが…」
先輩はただ心から自分のために皆の悪役となった眼鏡を掛けた青黒のおさげの後輩のことを思い描いていた。
切なくて少し複雑な表情。
だが一点の迷いもない真っ直ぐな眼差しに私はもちろんあい先輩すら戸惑ってしまったが
「大丈夫です。私達はもう迷いませんから。」
心のどこかでほんの少しだけ安心したような先輩は改めて自分の意思は微塵もブレていないということを私達にはっきりと示した。
***
「青葉。ちょっと話があるんだ。」
「灰島さん?」
親睦会直前のある日の放課後。
すみれちゃんの手に引っ張られて連れて行かれたのは青葉さんの「合唱部」の部室であった。
「あい。少しだけ付き合って欲しい。」
あんな思っきりの真顔で私の手を引き付けていたすみれちゃん。
体育倉庫や誰もいない音楽室でのプレイとかを思った自分が思い切りバカバカしくなる瞬間であった。
「お久しぶりです。速水さん。」
先に挨拶してきたのは青葉さんの方。
「あなた達は私の敵です。」
今もはっきり覚えているあの日の言葉。
大好きな先輩、桃坂さんに再び歌を歌わせるために、失った日常を取り戻してあげるために自ら私の敵となった青葉さん。
結局私は彼女に何も言ってあげられず、歪な決意をした彼女の遠くなる背中を眺めているだけであった。
「久ぶりわね。青葉さん。元気だったかしら?」
「おかげさまで。」
今度は私の方からちゃんと彼女に挨拶を返し、お互いの機嫌を伺う。
会議以外はあまり顔を合わせる機会がないため、多少の気まずい空気が漂ってはいるが普段の仲を考えるとなかなか無難な再会であった。
だがあえて平然を装っていたが私は地味に戸惑っていた。
彼女の方は全く動揺しなくてなんか自分だけがバカにされる気がしたがそれでも私は決してすみれちゃんに何故自分をあそこに連れてきたのか聞き出さなかった。
臆病でいつもオドオド、自分の心を隠すことに目一杯である私と違って常に冷静な判断ができてたくさんの人々を包容するすみれちゃんはいつだって正しい選択肢が取れる。
だから私はすみれちゃんを信じて青葉さんと顔を合わせた。
いつ見てもきれいな人。
彼女に憧れていた私にとってこうやって顔を合わせているだけで息が詰まって胸がドキドキして爆発しそう。
ステージの上に上がる時以外は殆どこのおさげの髪型を維持している青葉さんだが地味っていうところかむしろ清楚がまして本当に同い年頃人なのかと思われてしまう。
誰もいない沖のような不思議な青い目。日差しが全く差し込まない深海の暗闇のような青黒の髪の毛。
なんときれいな声で日草一つ一つ優雅で気品溢れてたまらない。
今はあんな最悪と言ってもいいほどの悪縁になってしまったが彼女は未だに相変わらず私の憧れ。
そのことに変わりはないと私は自身を持って言える。
たとえ彼女の中での私の存在が朽ち果てて地の底まで落ちても私はいつまでも彼女のことを自分の憧れに残しておきたい。
「ごめんなさい。速水さん。」
そう思った私にふと彼女は苦味の笑みを見せつけながら謝罪の言葉を伝えた。
「今更なんですが嫌な役を押し付けて本当にごめんなさい。」
っと申し訳が立たないと言わんばかりの表情で話を続ける青葉さん。
彼女はそのことについて内心自分から私に謝りたかったと話した。
いつでも凛として堂々としていた青葉さん。
だがそんな彼女が一握りの砂なような儚くてか弱い顔になってしまった時、私は胸がズキッと痛くて仕方がなかった。
何か言ってあげなきゃと思ってはいたが結局私はなんと言ってあげたらいいのか言葉が見つからず
「は…速水さん…?」
ただ弱まった彼女の小さな肩を自分の中に抱え込むだけであった。
「ご…ごめんなさい…青葉さん…」
ただ憐れむだけではない。
私は皆を焚き付けて自分が相手しているのがこんなに小さく、か弱い少女であることに自分を恥じらい、彼女への罪悪感を謝罪するように青葉さんに縋りついただけ。
彼女ならきっと自分が始めたことだからそんなに苦しむ必要はないと言ってくれるだと思うがやはり私は自分自身に堂々と胸を張ることができない。
先輩としてもう少し賢明な方法を提示してあげられなかった自分があまりにも情けなくてただ許しを求めているだけでそんな彼女が可哀想で仕方がなかった。
こんな私の気持ちを理解してくれたように
「もー…また泣いちゃって…」
青葉さんはいつの間にか溢れ出てきた涙を私の目元から拭いてくれた。
「なんで速水さんが謝るんですか…」
「だって…」
私の背中を優しく撫で下ろして自分の不甲斐なさに震えている私のことを慰めてくれる青葉さん。
そんな青葉さんに
「青葉。今から大事な話をするからよく聞いて欲しい。」
改まって席につくすみれちゃん。
「…すみれちゃん?」
一瞬すみれちゃんと目が合った瞬時に私は今日という日、何故すみれちゃんがわざわざ青葉さんのところまで訪ねたのか悟ることができた。
そう。
すみれちゃんは来るべき日、私達の間にわだかまった全てのことを解き明かすその暁に向けてまず自分のことをぶち開けようと既に心を決めていた。
「私はここの「速水愛」さんと去年から付き合っていた。」
そしてその秘密がすみれちゃんの勇敢で可愛らしい口の中から飛び立って青葉さんの前にたどり着いた時、
「知ってますよ。そんなの。」
私達はとっくに昔から彼女に私達のことがバレていたことに気づいてしまった。




