第24話
いつもありがとうございます!
その声のことを忘れたことは一度もありません。だって彼女は去年私があの家にいる時ずっと私の傍から私の世話をしてくれた私の付添人ですから。
乾いた砂のような無味乾燥した声。そしてその向こうに潜んでいるつららのような冷気。いつも敬語で私の面倒を見てくれた彼女でしたが彼女の心には温もりの欠片もありませんでした。
「何で…」
喉に氷でもついたように詰まってしまう声。
唇はバサバサ乾いて何も感じられず、ただ髄まで食い込んだ古い恐怖に震えてしまう。足は固まってもう動かなくなり、目はぼやけてまるで雪原に残されてしまったように何も見えなくなりました。
今でも吐き出しそうな悪い気分。微かな視野の向こうから見える彼女はそうやって私の前に現れました。
「ご無沙汰しております、お嬢様。お元気そうで何よりです。」
「…「薬師寺」さん…」
闇の向こうから現れた「大家」の黒い官服を着た黒い髪の女性。顔は見られないために仮面を被って確認できましたが私には彼女のことが分かりました。
全身で感じているこの恐怖…間違いない…彼女は私が「大家」にいる時、ずっと私の傍にいた御祖母様の右腕「死神」「薬師寺天真」さんでした。
「大家」最強の人殺しの一族「薬師寺」家。そしてその現当主である「薬師寺天真」さんは歴代最強だと呼ばれているって御祖母様から聞いたことがあります…
私が家に帰ることになったあの日、御祖母様の傍から私を見送っていた薬師寺さん。でも私は御祖母様と同じくらい彼女のことが怖かったです。
なぜかというと彼女は人間以外の種族も、人間以外の種族と仲良くする人間も絶対に生きる生物とは思わない「大家」の教えを徹底的に従う人だからです。
「どうして薬師寺さんが…」
彼女の突然な登場に私はまさしくパニック状態に落ちてしまいました。
ここは世界政府の管轄地区。付属校の生徒が多い分世界政府はこのあたりの安全に特別に注意を払っていました。
街には私服の軍と警察が見回りを、こういう裏路地にまで監視カメラが敷かれていて「大家」の人間は決して近づけない…そのはずだったのに…
「お嬢様、お忘れでしょうか。人界最高の至宝と言われる科学の進歩は我々の下から作り上げられたものです。外道共目の監視を撒くのはそんなに難しいことではありません。」
淡々にここまで来られた理由を説明している薬師寺さん。
彼女は相変わらず人間以外の人達を「外道」と呼んでいました。
「とはいえそんなに長くは持てませんのでゆっくりお話できないのはとても残念ですが。」
「お話…ですか。」
「大家」から私にお話って…
去年、私があの家から出る時「大家」は二度と私のところには近づかないっと約束しました。後継者としての資質が相当足りなかった私にこれ以上使いところはないって御祖母様はそうおっしゃいましたのに今更何の…
「要点だけ簡単にお話いたしますのでどうかご了承いただきます。これは「大母」の「鉄国七曜」様よりお嬢様への直々のご伝言でございます。」
いきなりの事態に戸惑っているだけの私に御祖母様からの伝言があるって話に間を置く薬師寺さん。でもそれがただの安否の挨拶ではないのを私は本能的に実感していました。
「死神」の薬師寺さんがこの一言のためにここまで来たってことはそれほど「大家」にも、そして私にも重要ってこと。でも私はこれ以上彼らに関わりたくなかったです。
「「我々は既に別の方法を見つけました。」」
御祖母様の伝言をそのままで伝えている薬師寺さん。それはまるで御祖母様から直接おっしゃっているように見えるほど生々しく怖かったので私はふと目をぐっと閉じてしまいました。
「「直にあなたはここを離れたことを後悔するようになります。「防人」になれなかった自分の弱さを呪いながら。あなたはそこでこの世の破滅を見届けていればいいのです。」」
この世の破滅。あの時の私にはそれが一体何の意味だったのかよく分かりませんでした。
「神樹様」によって成し遂げた平和の時代。そしてそれを決して受け入れない人間中心の「大家」。
その2つの間に挟まれている私はその意味について知るべきでした。
でも私はただ怖かったです。御祖母様のその話も、そしてその話を私に聞かせている薬師寺さんのことも…
私はただ一秒でも早くそこから逃げたいだけでした。
「七曜様のご伝言はここまでになります。これが何の意味なのか今のお嬢様には分かることもできません。だが…」
そんな私に一歩近づいて顔を突き出す薬師寺さん。真正面で見られた彼女の殺気は今でも私を抉り出すように冷たい仮面の向こうから吹き荒れていました。
「お嬢様は「大家」の人間。どう足掻いてもその事実だけは変わりません。」
「「大家」の人間…」
それがどういう意味なのか、薬師寺さんはそれについてこれ以上何も言わなかった。それは既に私がその意味を分かっているからでした。
どんなにこの星の平和を愛し、敬っていても所詮私は「大家」の子。いくらこの社会にうまく溶け込んでいたとしても私は世界の敵である「大家」の子。
その生まれつきの烙印がつきまとっている限り私はどんなに頑張っても、足掻いてもその事実からは逃れない。
薬師寺さんは、御祖母様はそれが言いたかったんです。
「「大家」の人間で生まれた以上、我々は「防人」として生きるしかありません。今は平気そうに見えているけどいずれ分かるはずです。この偽った平和がどれほど危険なものなのか。所詮我々は人間。外道なんかとは水平線の生き物です。お互いの理解という綺麗事は端から存在しなかった夢見がちのものです。
丸ごとで飲み込まれたくないのなら精々足掻くのがいいことです、お嬢様。」
冷笑的な口調。仮面に隠れてよく見えないけど間違いない…薬師寺さんは今笑っています。
分かりきれない異なる種族。「大家」は、御祖母様は「神樹様」によって叶えられたこの平和を偽ったガラス玉と言いました。
いつか壊れてしまうもろくてやわな上辺だけの虚飾。それに飲み込まれないために人間は人間と生きるべきといつもおっしゃった御祖母様。
分からないものなら徹底的に排除するべきと御祖母様の「大家」はずっと耳を塞いでいました。
「どうしてお嬢様みたいな弱っちいものがこの家から生まれたんですか。要らないんですよ、すぐ死んじゃいそうな弱いものは。」
「大家」の「防人」なら誰より強くならなければならない。全ての人間を守れるのは同じ人間の「防人」しかいない。「大家」の人間なら子供の頃からずっとそう言われて育ちます。
私があの家に入った時だってそう言われました。だから私は辛かったんでしょう…私にはどうしても受け入れられないことだから…
「逃げ続けてください。あなたが選んだ道の先に本当にあなたが望んだ希望があったのか自分の目で確かめてください。死にたくなければ全力で我々から逃げてみることです。」
ついに不気味な笑いまで漏らしてきた薬師寺さん。私は彼女のそのおっかない笑いが本当に恐ろしかったです。
「そこまでしてくださいまし?怖がっているのではありませんの。」
その時、薬師寺さんの後ろから聞こえる女の声。そこを振り向いた瞬間、鳴り響くのは耳が破れそうな大きな銃声でした。
凄まじい殺気で声の方に振り返ろうとしてた薬師寺さんは自分の右足の下に打ち込まれていた弾丸の痕跡を見て一瞬動きを止めました。
「動いてはいけませんわ。この程度の至近距離なら例えあなたみたいな化け物だろうと頭をぶち抜けますの。」
優雅な声。でも私はこの声を知っていました。
「邪魔が入ってしまいましたね。」
ここまで接近を許してしまった自分を責めるように重く溜息をついてしまう薬師寺さん。そんな彼女の後ろから見える拳銃の少女を見た瞬間、私はどうして薬師寺さんほどの人がここまで相手を近づけてしまったのか分かることができました。
夜を貫く金色の目でこっちを見ながら一定の距離を取っている赤い髪の毛の少女。
くるくるっとゴージャスに巻いているツインテールを弾いて闇の底からちらっと姿を表した彼女は相変わらず警戒を緩めずにこっちに銃口を向けてしました。
「あなた、どうやってここに入ったんですの。「大家」の人間がここまで深く近づくことはできないはずなのに。」
「あなたに説明する義務はありません。」
少女の質問に答える必要はないとあっさり一蹴してしまう薬師寺さん。
彼女のその不真面目な答えに呆れたそうに鼻で笑ってしまった拳銃の少女は
「まあ、いいですわ。では今からあちらの方から離れてもらいますの。まずは手を頭の上に上げてもらいます。」
っと薬師寺さんに私から離れることを命令しました。
「ゆっくりあそこから離れるんですわ。一応話しておきますが変な気は起こさない方がよろしくてよ?夜ならわたくしの方がずっと早いですし。」
「確かにそれはそうかも知れませんね。実際私はあなたがこんなに近くになったことさえ気づいてありませんでしたから。」
「それに残念ながらわたくしは人を打つことに躊躇なんかを感じられませんから。別に殺す気はありませんが妙な動きがありましたらその場で足や腕が一本ずつ吹っ飛んでしまいますのでそのつもりで。」
自分が考えてもアホらしいって嘲笑してしまう薬師寺さん。そしてそんな薬師寺さんを睨みつけている少女の目は向けられている銃より冷たくて鋭く見えていました。
「まもなく「百花繚乱」と「Scum」の方もこちらに到着しますの。ひどい目にあう前にさっさと消えてしまう方が良さそうですわ、卑劣な極端種族主義者。」
「ありがたいお気遣い頂き恐れ入ります。クソみたいな吸血鬼お嬢さん。」
な…なんだか二人の間からすごい気迫を感じますが…!ど…どうすれば…!
でもまもなくやっと私から離れてくれた薬師寺さん。彼女は私の方に向かって
「では私はここでご挨拶を申し上げなければなりませんね、お嬢様。」
先までの威嚇の態度ではないあの家にいた頃のような丁重な姿勢で別れの挨拶をしました。
「薬師寺さん…わ…私は…」
そんな薬師寺さんに私は何を言えばいいのかよく分かりませんでした。あの家から逃げたことも、御祖母様のこともきっと自分から言いたいことがあったはずなのに私の口は鍵でも掛かっているようにがっしりして全然動いてくれなかったんです。
「次にお会いする時はお土産でも持ってきますのでその時までどうかお大事に。」
そういう私を見て一度だけ軽く笑ってしまう薬師寺さん。彼女はその言葉を最後にして痕跡も残らず暗闇の中に溶け込んで消えてしまいました。
彼女が立ち去ったそこにはうら寂しい風だけがゆらりっと揺らめいているだけでした。




