第215話
いつもありがとうございます!
「準備はいいですか。まつりちゃん。」
「は…はい!」
少し緊張した顔のまつりちゃん。彼女の手には今朝持ってきた入部届が大事に入れられていました。
「頑張ってください。応援してますから。」
「はい…!ありがとうございます…!」
私からの応援もしっかり受け取って勇気を補充した後、少し目を閉じてすーっと深呼吸をして心を落ち着けるまつりちゃん。
そして
「じゃ…じゃあ…!行ってきます…!」
ついに腹をくくったようなまつりちゃんは私にそう言って部室のドアを叩きました。
「入れ。」
まつりちゃんのノックの音に向こうから聞こえる女性の声。少し疲れたようなその声はいつにもまして元気がありませんでしたが私はなぜかその声から今まで背負っていた荷物の中から一つを下ろしたような軽さを感じました。
「行ってらっしゃい。」
っとまつりちゃんの背中を押してあげた私は心から彼女の勇気を応援しました。
放課後の端っこの教室。彼女はいつも一人でそこにいました。誰も来ない空っぽな教室からたった一人で絵を書いていた不良だけどどこかさびしんぼうだった「ゴーレム」の少女。
ただ好きな女の子のために絵を書いていたと自分にとって絵は何の価値もない、ただの褒められるための手段っと彼女は自分の才能を、自分の気持ちからずっと逃げていました。
でも彼女の本当のことを全部見抜いてくれた少女がいました。
いくら嫌われても、拒まれてもただひたすらその好きな気持ちを伝え続けていた彼女は背も低くて少しか弱そうに見えましたが決して自分の気持ちから逃げませんでした。
諦めず、ただ真っ直ぐにその人に自分の気持ちを伝え、彼女のことを受け止めてくれる。例え今も彼女からひどいことを言われても彼女は決して諦めないでしょう。
私はまつりちゃんの好きになれるその心こそ彼女の一番の強いところだと思います。
「し…失礼します…!」
緊張し過ぎたかちんこちんになった口。口だけではなくドアを開けるその行動さえ不自然すぎて逆に怪しまれても仕方がないかも知れません。
でも
「頑張って…!まつりちゃん…!」
その目に宿ったその堅い勇気だけは今もあんなに眩しく輝いています。
「お前か。」
夕日の光とタバコの煙が混じった濁った空気に満ちている空き教室。その窓側のキャンバスの前でなんだかすごくむしゃくしゃな顔で筆を執っていた彼女は唇の中に挟んでいたタバコを下ろして教室に入ったまつりちゃんを方に目を向けました。
明らかに大分疲れが溜まっている目。目元にはくままでたれていて今彼女から感じている疲労感がどれほどのものなのかを如実に語っている。
まつりちゃんのことをあまり歓迎してないようなその顔はまるで今はあまりいいタイミングではないぞっと話しているような気がして一瞬怯んでしまう私でしたが
「「火村祭」です!入部届のお届けに参りました!」
まつりちゃんは決してその場から退きませんでした。
「入部届…」
きょとんとした顔。あの人、あんな顔もするんだ…っと地味に驚いているところ、
「ど…どうぞ!」
思いっきり持ってきた入部届を差し出すまつりちゃん。その姿はまるでラブレターを渡しながら「好きです!」っと告白している少女のようだったのでなんかすごく初々しい感じ…
まつりちゃんがその入部届を書くのにどれだけの勇気が必要だった、どれだけの心を込めたのかそれを受け取る立場の彼女では全部分かりきれないかも知れません。
でも少しでもまつりちゃんの気持ちが届いて欲しい、少しでも彼女からまつりちゃんの気持ちを分かって欲しい、ドアの向こうからの私は心からそう願っていました。
「ダメだ。」
でもそんな私達の願いとは真逆の返事が彼女の口から出てしまった時、私は心底から挫折してしまいました。
「言ったはずだ。今後私から気まぐれでもお前ら魔界の人間に声をかけることなんてないと。」
冷たい、そして痛い。彼女の凍えている口調を聞いているとこんなにも胸がしびれてくる。でも私が感じているこの痛みなんて多分今のまつりちゃんが感じている苦痛には比べ物にもならないでしょう。
その入部届を書くまでまつりちゃんがどれほどの遠くて険しい道をたった一人で歩いてきたのか、その苦労を欠片も分かってくれない彼女のことを私は思わず心底から恨んでしまいました。
「ひどい…」
なんで分かってくれないんですか…あなたの見えないところでまつりちゃんがどれほど胸を痛めてきたのか…
魔界嫌いのあなたには分からないでしょう…自分とは全く関係のないことで好きな人に嫌われる惨めな気分…ただ自分自身を守ることに精一杯だったあなたをずっと見守っていたまつりちゃんの気分…
あなたはそんなまつりちゃんの気持ちをまた踏みにじるつもりなんですか…?
まつりちゃんがただ魔界の子だからあなたに嫌われているのなら私が謝ります。あなたの大切な森を燃やしてあなたを傷つけてしまったのが魔界の人なら私が謝ります。例えそれが事実ではなくても私が「魔界王家」の「ファラオ」として皆の前で謝ります。
だからまつりちゃんだけは傷つけないでください…あなたのことをずっと見守っていたあの可愛くて可哀想な子を嫌わないでください…
「もう私に構うな。」
まるで私の大切な何かが一つ終わってしまったような惨め気分でした。まつりちゃんの照れくさい顔、緊張した顔、喜んだ顔、その全てが崩れ去ったようなそんな気分…
ドアの後ろに隠れて私は密かに涙を泣いてしまいました。思い通りにはならないのが人の心でもまつりちゃんの努力は報われるべきのものでした。その真剣で無垢な気持ちは…
私は一体まつりちゃんになんと言ってあげたらいいでしょう…また傷ついてしまった私の大切な友達に一体なんと言ってあげたらいいでしょう…
でもその時、私は自分の耳を疑ってしまいました。
「私は本当にお前が思っているほどろくな人間ではないから。」
まるで悔しんでいるような口調。まつりちゃんの前で彼女から差し出した入部届を悲しい目で眺めている彼女は自分にはまつりちゃんに慕われる資格はないと言いました。
「私はクズだ。自分の絵に微塵の愛情も持ってない。私にとって絵はただのあいに褒められるための手段に過ぎない。性格がいいってわけでもないからますます私という人間がお前みたいにいい人に慕われる理由はない。」
不安だったのはまつりちゃんだけではない。彼女もまた不安でした。
彼女は自分のことを全然愛していませんでした。
「私はよくキレてよく人を殴る。向こうから何もしないのなら私から先に手が出ることはないだが絡んでくるのは容赦なく叩きのめす。手加減がつかなくて素手で頭を割ってしまったやつの中には今も病院から出られないやつもいる。特に魔界の人に限っては別に殺してもいいだろうってことまで思っている。それほど私は救いのない出来損ないなんだ。」
一生自分のことに劣等感を抱いて生きていた彼女。彼女は自分が惨めになればなるほど自分の好きな子に執着するようになってしまったのです。
「今更許しを請うことも、許して欲しいとも思わない。私は今まで通りの魔界のことが大嫌いな生意気で自分のことしか考えないゴーレムのままだ。変わったことがあるというのなら私はもうあいのことには関わりたくないっと思っていることだけ。だからお前はもっと自分にふさわしい場所を見つけてそこで自分の絵を書け。私なんかよりもっとすごくて温かい絵を書くんだ。」
そう言った彼女はまつりちゃんの手に受け取った入部届を返しました。
彼女も知っています。二度と自分の前にこういう入部届が届かないこと、自分のことを本気で好きって言ってくれる人はないってこと。本当は今でも受け取りたいと思っているでしょう。
でも彼女はそれを全部受け入れてまつりちゃんの入部を受けなかったのです。彼女はまつりちゃんのような温かくて優しい子にはもっと明るくて日が差すところへ行って欲しかったのです。自分のせいでまつりちゃんを傷ついてしまうことなんて彼女は微塵も望んでいませんでした。
「まつりちゃん…」
こっそり覗いたドアの挟みからでは今のまつりちゃんの顔は全然見えません。ドアから背を向けているまつりちゃんが今どんな顔をしているのか、私には何一つ分かりません。
まつりちゃんはただ目の前の憧れの人から返してもらった入部をぐっと握って震えているだけでした。
「…じゃあ、入部は止めません。」
そしてまつりちゃんの口からそう言われた時、目の前の彼女は安心したような顔でまつりちゃんの決心を受け入れました。
「ありがとうな。」
っと言っている寂しいような、悲しいようなその笑顔はなんだかとても心痛いものだったので私は思わずその笑みから目をそらしてしまいました。
でもその直後のまつりちゃんの答えは私も、そして彼女も驚かすには十分なものでした。
「じゃあ、私は見学しますから…!」
その話を聞いた時、私は多分まつりちゃんの前でぼーっとしていた彼女と同じ顔をしていたと思います。
まつりちゃん…あなたは今自分が何を言っているのか分かっているんですか…




