第6話
「おはようございます」
「おはよう」
練習用の杖を背負ったティファが、裏庭の掃除をしているフォルクに準備運動をしながら朝の挨拶をする。
フォルクが来てから一週間。麗しき古硬貨亭は、あっという間に彼の存在になじんでいた。
「生活リズムもつかめたし、そろそろ俺も本格的に走らないとなあ」
「本格的に、ですか?」
「ああ。こっち来てからずっと、仕事覚えて生活リズムをつかむのに手一杯で、一キロぐらいしか走ってなかったからね。かなり鈍ってるから、これ以上鈍らないようにせめて三キロは走らないと」
「というか、フォルクさんも毎日走ってたんですか? 朝はいつもいたと思うんですけど……」
「ティファちゃんが学校行って、冒険者たちが大方仕事に出たぐらいの時間にね。それぐらいの時間なら、多少は抜けても問題ないから」
フォルクの説明に、なるほどと納得するティファ。
なお、フォルクの言いようでは仕事を全部覚えたように聞こえるが、実際には掃除や洗濯、ベッドメイク、買い出しなどの鉄壁騎士時代にもやっていたことはともかく、それ以外は仕事を覚えたとは到底言えない状態である。
それでも腕力も体力もあるフォルクがこの手の肉体労働をやるようになったおかげで、マスター夫妻やカレンの方にもだいぶ余裕ができているのは事実だ。
「ティファ、準備はいいか?」
すでに朝の挨拶と準備運動を終え、走りながら食べるカロリー補給用食品など諸々の準備を済ませたユウが、麗しき古硬貨亭の中からティファを呼ぶ。
起きる時間はほぼ同時だが、身支度その他の都合で大体ティファのほうが準備が遅くなるのだ。
「あっ、はい! フォルクさん、行ってきます!」
「おう、行ってらっしゃい」
ユウに声をかけられ、フォルクに出発の挨拶をしてあわただしく出ていくティファ。
それを見送ると、今度はアルベルトが裏庭に出てくる。
「フォルクさん、おはようございます!」
「おう、おはよう」
「あの、今日も剣の訓練を見てもらっていいですか!?」
「別に構わないけど、先輩やバシュラムさんでなくていいの?」
「今日はユウさんもバシュラムさんも手が空かないんですよ。ユウさんやバシュラムさんにも見てもらってますけど、お二人からもいろんな人に見てもらえ、って言われてます」
「そっか、了解。朝飯の時間が終わったらちょっと時間空くから、その時でいいか?」
「はい!」
フォルクの提案に、嬉しそうにそう返事するアルベルト。フォルクの一日は、いつもこんな感じで始まるのであった。
「そういや、ダンジョンの攻略状況って、今どんな感じ?」
昼前、仕込みが終わり、そろそろ昼食の客が来はじめるぐらいの時間帯。
若干手が空いたタイミングで、フォルクがカレンにそう尋ねる。
「えっと、ちょっと待って。……今のところ、出現が確認されてるのが七十二カ所、うち五十カ所が攻略、破壊済みで二カ所が安全であることが確認されて管理の上で存続、十カ所が未完成で入れないから経過観察中で、残りが現在攻略中みたい」
「なるほど。まだ出てきてすらいないのが六十カ所もある訳か……」
「うん。厄介だよね」
現状を確認し、思わず渋い顔をするフォルク。その横で、カレンも困ったという表情を隠しもしない。
単にダンジョンがあるだけなら、それほど大きな問題はない。無限回廊や堕ちた遺跡のように、それがあることを前提とした都市運営をすればいいだけだからだ。
無論、ダンジョンを甘く見ることなどできないが、それでも性質さえ分かっていればどうとでもなる。
問題なのは、発生する、もしくはしていることが分かっているのに、どんな性質なのかが分からないダンジョンが六十以上もあることだ。
同時にスタンピードでも起こさない限り、大多数はそこまで深刻になる必要のないものなのは間違いない。
が、それでも中には魔神だのドラゴンだのがわらわら出現し、それが普通にダンジョンの外へ出てこようとするような致命的なまでに危険なダンジョンも存在する。
滅多に出てくるようなものではないが、出てきたらそれこそ即座にアルトを放棄して逃げる必要があるぐらい致命的なので、すべて出現するまで全く気が抜けないのだ。
「出現してないダンジョンの数も厄介だけど、十カ所ぐらい攻略が終わってないのも厄介だなあ。これ、どういう状況?」
「五カ所は昨日入れるようになったところで、現在調査中。二カ所が変なルールがあって難航中らしくて、規模も大したことない感じだから最悪ティファちゃんに吹っ飛ばしてもらおうか、って案も出てるっぽい」
「って事は、純粋に難易度や規模の問題で手こずってるのは、三カ所ほどって事か」
「らしいよ。その中でも、アルトから一番遠いダンジョンがものすごく広い上に、今到達してる一番深い層はモンスターも手ごわいらしくてね。もし成長型だったら、攻略できないんじゃないかって話も出てるよ」
「なるほどな」
カレンの説明に納得したようにうなずきながら、カウンター裏のデスクで何やら書類を書くフォルク。
手続き代行の仕事もしている関係上、麗しき古硬貨亭のカウンター裏には調理関係の器具だけでなく書類を扱うためのデスクや筆記用具類も完備されている。
それを見たカレンが、首をかしげながら質問する。
「それって、もしかして鉄壁騎士団への報告書?」
「ああ。そろそろ最初の報告は必要だろうってね」
カレンの質問に、特に隠すことでもないからと正直に答えるフォルク。
どうせ後から勘違いや誤情報の類がないか、確認してもらうつもりだったのだ。
「ものすごく広いって、具体的にどれぐらいか分かってる?」
「正確な数値は測れてないから断定できないけど、第一層が大体一キロ四方で降りるほど広くなっていくって言ってたよ」
「そりゃ広いな。逆にそこまで広いと、迷宮型の階層以外はティファちゃんが雑に魔法ぶち込んで殲滅する、って手も使えそうな気がしなくもないなあ」
「それは最後の手段の一つってことで、可能な限り普通に攻略進めてるらしいよ」
「だろうなあ。にしても、クリアできそうにない小規模ダンジョンを吹っ飛ばすとか、遮蔽物がないなら魔法雑にぶち込んで殲滅しようぜ、とか、普通だと絶対出てこない発想だよなあ」
「だよね」
フォルクの感想に、苦笑しながら同意するカレン。
見た目も中身も可愛らしいのに、どうにも物騒な話と縁が深すぎる妹分である。
「鉄壁騎士団には、そういう人っていないの?」
「俺達ではどうにもならない系の問題は、全部お館様が解決してたな」
「そうなの?」
「ああ。政治的な問題も武力的な問題も、どうにもならないことは全部お館様に丸投げしてたし、それで解決しなかったことって完全に手遅れだったことと死者の蘇生ぐらいだった」
「その人、いったい何者……?」
フォルクが口にした人物像に、思わずそんな突っ込みを入れてしまうカレン。
本音を言えば、その人何者? ではなく、本当に人間? と聞きたかったのだが、さすがにそれは、ということでとっさに言い方を変えたのだ。
「お館様に関しては、気にするだけ無駄ってことで。それはそれとして、攻略状況をメモった地図も送ったほうがいいのかねえ?」
「地図か~……」
フォルクの疑問に、難しい顔をするカレン。
別に地図を国外に持ち出すこと自体は禁止されていないのだが、単純にいい地図は高いし入手が難しい。
だからといって、報告に使う地図をケチって安いものにすると、場合によっては鉄壁騎士団にダンジョン攻略を手伝ってもらう可能性がある都合上、後で余計な手間がかかってろくなことにならない可能性が高い。
そのあたりの兼ね合いで、どの程度の地図を使って報告するのかが悩ましいところだ。
また、攻略状況は刻一刻と変わっていくため、どうしても情報としては数日で古くなってしまう。
その都度最新の攻略状況を記載した地図を一から作るとなると、かなりの手間となる。
無論、麗しき古硬貨亭をはじめとした各地の冒険者の酒場や軍、役所、アルト魔法学院など、今回のダンジョン大量発生の対処に関わっている組織は、民間で手に入る一番いい地図に攻略状況を記載したものを持っている。
だが、それは毎日新しい情報を書き加えたり注釈の付箋を貼ったりして更新を続けているもので、その都度一から新しい地図を作っているわけではない。
海を越えて送るため、速達で送っても到着までに三日ぐらいはかかり、着いたころには確実に古い情報となっていることも考えると、手間に見合っているかどうかは微妙なところだろう。
「いちいち地図買ってきて手書きで写さなきゃいけないのがなあ……」
「そりゃ、伝票みたいに複写って訳にはいかないだろうし、そもそもそれで楽できるのは最初の一枚だけだし、どうにもならないんじゃない?」
「一枚だけ印刷とかできれば、楽なんだけどなあ……」
「あんまり詳しくないけど、印刷って製版にものすごく手間とお金がかかるんだよね? さすがに一枚だけのためにはできないんじゃないかなあ?」
「そうなんだよなあ。どっかに、写真撮るぐらい手軽に写せる道具とかないもんかなあ」
「いや、写真だって撮影はともかく現像とかは手間もコストもなかなかのものだよ?」
フォルクのボヤキに、いちいち突っ込みを入れるカレン。
製版技術と印刷技術の進歩により、写真や絵の大量印刷は一世紀前と比較するとかなり手軽に行えるようになったとはいえ、残念ながら一枚二枚を気軽に複写するという訳にはいかない。
それができるようになれば資料の配布や保存の観点からも非常にありがたいところではあるが、まだまだその領域まで印刷技術が発達する気配はない。
「でもまあ、写真を撮ったその場でどんな風に撮れたか確認できたり、撮影したその場で現像できたり、みたいなことができるようになったら、いろいろ便利だよね」
フォルクのボヤキから連想してか、いきなり写真の話に飛ぶカレン。
写真撮影も半世紀前に比べれば大幅に進歩しており、今やレンズを向けてボタンを押せばすぐに撮影できるようになっている。
が、どんな写真が撮れたかは現像してみなければわからず、現像したらちゃんと撮れていなかったというのは珍しくもない。
難儀なのが、現像作業もそれなりに難しく反応や定着に結構時間がかかるため、撮影してからかなり時間が経ってからでないと失敗が分からない事だろう。
機材もフィルムをはじめとした消耗品もかなり安くなったとはいえ、庶民が気軽に手を出せるものではないぐらいのコストはかかるためそう何度も撮りなおせるわけもなく、また一般庶民が写真撮影をする機会など何かの記念日ぐらいなので、なおのこと後から失敗が分かると痛い。
冒険者たちから頼まれて記念撮影したり、役所に提出するあれこれに写真が必要だったりと、業務で写真撮影をすることがたまにあるカレンとしては、撮った写真が使えるものかどうかその場で確認できればとてもありがたいのだ。
「今度、学長先生やティファちゃんに話を振ってみようかな?」
「そういや、ティファちゃんは魔道具作りの方に進んだんだっけ?」
「正確には、大魔力の制御を身に着けるために魔道具作りを学んでる、だね。制御に関しては八割がた失敗して、意図しない挙動をする物を作りまくってるけど」
「意図しない挙動って、……ああ、このジュースサーバーとか?」
「そうそう。それ、付与の初歩の訓練として水作成の魔道具を作ろうとして、魔力制御に失敗して回路が変質して、どういう訳かジュースとか炭酸水とかができる魔道具に化けたんだよね」
「なかなか奇跡的な変質の仕方じゃないか、それ?」
「だよねえ」
これまでのティファの所業、そのほんの一部を紹介したカレンに対し、コメントに困って正直な感想を告げるしかないフォルク。
このあたりの話は一応ユウから鉄壁騎士団に報告が上がっていたのだが、フォルクはあまり先入観を持たないようにするため、付与関係をはじめとした細かいエピソードについてはあえて聞いていなかったのだ。
そもそも、魔神やドラゴンの攻撃を防げることと、どんな魔法でも威力が増大すること、大火力禁止のダンジョンを大火力で粉砕できることを知っていれば、後のことはおまけにすぎない。
とはいえ、ティファは年齢を考えると、いろいろ伝説を作りすぎである。
「フォルクさん、そろそろお客さんが本格的に来るから、報告書は一旦切り上げてね」
「ああ、分かってる」
カレンに言われるまでもなく、すでにキリのいいところまで書類を書きあげて片付けに入っているフォルク。
一週間もいれば、客の入り方ぐらいは把握できる。
フォルクは来た当初のユウと同じく野営料理しかできないため、調理そのものはまだ皮むきか魚の三枚おろしぐらいしか手伝えないが、それと手続き関係以外は大体のことにおいてカレンと同等以上にこなせる。
まだ一週間とはいえ、すでにフォルクは重要な戦力となっていた。
「さて、今日のランチタイムもがんばりますか」
書類とインクを片付け、手を洗いながら気合を入れるフォルク。
この日のランチタイムは、これと言って特筆するようなこともなくいつも通りの忙しさだった。
「複写ですか?」
「うん。書類とかをそっくりそのまま、寸分の違いもなく白紙の紙に写し取れないかなって」
「生活魔法にそういう魔法は一応ありますけど、すごく難しいんです」
三時のお茶の時間。久しぶりに呼び出しなどもなく、本来の帰宅時間で帰ってきたティファに対し、ランチタイム前にフォルクと話をしていた内容を相談するカレン。
カレンに話を持ちかけられ、ティファがすぐに知っている内容を提示する。
なお、いつものようにミルキーとロイドも一緒にいるが、割と重要な相談事らしいということで口を挟まずに傍観している。
逆に大人組はまだ誰も帰っておらず、フォルクは奥の作業場で明日使う予定の肉をばらしている。
「それ、どんな魔法?」
「対象の姿かたちをそっくりそのまま指定した場所に写し取る魔法で、そのまま複写の魔法で登録されてます」
「つまり、ばっちり私たちが欲しいと思ってる魔法だってことだよね。何が難しいの?」
「かなり多くの魔力が必要なのに、ものすごく制御がシビアなんですよ。特に対象を正確に写しとる術式と写し取るためのイメージが厳しくて、使える人はほとんどいません。登録できるところまで完成度が上がったのも三年ぐらい前の事だそうで、まだまだ研究が続いてるみたいです」
「ティファちゃんは無理なの?」
「私の場合、一回でいいのに二十回ぐらい複写してしまうので、机とかがひどいことに……」
「ああ、いつものやつね……」
ティファが口にした理由に、そりゃそうか、という感じで納得してしまうカレン。
こう言っては何だが、特別な準備もせずにティファが魔法を仕様通り発動できるわけがないのだ。
「それって、大きさとかは関係なしにそれぐらいの数になっちゃう?」
「はい。さすがに立体を平面にとかは起こりませんけど、大地図ぐらいの大きさなら普通に二十回ぐらい一気に複写してしまいます」
「紙を用意するから、具体的にどういう感じになるか、やってみてもらっていい?」
「はい」
ティファがうなずいたのを見て、チラシと紙の束を用意するカレン。
チラシの中身は、近日予定されているステーキフェアのものだ。
「へえ、ステーキフェアなんてやるのね」
「うん。牧場ダンジョンの牛がちょっと増えすぎちゃったってことで、かなりの数解体することになったらしいんだ。でも、さすがにまだ一般の人は不安がるだろうからって、モンスター肉の扱いに慣れてる冒険者の酒場とかモンスター料理の店に全部流れてくることになっちゃってね」
「なるほどねえ。どれぐらいの質?」
「さすがにデビルバッファローほどじゃないけど、それなりの高級肉と勝負できるぐらいの肉質だったよ。具体的にはサーロインがグラム二千トロンぐらい」
「それって、高いの?」
「あ~、ミルキーちゃんはお肉なんて自分で買いに行かないか~……」
せっかく具体的な金額を出したというのに、ピンと来ていない様子のミルキー。
それを見て、己のミスに気が付くカレン。
ミルキーが結構なお嬢様だということを差し引いても、家業が食料品の卸売りか小売りでもやっていない限りは、普通見習いぐらいの年齢の子供が肉類の相場など知るわけがない。
このあたりの事情はティファも同じで、料理の練習に使う食材は店から提供しているため、今のところ肉類に限らず食料品の相場を知る機会はない。
もっとも、非常に限られた小遣いしか持っていないティファは、そもそも買い物そのものをする機会が極端に少ないため、ミルキーのようなお嬢様とは逆方向で全く金銭感覚が身についていないのだが。
「まあ、お肉の相場とかは置いといて、これちょっと試してもらっていいかな?」
「はいっ!」
カレンに頼まれ、チラシと紙の束を手に元気に返事をするティファ。
テーブル一杯に複写先の白紙を並べ、複写元となるチラシを誤爆しない位置に置いたところで、少し考えこむ。
「どうした?」
「えっと、ブルーハートをどうしようかな、って」
「あ~、確かに悩ましいところだよな……」
突然動きが止まったティファに声をかけ、その理由に納得するロイド。
制御という観点で見れば、ブルーハートを使うほうが確実だ。
が、ブルーハートはちょくちょく余計なことをするため、そうでなくてもおかしな挙動をしがちなティファの魔法がさらに不安定になってしまう。
どうせおかしな挙動をするのは変わらないとはいえ、それがティファのせいなのかブルーハートのせいなのかが分からなくなるのは、改善策を考える上でそれなりに問題になってくる。
「どうせいろいろ検討するのに何回も使うんだから、比較もかねてまずはなしでやってみたらいいんじゃないか?」
「そうですね。それじゃあ」
そもそも二十枚やそこらチラシを複写しても意味がない、という事実に行きつき、そうアドバイスするロイド。
ロイドの言葉に納得し、サクッと複写の魔法を発動するティファ。
ティファが魔法を発動すると同時に魔法陣が浮かび上がり、まずは複写元のチラシに吸い込まれる。
普通の複写の魔法の場合、この後魔法陣が複写先に浮かび上がって発光、光が消えたら全く同じものが写し取られるというプロセスを踏むのだが、そこはティファが使う魔法である。
一度チラシに吸い込まれた魔法陣が再び浮かび上がると(この時点ですでに挙動としておかしい)、複写として並べてある紙に向かって魔力弾を連射し始める。
「……さすがティファ。単に複写するだけなのに、いちいち挙動が物騒だ」
「……同時に発光するとかじゃなくて、魔力弾を連射するってのがはっちゃけてるわよね」
「あう……」
自分でも思っていたことを茶化され、思わずうめいてしまうティファ。
最初に発動したときにも思ったが、いくらなんでもこれはない。
「で、一応確認しておくけど、最初に使ったときもこういう挙動だったのよね?」
「はい。全く同じです」
「って事は、机とかがひどいことになったっていうのは、この挙動が原因だったわけね」
「そうなんです……」
ティファにいろいろ聞きつつ、チラシの枚数を数えながらどんな感じで複写されたかチェックするミルキー。
「複写そのものは問題ないわね。曲がってるとかそういうのもなくて、正確にできてるわ」
「だなあ。……ん?」
「どうしたの?」
「いや、この紙、よれてるなって思ったんだけど……」
「よれてるわね。それがどうした……、って、なるほどね」
ロイドが手に取ったチラシを見て、言わんとすることに納得するミルキー。
「これ、どう考えても最初からよれてたよな?」
「ちゃんと見てなかったけど、今やってる作業ぐらいだと、こういうよれ方はしないわね」
右端中央付近から下のラインの中央まで筋が入る形でよれているチラシをもとに、そんな話をするロイドとミルキー。
その時点で、全員が言わんとすることを理解する。
「これ、印刷したチラシがよれたみたいな感じになってるけど、複写の魔法ってこういうものなの?」
「さあ? 私もロイドも複写の魔法は覚えてないから、そのあたりの細かい挙動までは知らないわね」
「写本とか以外じゃ、あんまり使いどころのない魔法だしなあ」
「魔法回路の定着に使えるんだったら覚える価値もあったんだけど、せいぜい目印にしか使えないって分かってるものね」
「呪符の作成には使えるらしいけど、そっちは俺たちの管轄じゃないしなあ」
「そっか」
ミルキーとロイドの話を聞いて、そういうものかと納得するカレン。
ちなみに、複写の魔法の挙動は普通の印刷とほぼ同じ、せいぜい紙の向きや位置に関係なく正確に写しとれることぐらいしか違いがない。
なので、紙がよれていたり折れていたりした場合、複写の魔法を使った後によれや折れを戻したら、重なっていた部分が何も印刷されていない真っ白な状態になる。
つまり、ロイドが指摘した点は、いつものパターンでティファが変質させた要素である。
とはいえ、付与魔法には使いづらいというのであれば、なぜティファが覚えているのかが不思議ではある。
そんなカレンの疑問を察したのか、聞かれる前にティファが理由を口にする。
「わたしが使う魔法がことごとく変質する点について、調査の一環で生活魔法も色々と試したんです。その中の一つに、複写の魔法があったんですよ」
「そういう理由ね。で、結果も大方の予想通りだった感じ?」
「はい、残念ながら……」
カレンに確認されて、うなだれながらそう答えるティファ。
ユウがティファの訓練で使わせているライトの魔法のように、変質せず普通に発動する魔法もいくつかはあったのだが、九割以上は使い物にならなかった。
さすがにあたり一面を焼き払ったり水没させたりというような攻撃魔法で起こるようなことは起こらなかったが、危なっかしくて下手に発動することができないのは変わらない。
「まあ、それは置いといて、次はブルーハートを使っての実験ね」
「はい」
ミルキーに促され、気を取り直して新しい紙を並べなおし、ブルーハートを展開して複写の魔法を発動するティファ。
大方の予想通り、ブルーハートが術式に干渉してさらに変質させ、先ほどよりも派手な挙動で魔法を完成させる。
テーブル全体を覆うように魔法陣を描いたかと思うと、複写元のチラシも含めて紙を全部巻き上げて空中でぐるぐる回転させ、チラシの複写を終えた紙を丁寧に重ねていく。
三秒ほどですべての工程を終え、ブルーハートがまるでどや顔をするかのように宝石を光らせた。
「……派手な演出してたわねえ……」
「まあ、その分ティファ単独より便利な内容に進化はしてたな」
「その演出が必要だったかって言うと疑問だけどね~」
「どちらにせよ、このまま使うのはいろんな意味で実用性に欠けるわね」
結果を見て、ミルキーたちが正直な感想を口にする。
派手な演出自体はどうでもいいにしても、その絡みで広いスペースを占有してしまっているのはかなり大きなマイナスであろう。
さらに言えば、ティファ的には誤差の範囲と言えど消費魔力が増えており、また演出の関係で制御難易度も上がっている。
印刷より安上がりになるのは間違いなかろうが、たかが数枚複写するのにいちいち広いスペースを空けて準備をし、高度な集中を要する魔法を使うというのはかなり効率が悪いと言わざるを得ないだろう。
「という訳で、改良を考えなきゃいけないわけだけど、正直フォルクさんやカレンさんの魔力だって何に必要になるか分かんないわけだから、あんまりこういうのに使いたくはないわよね」
「フォルクさんはともかく、私の魔力は洗浄とか簡単な治療とかにしか使い道ないから、そんなに気にしなくても大丈夫だけどね」
業務その他について気を遣ったミルキーの言葉に、カレンが軽い調子でそう応じる。
実際のところ、両親が元貴族という出自故か、カレンの魔力は一般市民としてはかなり多く、もう少しでアルト魔法学院への入学が義務付けられるぐらいある。
これぐらいあれば、魔力量を増やす種類の訓練を行えば、マジックユーザー系の冒険者になろうと思えばなれる。
単純に荒事に興味がなく、麗しき古硬貨亭を拠点とする冒険者を送り出しては出迎えるのが好きなので、必要以上に魔法関係を鍛えてはいないが、実はカレンはそういう面でもかなり優秀な少女だったりする。
「そこは深くは突っ込まないけど、私達は付与魔法使いの見習いなんだから、ここは魔道具を作る方向で解決を図るのが筋じゃないか、って思うのよ」
「そうですね。そもそもわたしが変質させた魔法を改良するぐらいなら、元の複写の魔法を覚えたほうが手っ取り早いですし……」
「だよなあ。難易度的にも、ティファの魔法を改良するよりオリジナルを習得するほうがましだろうしなあ」
「機能的には、オリジナルの時点で必要なもの全部揃ってるものね。まあ、生活魔法科で開発されてるのに広まってない魔法なんて、大抵難しすぎるかコスパ悪すぎるかで一般人が使うには向いてないし、そういう意味でも、魔道具で解決ってのはありだと思うわ」
せっかくの専門技能なのだからと、より難易度の高い解決方法を取ろうとするミルキーたち。
それを見ていたカレンが、思わず困ったような笑みを浮かべてしまう。
正直な話、出来たら楽だという程度で、無理なら無理で今まで通り書き写せばいいだけなのだから、わざわざ魔道具を作るような話ではないのだ。
そもそも、自分たちが思いつくような需要を、魔道具メーカーや電化製品メーカーなどが気が付いていないわけがない。
それなのに製品がない時点でかなり難易度が高いということであり、まだ見習いでしかない学生の手に負えるようなものだとは思えない。
とはいえ、今までのティファの実績を考えると、力業でどうにかしてしまいそうな気がしないでもない。
「さて、どうなることやら……」
「子供たちがなんか大層なことを始めてるけど、いったい何があったんだ?」
ノートを広げて回路設計を相談し始めた見習い付与魔法使いたちを生暖かい目で見守りながらそんなことをつぶやいていると、解体作業が終わったらしいフォルクが奥から出てきて中の様子を見、不思議そうな顔でそう聞いてくる。
「えっとね。魔法でどうにかするのは難しそうだから、魔道具を作るんだって」
「そっちの方が難しそうな気がするんだが……、まあ、付与魔法を専攻してるから、そういう発想になるのは普通かあ」
「まあね。正直なところ、常日頃の書類とかはともかく、フォルクさんの地図はそこそこ枚数必要だから、ティファちゃんに魔法で複写してもらってもいいとは思うんだけどね」
「一応そういう魔法があるのはあるのか」
「うん。三年ぐらい前に実用化した生活魔法だって。一応実用ラインって程度でまだまだ完成度が低いから、使える人が少ないって言ってたよ」
「なるほど、それなら俺たちが知らないのも道理か。で、その話からすると、ティファちゃんは使えるんだよな?」
「使えるよ。ただ、例によって例のごとく体質の問題で、最低単位が二十枚からになる上に結構大きなスペースを遣っちゃうから、それだと不便だろうってことでああなったんだよね」
「そういう経緯か。なら、頑張ってもらうしかないな」
「だよね」
カレンの説明を聞いていろいろ納得し、同じように生暖かい目で見守ることにするフォルク。
そんな二人の様子に気が付かぬまま、まずは術式の解析と付与のための調整で試行錯誤を始めるティファ達であった。
「取り込み中すまんが、緊急事態だ。ティファの手を借りたい」
そろそろ閉門時間が迫ってきた午後四時半。
麗しき古硬貨亭の入口扉が光ったと思ったらすぐさまユウが入ってきて、回路設計と実験を繰り返していたティファ達のもとへ駆け寄ってそんなことを言い放つ。
「何かあったんですか?」
「攻略に手こずっていた特殊ダンジョンが一つ、スタンピード寸前になっている。もはや猶予がないので、モンスターもろともダンジョンを吹っ飛ばしたい」
「分かりました」
ユウの協力要請を、真剣な顔であっさり了承するティファ。
実のところ、ティファとしては何でもかんでも魔力量によるごり押しで解決せざるを得ない点は割と重大なコンプレックスだが、ユウが必要だと判断したときにそれを拒むほど深刻なものでもない。
ティファが了承してくれたのを見て、夕食の仕込みをしながらこちらの話を聞いていたカレンに声をかける。
なお、この時間にカレンが見えるところで仕込みをしているのはいつものことで、誰かが居ないと注文や緊急事態に対応できないためその役割を彼女が引き受けているからである。
「カレン、悪いがいつものように手続きをしておいてくれ」
「了解」
「後、フォルクは今、手が空いているか?」
「今は仕込み手伝ってもらってる最中。どれぐらいの時間かによるけど、空けようと思えば空けられる感じかな?」
「そうか。だったら、古巣への報告や今後のこともあるから、一度現場でティファの魔法を見せておきたい。一時間もあれば終わると思うのだが、大丈夫か?」
「ちょっときついけど、何とかはなるよ」
ユウの確認に笑顔でうなずくと、書類を手に厨房へと入って行く。
それを見送った後、すぐに帰還陣を再設置するユウ。
ほどなく、エプロンを外してユウと同じ鉄壁騎士団制式装備のジャケットを羽織ったフォルクが出てきた。
「準備は大丈夫か?」
「俺は戦闘しないんだろ?」
「ああ。というより、そもそも、待機中に野良のモンスターに襲われでもしない限り、誰も直接戦闘なんぞしないはずだ」
「あ~、どういうやり方すんのか、なんとなく予想が付いた。まあ、仮に戦闘になっても、街の周辺に普通に出てくるようなのなら、今の装備で十分」
「なら、すぐに行くぞ」
フォルクの返事を聞いて、ユウが即座にダンジョン前に張った簡易帰還陣を起動する。
転移が終わった直後に目に入ったのは、みっちりという表現では到底足りぬほどの密度のモンスターが詰め込まれたダンジョン入り口であった。
「こりゃまた、雑魚ばっかりとはいえかなりきわどいところまで来てるなあ……」
「とりあえず、結界を張りなおします」
密度が密度だけに、ユウの張った簡易結界ではそれほど長く持たないと判断したティファがさっさとブルーハートを展開し、自分の最大出力の七割ぐらいを使った結界を張って蓋をする。
今回使ったのは初級の結界魔法の中では最もポピュラーな、物理も魔法もほどほどに防ぎ、結界の中から外へと一方的に攻撃できるタイプのものだ。
とはいえ、初級の魔法であり、またほどほどという表現からもわかるように、駆け出しが狩れるモンスターは完封できるが熊などの大型モンスターは防げるかどうかは腕次第、無限回廊の二十層をこえるとよほどの技量か魔力量がなければ出番がなくなる類の魔法でしかない。
が、よほどの技量か魔力量がなければ、という点が曲者で、妙な増幅の術式が入っていないシンプルな術式ゆえに、慣れれば反射的に発動できるほど発動が早くて範囲や強度の変更がたやすく、使い手によっては上級の結界魔法を凌駕する強度を持たせることが可能だったりする。
そう、ティファに使わせてはいけない類の魔法、その筆頭格といえよう。
「……話には聞いてたけど、何この意味分かんない強度の結界……」
「この程度で驚いていては、この後のことに耐えられんぞ」
聞きしに勝るティファの魔法に絶句しかけ、何とかその感想を絞り出すフォルク。
そんなフォルクに対し、周辺の索敵を行いながら追い打ちをかけるユウ。
ユウの追い打ちが終わる前に、ティファが攻撃魔法の準備に入る。
「……うわあ、うわあ……」
「ふむ、今回は貫通力高めの魔力弾か。敵の密度を考えれば、妥当な選択だな」
結界が安定したのを確認したティファが、魔力弾のチャージを開始する。
ティファが使おうとしている魔力弾を見て、ドン引きしたようにうめくフォルク。
その横では、もはや慣れたユウが、何やら納得しつつそんなことを言っている。
ユウ達がそんなことをやっている間にもティファの魔力弾はどんどん出力と密度を増していき、ついにはアルトを壊滅させうる威力まで到達する。
「……なあ、ユウ先輩」
「なんだ?」
「聞くの忘れてたけど、このダンジョンってどういう特殊ルールがあったんだ?」
「低火力無効だ。ボーダーラインは一般的な広域中級結界をぶち抜けるかどうか。中級魔法でやるには微妙だが上級魔法だと火力が勝ちすぎる、といったところだな」
「あ~、下手すりゃ子供でもやれるような雑魚も多いのに、スタンピード寸前になるまで手こずってたのはそういう理由かあ……」
「ああ。むしろ、そういう連中が多いのが厄介だったらしい。ルールの関係上一切脅威にはならんが、放置しようにも排除せねば先に進めず、脅威になるモンスターが出てくるころには魔力もアイテムも使い切っている、という状況が続いたようでな」
「そりゃまた面倒な……」
理由を聞いて納得しつつ、ただただ面倒なだけの仕様に思わず天を仰ぐフォルク。
特殊ルールのあるダンジョンは、時折こういった組み合わせの妙で、難易度は低いのにクリアできないという状況が発生するのだ。
フォルクとユウがダンジョンの仕様を確認している間、ティファは完成した魔力弾に魔力で作ったカバーをかぶせ、リアクティブアーマー仕様にする作業に入る。
「てか、それだったらティファちゃん呼べばすぐだったんじゃないか?」
「今日の時点で目途が立たねば、その予定だった。一応ここは他の酒場の管轄だし、毎度毎度ちょっと厄介なことがあるたびに見習いの子供に頼るのもどうかというのもあるからな」
「そりゃまあ、そうか」
「そもそも、一週間やそこらでスタンピード寸前になるとは、誰も思ってない」
「そっか、まだ出現してから一週間か……」
一週間というユウの言葉に、認識違いを悟るフォルク。
普通に考えて、他所の酒場で生活している冒険者ですらない見習いの子供にそう何度も安易に頼るなど、健全とは言えないし大人としてのプライドが許さない。
毎日のように新たなダンジョンが出現している状況でなければ、普通本格的に手詰まりになるまで子供に頼る発想になどならない。
さらに言えば、この種の特殊ルール付き小規模ダンジョンは、否、普通のダンジョンはそうそうスタンピードなど起こさない。
それが一週間なんて短期間でそこまで状況が悪化するなど、誰も予想するわけがない。
最初からティファを頼っておけば、などというのは結果論をもとにした部外者の無責任な言い分でしかない。
「さて、そろそろ発射のようだ」
「ああ、ついに魔力弾が仕上がったのか」
「安全圏で丁寧に作業していたからな。もう四度目になるし、万一にも失敗はないはずだ」
フォルクにそう言った後、真剣な表情を浮かべ、ティファを見守るユウ。
そろそろ慣れてきた作業とはいえ、どんな問題が起こるか分からない以上、常にフォローできるように身構えるのは師として当然の心構えということであろう。
「フォルク、よく見ておけ」
ユウのその言葉を合図にしたかのように、完成した魔力弾を先端に留めたブルーハートを、ダンジョンの中に突っ込むティファ。
その瞬間、結界に張り付いていたモンスターが、放出されている魔力にあてられてまとめて消滅する。
そんなダンジョン内の状況を一切無視し、魔力弾を射出するティファ。
迎撃しようとしたダンジョンの攻撃を外殻をパージすることでいなし、壁をぶち抜き中心付近まで飛んで着弾、全エネルギーを開放する。
「これが、ティファ・ベイカーだ」
状況をまとめるかのようなユウの言葉に呼応するように、悲鳴のような音がダンジョンから溢れ出る。
音に合わせてダンジョンだったはずの空間がねじれ、ひずみ、激しく発光して消滅する。
「うわあ……」
その日、フォルクは後の世に伝説となる、ダンジョンブレイクという大技の新たな目撃者となるのであった。
後の歴史書にティファはそれはもういろいろ書かれるわけですが、当人が基本おとなしくて結構ポンコツだっていう事実は絶対信じてもらえないんだろうなあ、と。
なお、本編終了時点ではそこまでいきませんが、サイコロ2D100を振ったところ、ティファが生涯で粉砕するダンジョンの数は158個と期待値を超えました。
この数には無限回廊のフロアとかも含める予定ですので、後の歴史書だと100を超えてる越えてないで議論になる予定。
次回あたりから、そろそろブルーハートの更新用素材集めとかダンジョン攻略とかに入ろうかと思っています。